トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「哲学的同時代性」文明比較研究の根拠(2)

 前稿では「哲学的同時代性」文明の比較研究の根拠(1)として、トインビー博士にとって、古典ギリシャ世界がどのような意味をもつのかをトインビー博士自身の「回想録」の文章を引用することによって論究してみました。いわゆる「ツキディデス体験」をトインビー博士の内面で可能とした、ギリシャ世界を「古典古代」として徹底的に学ぶ西欧ルネサンス以降の人文主義教育に論究しました。

 さて、つぎに検討しなければならないのは、トインビー博士の「哲学的同時代性」の概念において、古典古代と対照となるもうひとつの「年代記的事実」、第一次世界大戦の勃発について論究し、トインビー博士の内面に迫らなければなりません。このことに関しても、トインビー博士の「回想録」第三章の中にある文章を引用していくことが適切であると思います。

 「1914年8月」と題された第三章はつぎのような文章で始まります。

「1914年8月。『この言葉までもが鐘のごとく鳴り響く』そしてその鐘の音にわれわれが思い起こす死者は、その後四年にわたるいけにえの年に生命を奪われた、戦線をはさむ彼我双方の多くの国の人々である。1914年8月。少なくとも私の世代のイギリス人にとって、この日付を挙げることが今なおわれわれの心をこれほど動かすのは、なぜであろうか」とトインビー博士は書きます。

 そしてこのあと、1939年に迎えた第二次世界大戦の勃発という、世界史的にみればほぼ同じ内容をもつ歴史的事件を迎えた時の衝撃の度合いと比較します。

「1939年には、世界大戦の勃発はわれわれにとってもはや新しい経験ではなかった。ある点ではこの第二の経験の方が二つのうちでいっそうつらかった。というのは、今度は戦争の勃発するずっと以前から、きたるべき戦争がわれわれにぐんぐんせまってくるのが見えていたからである。それは晴天のへきれきのごとくわれわれを突然襲ったのではない。その上、われわれは第一次世界大戦を経験したために、いかなる苦難を再びこうむることを予期しなければならないか、前もってわかっていた。しかしあらかじめこのつらさを知っていたからこそ、二度目の衝撃はそれほど激しいものではなったのである」さらに続けて「1914年8月という日付がわれわれの心に刻みつけられているもう一つの理由は、おそらく二度の世界大戦のいずれかに参戦したどの国にもまして、イギリスにとっては第一次世界大戦の勃発はわれわれの歴史の中に不吉な断絶を記して、ということである」と書かれています。

 このあとトインビー博士は、1815年のワーテルローの闘い以降、1914年までの99年間大きな戦争を行うことから免れ、ほぼ一世紀にわたって圧倒的な数の戦死者をださずにすんだ点で、イギリスの西欧諸国の中で例外的な存在であったことをあげ、1914年の第一次世界大戦の勃発が、自身にとってなぜ衝撃の経験であったかについて、考えています。