トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

トインビー史観と「古代末期」・・・ピーターブラウン「古代から中世へ」を読んで

「古代から中世へ」と題するピーターブラウン教授の書籍を読み、何らかのコメントを書かねばと考えて、しばらく手元に置いている。
 この本は、東京教育大の西洋史の後輩で、法政大の教授である後藤篤子氏の編集したもので、ピーターブラウン教授の古代末期観の要点が知れるように簡略に編集されている。読んでみて、大いに刺激を受けた。特に、トインビー博士の歴史観との重なり合う部分に大いに、心動かされものがあった。
 トインビー博士の歴史観において、一番重要な部分は、あえて言えば、古代のギリシャ・ローマ世界(トインビー博士の観点からは両方を合わせて『ヘレニック文明』ということになるが)における、高等宗教たるキリスト教の成立の意義である。大著「歴史の研究」で第二次世界大戦前に発行された部分においては、文明と文明をつなぐ「蛹」のような役割を与えられていた高等宗教。いわば、文明という目的に対する手段であったのだが、戦後の諸卷において、むしろ文明の進展、その中で生じる人間の諸苦悩に答えるのが高等宗教であり、したがって高等宗教の深化・発展の為に、文明という人間の営みがあるいう役割の逆転、視点の転換がある。これこそ、トインビー史観が後世に伝える根本のメッセージである。その転換を示す歴史上の位置が正に「古代末期」である。
その意味で200年から700年にかけての地中海世界の扱いは重要である。それも、西ヨーロッパから、バルカン半島小アジア、地中海東部、パレスチナメソポタミア、イランと、地理的なパースペクティブを広げてみないと意味ある全体が見えてこない。トインビー博士の完訳版の「歴史の研究」において、歴史学的な内容において、最も深く充実している部分もこの年代、地域の範囲であり、トインビー史観の歴史学的なインスピレーションが、あちこちに光っている。このことは、当然、トインビー博士の「歴史の研究」そのものを読み込まなければ、見えてこないところであり、サマヴィルの縮刷版、図説「歴史の研究」などでは、当然、省略されている部分である。私個人の感想を言えば、やはり歴史家は事実をもって語らせるべきであり、その意味において、「20世紀最大の歴史家」としてのトインビー博士の、歴史学者としての真骨頂はこの部分にあると思う。勿論、人類の将来を論ずる部分は、この事実の上に成り立つ、極めて重要な精華である。池田先生との「21世紀への対話」はその究極の結論の対談集である。

宗教と社会について、
>>ブラウンは1960年第に発表した12篇の論文と6篇の書評を収録した論文集のタイトルを『聖アウグスティヌス時代の宗教と社会』としたことについて、のちに述懐している。それは自らの学問的探求全体のためのスローガンであり、アイルランドのダブリンでプロテスタント家庭に生まれた自分にとって、「社会」を欠いた「宗教」は関心の対象ではなく、後期ローマ帝国・中世初期の社会的・経済的・文化的環境の歴史に根ざさないようなキリスト教興隆史は「歴史」でなかった。この部分については、私にとっても全く同感である。創価学会という、社会的にも、文化的にも、アクティブな宗教団体の中で、本来的な意味での「宗教」のあり方を体験してきた自分の生涯をかけて、同じく「社会」を欠いた「宗教」は関心の対象ではなく、また「宗教」を欠いた「社会」も関心の対象ではない。