トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「歴史家トインビー」 鈴木成高

「トインビー・人と史観」より 1957年・社会思想社
 
 
「歴史家トインビー」 鈴木成高
p14.L12 ・・・距離のなかには、トインビー史学におけるもっとも本質的なもののひとつである「視野」の問題が含まれている。トインビー史学は歴史学のなかに視野の革命をひっさげて登場してきたものにほかならない。視野は空間に向かって拡がるだけでなく、時間に向かっても拡がるものである。歴史は要するに、ベルトラムが言ったように遠近法である。そしてトインビー史学は歴史に新しい遠近法を打ち立てようするものに他ならない。
 
p17.L12・・・歴史家仲間のあいだでわれわれがしばしば耳にする言葉は、トインビーは「一個の文明批評家であって歴史家ではない」という批評である。たしかにそうもいえるであろう。伝統的な職業的歴史家だけが歴史家であるとするならば、トインビーは歴史家ではないであろう。しかしまたひるがえっていうならば、トインビーを歴史家でないというそのあまりにも歴史家的な歴史家たちが、実はもはや時代からとり残されつつあるのかもしれない。そこに「新しい歴史家」の可能なるひとつのタイプを示すものとして、トインビーの存在が大きく浮かび上がっていると言わねばならないのかもしれない。職業的歴史家の伝統的なアカデミズムはすでに半世紀前からひとつの根本的な行き詰まりに直面している。歴史主義の危機と呼ばれているものがそれである。・・・(中略)・・・
だからトインビーを歴史家でないというだけでは、事柄は少しも片づかない。アマチュアが専門家より多くの存在理由を持つかも知れないような大きな転換期のなかにわれわれは立っているのである。私は先ずこの意味においてトインビー史学の性格を偉大なるアマチュア史学として規定しておきたい。ちょうど先に文明批評家としての彼を偉大なる傍観者と呼んだとおなじように。
 
p20.L12・・・トインビー史学もまた、彼が二十五歳の青年として、第一次世界大戦に直面したところから発せられた、世界への問いから出発している。人類はじまって以来初めての世界戦争において、彼は自分がイギリスにいるのではなく世界のなかにいるのだということを発見した。「イギリスにいるのではなく、世界のなかにいる。」・・・(中略)・・・世界はこのとき突然トインビーの目の前にひとつの問いとなって立ち現れてきた。「視野の革命」はそこに始まったのである。爾来四十年間、彼はこの素朴な問いを執拗にいだき続けて、既成の学会から完全に無視されながら、完全にただ独りで、自分だけの道を歩んできたのである。・・・(中略)・・・この四十年間の探究は、彼の頭脳に驚異的な知識を蓄積させた。いま多くのひとはこの蓄積に敬意を表し、そのあらわれとしての該博さと視野の広さを賞賛する。しかし本末を顛倒してはならない。彼の世界史は該博さの結果として到達されたものでなく、逆に世界への問いが該博さをもたらしたものであったのである
 このようにトインビー史学は、世界戦争という人類未曾有の体験を彼が二十五歳の若さで、世界への問いとして受け止めたということから出発している。いいかえれば、それは生きた歴史との対決からきているのであって、出来合いのアカデミズムからきたものではなかった。生の対決からであって、死せる知識の集積からではなかった。そこにトインビー史学のもっとも重要な性格がひそんでいることを見逃してはならない。・・・