トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「戦争」に対するトインビー博士の行動

前回のブログではトインビー博士の原点としての体験を踏まえた、博士の「戦争」に反対する思いと決意についてふれました。今回は、その決意に基づいて、どう行動し、戦ってきたかについて同じく「回想録」の中から引用します。

p110

戦争を廃止するために働くには、私がおこなったよりもいっそう直接的な方法がある。チャタムハウスの『国際問題大観』を執筆するのに三十三年を費やす代わりに、国際連盟国際連合の職員になることを志願しても良かったはずだ。しかし知的な仕事は、それ自体本質的な価値を有していることを別にしても、行動のための必要な基盤である、と私は信じているので、あくまで『大観』を続けることによってわれわれの時代の(いや実際のところ戦争が始まって以来のあらゆる時代の主たる害悪の正体をあばくのを手伝っていることになる、と私は常に感じていた。そればかりではない。この悪しき制度がそれを作り出したわれわれを抹殺する前に、それを制御しようとするのを手伝っているのだ、ということもつねに感じていたのである。

p111

戦争に対する私個人の戦いにおいては、私は全面廃止論者である。・・・・(中略)・・・・ ところが私の判断では、戦争は奴隷制と同じく、妥協のあり得ない社会悪である。通常兵器を残しておきながら原子兵器を廃止することや、兵器の量を減らしても残りのものを使用することをやめない、といったことが効果的であるとは私は信じない。私のめざすところは戦争の全面的廃止であって、それ以下のものではない。

しかし私は廃止論者ではあるが、平和主義者ではない。もし1931年に満州に関して日本と戦争したり、1935年にエチオピアに関してイタリアと戦争したり、1938年にチェコスロバキアに関してドイツと戦争したりするための投票の機会を与えられていたなら、私はこの三つの苦しい場合のいずれにおいても戦争に賛成する投票をしたことであろう。戦争に賛成する投票をしたであろうというのは、戦争を始めようとしている軍国主義者に対して何の軍事的抵抗もおこなわないことは、正しくもなければ分別のあることでもないと信じるからである。この場合のディレンマは苦しいものである。なぜなら、一方では、軍事侵略に対して抵抗しなければ世界を軍国主義者の手中に引き渡してしまうことになるし、また一方では、侵略に対して「聖戦」をおこなうなら、こちらの戦争がどれくらいの間聖戦であり続けるか予言できないからである。たとえ戦争を終わらせるために戦争をしているのであっても、戦争をおこなうときには、悪に対する解毒剤として悪を用いているわけである。そしてこの勝負においては、さいころベルゼブル〔魔王。『マタイによる福音書』〕に有利なように詰め物がしてある。人類の長い「悲しみの道」の途上において、「戦争を終わらせるための戦争」〔第一次世界大戦は一般にこう呼ばれた〕をどれほどおこなわなければならないか、わからないのである。第一次世界大戦を終わらせるために命を投げ出した私と同年輩の人々は、これが生存者とその子孫が目にする最後の戦争になると信じつつ死んでいった。こうして、戦争という古い制度を廃止しようする際、気がついてみると矛盾と挫折の中にはまり込んでいるのである。

p112

この経験は人をひるませるものである。しかしこれに立ち向かわねばならない。というのはそれは人生の苦しい事実の一つが持つ一面だからである。この事実とは、各世代は先人から伝え残された業〈カルマ〉という荷を負っているということである。現存する世代は自由な身で生き始めるわけではない。過去によって捕らえられた者として生き始めるのである。さいわいなことに、この囚人は無力ではない。受け継いだ慣習のかせをこわす能力を持っている。しかしこれをこわすには大いなる努力によるほかない。また全部をこわすことができるわけではない。人間の自由は錯覚ではないが、決して全面的ではあり得ないのである。

今問題にしている場合について見ると、平和的な政治的行為によって戦争を廃止する自由は、たしかにある。国家間の戦争という制度は、地方主権という制度の寄生虫である。寄生虫は寄主がなければ生き残れない。そしてわれわれは地方主権を平和的に廃止することができる。地方国家が全体の従属的な一部として存在し続けながら、その主権を引き渡す―――こういう世界的な連邦を自発的に作ればよいのである。これが、ライオネル・カーティスの唱えた、戦争という問題の積極的な解決法である。世界連邦の構成の細部については、教条的になる必要はないし、またそうあるべきではない。しかし何らかの形で、これを達成するために努めるべきである。原子力時代にあっては、これが大量殺戮に代わる人類の唯一の道のように見える。