トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

吉本隆明「 超『戦争論』(2002年刊)」と ハンチントンの「文明の衝突」

 

 表題の著書は、2002年に刊行されたものであり、聞き手の田近伸和氏の問いに答える形で、吉本隆明氏が世界情勢から日本の現状に対して余すところなく語り論じているものです。

 本書が出版された2002年の前年2001年9月11日には、イスラム教を背景とするアルカイダによるニューヨークの世界貿易センター等へのテロがあり、アメリカ合衆国は報復としてアフガニスタンへの軍事侵攻を実施していました。

 かつてイラクのクエート侵攻に際して、多国籍軍と称するアメリカを中心とする軍事オプションに、憲法上の理念から自衛隊を派遣せず、その代償として多額の資金援助をした日本政府。しかし、その精一杯の“貢献”が感謝されることなく、逆に国際的な批判を受けることになった日本。その現実に直面して生じたトラウマともいうべき心情が起因して、2001年の9・11以降、日本国憲法第九条の改憲論から、集団自衛権論議まで、保守論壇を中心の議論が湧き上がっていた最中でした。     

 その中にあって、吉本隆明氏は、自分の原体験と思索をしっかりと踏まえながら、目の前に展開する現実に、未来への展望を踏まえて鋭く切り込んでいきます。そのまえがきでつぎのように語っています。

国家間の戦争を無化して、人間同士の集団的な殺傷を止めさせるためには、日本の非戦憲法の方向しかない。日本の非戦憲法だけが、唯一、現在と未来の人類の歴史のあるべき方向を指していることは疑問の余地がない。それなのに、日本の政治家や政党は、そのことを国際的に提起しようともせず、かえって、最悪の歴史、最悪の未来をもたらす傾向に追従しようとさえするのか? 人類は紛争を導く要因を動物社会よりももっと複雑に抱え込んでしまった。この難問を、誰でも、肩の荷を降ろして休み休み考えるところまでもっていきたいというのが、この本のモチーフであった。

この「超『戦争論』」は、上下二冊からなりますが、下の最終章は「21世紀の『世界の行方』を読み解く」と言う表題です。その中に、「9・11」後の世界に湧き上がってきた様々な論調の一つとして、ハンチントンの「文明の衝突」の再評価を取り上げています。

1998年に刊行されたハンチントンの「文明の衝突」は、冷戦の終結ソ連の崩壊という20世紀の大きな歴史の変換点に立つ人類にとって、大きなインパクトを与える論考でした。1992年のフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」的な見方。ソ連の崩壊、冷戦の終結を、一方の陣営であるアメリカ合衆国を中心とする自由主義陣営の勝利としてとらえ、歴史は最終的な段階に達したという見方に対して、全世界を俯瞰するような視点として「文明」単位の観点を設定し、世界の状況を論じたのがハンチントンの「文明の衝突」でした。

ハンチントンは、アメリカの政治にも大きな影響力をもつ知識人としてキッシンジャーと並び称される人です。「文明の衝突」は、冷戦終結後の緊張緩和を期待する世論の傾向に“水を差す”傾向の論調として、一定のインパクトを世界に与えました。しかし、世界の論調としてはその評価は限定的でした。冷戦終結後、一人勝ちのようにみえるアメリカを中心としたグローバル資本主義新自由主義を根本とした世界秩序の形成がますます進行するかのように見えていたのです。

ところが、2001年の「9・11」によって、事態は一変します。国家単位ではアメリカ合衆国にかなう国などないイスラム文明。そのイスラム文明を背景とすると自称するテロ勢力が、アメリカ合衆国の資本主義の象徴である世界貿易センタービルを、航空機というこれもアメリカの世界的影響力の象徴と言えるものをハイジャックし、衝突させることによって跡形もなく破壊するという二重三重に象徴的な事件が発生したのです。この出来事は、ハンチントンが「文明の衝突」で確認し強調した世界認識と、近未来に対する展望をあらためて再認識させることになりました。

2002年の「超『戦争論』の発刊時において、このハンチントンの「文明の衝突」の再認識はひとつのトレンドになりつつありました。この内容については、「超『戦争論』」の中で吉本隆明氏に対する聞き手役を務めている田近信和氏による要約がありますので引用します。

 ハンチントンは、その「文明の衝突」論において、「21世紀の世界は、民主主義によって一つの世界が生まれるのではなく、数多くの文明間に起因する、分断された世界」になり、「この新しい世界において、地域の政治は民族中心の政治に、世界政治は文明を中心とする政治になる。超大国同士の抗争にとってかわって、文明の衝突が起こる」と予測しています。東西の冷戦時代においては、アメリカとソ連という二つの超大国が支配する二極体制だったけれども、「今、現出しつつある世界の力の構造はもっと複雑であり、一極・多極体制」というものであると、ハンチントンは指摘します。一極というのは、現在、唯一の超大国であるアメリカのことであり、現在のような「一極・多極体制」は過去にモデルがなく、この「一極・多極体制」が十年か二十年続いたあと、真の多極体制に移行していくだろう、とハンチントンは予測しています。ハンチントンは、「現在は、文化ないし文明という要素によって国家の行動が決定される傾向が強まり、国家は主に世界の主要な文明ごとにまとまっている」と述べ、現在、世界には八つの主要文明がある、としています。西欧文明、東方正教会文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明が、ハンチントンがいう八つの主要な文明です。ハンチントンは「いかなる文化あるいは文明でも、中心的な要素は言語と宗教」であって、東西の冷戦が終わってから、世界は「文化や文明の境界線に沿って本質的に再構成された」と述べています。そして、ハンチントンは、「新しい世界の最も危険な対立は、異なる文化的な統一体に属する人々の間でおこるだろう」「最も危険な文化の衝突は、文明と文明の断層線(フォールライン)に沿って起こる」と予測するわけです。

この要約を示し、田近氏は吉本隆明氏につぎのように、問いかけます。

アメリカでの同時多発テロ事件のあと、ハンチントンの「文明の衝突」論が注目されたのは、この同時多発テロ事件が、ハンチントンが予測した事態の象徴的な現れである、と見なされたからです。アメリカでの同時多発テロ事件についてのマスコミの論調や知識人たちの解説には、ハンチントンのこの「文明の衝突」論が、少なからず影響を与えているように見受けられます。ハンチントンの「文明の衝突」論については、どう思われますか?

この問いに対する吉本隆明氏の答えをつぎに掲げてみます。

僕は、世界の構図をつくるためには、空間的な視点と時間的な視点、その両方の視点が必要だと考えています。つまり、空間軸と時間軸との二重性でもって、世界を捉えるということです。空間的に見れば、アメリカ、ヨーロッパ、中近東、東アジア、アフリカなどの諸国は、みんな、それぞれの地域性、地域的特色があって、差異はいろいろあります。でも、歴史という時間軸に沿って、「段階」といる観点から見ると、差異だけでなく、共通点もいろいろ見えてくるんですよ

 

この指摘に続いて、吉本隆明氏は「段階」という視点を説明していきます。この視点は吉本隆明氏独自のものですが、説明を読んでいくと本人も認めておられますが、あきらかにヘーゲルマルクスの視点を焼き直したもののように感じます。

たしかにヘーゲルマルクスという、19世紀の西欧に育ち、その思考が20世紀に大きな影響力を持った人たちの思考の特色は、弁証法的な論理で歴史的現実の時間的変化を捉え、歴史はある目的に向かっての進歩であるとする歴史観に特色がありました。その進歩史観を前提として、時間軸に立脚した段階論が成立します。マルクス唯物史観は、その典型です。

もっともこの史観は、ユダヤキリスト教的な思考(ヘブライズム)に典型的にみられる歴史観です。人類の歴史は絶対的な創造神による「神の国」という目的に向かって進行する過程であり、終末における最後の審判によって全ての人が、天国か地獄に振り分けられる。ヘーゲルマルクスの史観は、意識的か無意識かは分かりませんが、結果として「神の国」史観の裏返しであるとの指摘が、ベルジャーエフをはじめとして様々な思想家からからあり、トインビーもその見解をとっています。

19世紀から20世紀にかけての時代の主潮は、 科学の進歩と人類社会の進歩がしっかりと結びつき一致していると信じられていた時代でした。限界がないように思われる科学の 進歩・発展の連鎖は、歴史には目的があり、人間の社会はその目的に向かって進行しているという考え方を裏付けるものとして大きな影響力を発揮しました。「進歩史観」は、西欧における様々な自由を求めての革命運動、また共産主義社会主義の革命運動の基本認識を提供するイデオロギーとして全世界の青年の心をつかみ、歴史の主体者としての使命感を与え、実践を支え後押した原動力であったことは間違いありません。その結果成立したと言って良い、ソビエト連邦とという壮大な文明的実験は、最終的に自由と平等という人間社会に本質的に存在する矛盾点を克服できずに、21世紀を目前に挫折し崩壊しました。

21世紀に入った現在、特に経済活動を中心として、世界全体の一体化が進行する段階に人類はさしかかっており、世界全体を捉える視点が必要条件となっています。改めて、確認するまでもないことですが、人間社会全体の認識のためには、地理学に象徴される空間の広がりを通しての認識、もう一つは歴史学に象徴される時間軸を通しての認識があります。空間の広がりからみる認識と時間軸に立って事象の経過をみる認識は、人文、社会、自然の科学に共通の人間の認識の基本です。古来、いかなる時代のいかなる認識でも、この二つの観点が貫かれていると言って良いと思います。

ハンチントンの「文明の衝突」は、冷戦終結ソ連崩壊後の国際情勢を、地球全体を俯瞰して把握し、その根本構造を示そうとしているものであり、空間的な認識が先行するのは当然であると思います。したがって「段階」論という時間軸がないという吉本隆明氏の批判は、批判のための批判とは言いませんが、自身の段階論の論理に対する思いが優先しており、「文明の衝突」に対する本格的な批判になっていないと思います。

この時「文明の衝突」が話題になったのは、イスラム世界をバックにしたテロリストたちが引き起こした衝撃的な事件を通して、その動機を探る中で行き着いたイスラム文明と西欧文明との対立構造を巡る関心を通してでした。「文明の衝突」をよく読んでいくと、ハンチントン論議の主眼は「文明」という視点の設定にあることが見えてきます。社会主義陣営と自由主義陣営の対立構造としての“冷戦”の段階が終了し、つぎの時代に向かっての視点を構築する上で、ハンチントンが現段階の世界の構造を捉えるための視点として「文明」という視点を設定したことの有効性をまず検証してみたいと思います。