トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

感想 『ヘレニズム』(城川)

感想 『ヘレニズム』(城川)
 
「ヘレニズム」を再度読了する。トインビー博士のこの書物は、ホーム・ユニバーシティ叢書の一冊として、岳父ギルバート=マレーの推薦によって、トインビー博士が1914年以前に執筆に取りかかったものであるが、途中二つの世界大戦やトインビー博士自身の「歴史の研究」の執筆等の事情によって中断され、ギルバート=マレーの死亡後の1959年に刊行されたものである。この段階でのトインビー博士は、「歴史の研究」全巻の発刊によって全貌を見せたトインビー史学に対して、一般読者からの好意的受け取りに反して、専門歴史学者を先頭に感情的ともいえる反論、論難がわき起こっていた時期であり、本書は単に、一般読者を対象とした平易な概説書という基本的前提を超える重要な意味を持つことになった。
 「歴史の研究」に於けるトインビー史学の根本テーマは「文明」単位の歴史の捉え方であり、その「文明」の比較・対照である。さらに文明と文明の接触によって、現在にまで人類社会に大きな広がりと影響を持つ「高等宗教」が成立するという視点であり、「文明」と「宗教」という語句にトインビー史学の意義が象徴されると言って過言ではない。その諸文明の比較の前提もしくは標準となっているのが、ギリシャ、ローマを一体の文明とする「ヘレニック文明」である。トインビー史学においては、諸文明を比較する指標として「ヘレニック文明」の各段階の歴史的事実が、縦横無尽に用いられる。したがって、この「ヘレニズム」という著書は、英文の題名が「Hellenism:The History of a civilization」であり、”The History of a civilization”という副題は、副題を超えた重要な意義を持っていると思われてならない。「ヘレニック文明」は、その成立から成長、挫折、崩壊まで一貫してみることができ、いわゆる「古典古代」として、現在、世界的な規模で覆い、圧倒的な影響力をもっている「西欧文明」がその模範(classic)とした時期がある文明である。15世紀以降、ルネサンスにおいて蘇ったとされる「古典古代」は、その後の西欧の歴史において、美術等の分野において影響を与えたが、ギリシャ・ローマの古典探究を中心とした「人文主義」は特に西欧の学校教育のカリキュラムに強い影響を与えることになった。その一つの典型例が19世紀にいたるイギリスのパブリックスクールの教育であり、その中でもウィンチェスター校からオックスフォード大学へのコースを、自他ともに認める優等生として進んだトインビー博士にとっての人格の根幹を形成する教養そのものであった。本書を一読してまず最初に感ずるのは、概説書、通史というかたちを取っているが、専門書のレベルの考察が正確になされており、執筆の基盤となっているトインビー博士のヘレニック社会に対する知識と見識の深さをあらためて感ずることになる。特に、トインビー博士の著作に共通することであるが、地理的な知識のレベルが深く、正確である。前書きにトインビー博士自身が、この著作で扱っている地域の中で、実際に訪れたことのある地域を列挙されているが、殆ど全ての地名が網羅されている。文章を読めば実感されるが、「現地を訪れ自らの五感で対象をつかむ」ことを、ほぼ100パーセント実行されている。本当に賞賛に値することと言わねばならない。
 記述された「ヘレニズム」は、通史としては超一流の内容である。私自身、学生時代以来、古典古代・ギリシャ・ローマの通史を多数読んできたが(世界史の教師として当然であるが)、このトインビー博士の「ヘレニズム」は間違いなく、この時代に関して最高の「通史」である。その理由としては、従来のいわゆる「通史」は、執筆者の専門分野の影響をどうしても受けてしまう。法制史、政治史、経済史、文化史、宗教史等、それぞれの執筆者が通ってきた学問世界のルートが、総合的に記述しているつもりでも、微妙な偏りとして文章記述の上にあらわれてしまう。読む側からすれば、一目瞭然である。それに対して、トインビー博士の記述は、あくまでも歴史形成の主体としての人間、社会を構成する人間と人間のネットワークの結節点としての人間に焦点をあて、人間生活の基本としての経済活動、その活動が展開される枠組みとしての政治活動、社会規範の具体的展開としての法、一人一人の市民が具体的な行動を選択する上での精神的な基盤、哲学、思想、宗教のかかわりと役割を、あくまでも一人の人間に即して記述していく。そのバランスは本当に見事である。分かり易いと同時に、本当に深い。特にトインビー博士の文明比較の根拠としての「哲学的同時代性」が、具体的な事例を通して明確に理解できる。いわゆるトインビー博士の「ツキディデス体験」、1914年の第一次世界大戦勃発時にオックスフォード大学でツキディデスの著作を講義していたトインビー博士が感じた感覚、「ヘレニック文明」と「西欧文明」が同じ「Break Down 」(挫折)の段階にさしかかっているといる感覚。その内実を具体的な史実の記述によって理解することができる。
また、第二次世界大戦後に、「歴史の研究」の記述の上で顕著になってくる視点の変化。「高等宗教」は「文明」を育む「蛹」ではなく、むしろ「文明」の興亡は「高等宗教」を生み、発展させていくためにあるという視点を証明する具体的事実としてのキリスト教大乗仏教成立の経緯についても、具体的な歴史の事実によって明確にされている。通史の強みは、事実を時系列で流れとして扱うことによって生じる明確さだと思うが、「高等宗教」の成立という大きなテーマ、従来の通史では政治・経済の流れとは別個に扱われ、社会的な意義が今ひとつはっきりしないテーマが、同時代の人間社会の全ての要素とのつながりの中で扱われ、人間社会での「宗教」の意味が明確に見えてくる。トインビー史学の一番重要な強調点を自然に理解することができる。
 さらに、トインビー史学の基本的な立脚点としての人間主義、「人間社会における根本的罪悪としての社会的不平等と戦争」を悪として認識し、反対していく視点が一貫して通奏低音のように事実の記述の背後に流れている。近代における歴史学は、あくまでも「科学」として客観性を要求し執筆者の価値判断を排除する。しかし、トインビー博士はかつて「人間性に反する行為をあたかも客観的な出来事として淡々と書いていくことは私にはできない」として、ギリシャ軍によるトルコ人の虐殺の記事を、英国のマンチェスター・ガーディアン紙上に書き、結果としてロンドン大学教授を辞職せざるを得なくなる経験をされているが、この「ヘレニズム」の文章の中でも、その視点は一貫している。この時代を扱った著作に、プルタルコスによる「対比列伝」いわゆる「プルターク英雄伝」があるが、トインビー博士の記述の中においては、ことさらに英雄視することなくバランスをもって取り上げられている。
 
p15,L17~
・・・文明におけるヘレネスの実験は、たとえなんの残存効果がなかったとしても、人類史の魅惑的な挿話であったといえよう。しかし回顧してみると、われわれは、キリスト教大乗仏教、および他の高等諸宗教、特にカナンとインドにおける、ヘレニズムと同時代の二つの文明とヘレニズムとの出会いから生じたイスラム教と仏教以後のインド教の観念および理想におよぼしたヘレニズムの貢献には、後代の人びとにとって意義と価値があるということを、今や知ることができる。これらの高等宗教は、今日の人間生活における最大の精神力であって、ヘレニズムは、それらに及ぼした影響のうちになお生きている。高等宗教に対するヘレニズムの貢献は、消極的でもあり積極的でもあった。その最大の消極的貢献は、人間崇拝の欠陥を悲劇的に証明したことであり、その最大の積極的貢献は、受肉という反ユダヤ的観念をユダヤ教へ注入することを通して、キリスト教を呼び起こしたことであった。
 
p14.L10~
・・・ついにはヘレネス社会の半分の魂をとらえたキリスト教ユダヤ教の変形であった。そして、この変身はユダヤ人からみれば、ユダヤ教が護持したもののまさに正反対のものであったヘレネスの観念を、ユダヤ教に注入することによってもたらされたのであった。キリスト教の信仰によれば自身の姿に人間を創造したイスラエルの神は、受肉して人間となった自分自身によって、その被造物たる人間のための救済手段をも用意した。ユダヤ人にとって、神の受肉というこの革命的なキリスト教の教義は、ヘレネスの異教におけるすべての誤謬のうち最もいまわしいものの一つである神話を、冒涜的にユダヤ教の内にもちこむことであった。これは、神性についての人間の表象をきよめ高めるための、長期の、そして困難な苦闘のうちにユダヤ教が達成したあらゆるものへの裏切りであった、正統派のユダヤ人ならば、だれもそれをすることはできなかったであろう。この大罪は、紀元前最後の世紀のはじめの頃におけるガリラヤ地方のユダヤ教への改宗以前の千年紀の四半期のあいだヘレネスの影響下にあったガリラヤ人によってのみ犯されえたものであろう。キリスト教の教義と観念へのヘレニズムの影響は実に深いものであった。なぜなら、神は人間になることにおいて、人間の逃れることのできない運命である苦悩に自己をさらしたからである。なるほど、人間崇拝のうちに隠されている苦しむ神という表象がヘレネスの人間崇拝者たちによってしりぞけられたことは事実である。聖パウロは、十字架にかけられたキリストというのは、ユダヤ人にとって躓きであるうえに、ヘレネスからみれば、愚劣だということに気づいていた。ヘレネスの論理は、この点においては、女と農民の下層社会の宗教に対するヘレネス教養人の軽蔑に屈服した。しかしながら、受肉というヘレネスの観念のユダヤ教への注入は、その悲劇的な死と勝利の復活とがヘレネス社会の巨大な下層の人びとの心に対する支配力をけっして失ってはいなかった神の崇拝を、今度はキリスト教においてふたたび表面に持ち出すという効果をもたらした。・・・・・・