トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「西欧文明は世界国家の段階にあるのか?」・引用「西欧の歴史と前途」歴史の研究再考察 P967

城川コメント:この部分のトインビー博士の記述は、最終的にはトインビー博士の文明を単位としてみてきた世界史にとって、決定的で重要な視点の転換になっています。まず第一に現在、地球全体を覆うかたちで展開しているのは16世紀の地理上の発見にはじまる西欧文明であり、この文明に他の文明からの様々な要素が流入し融合することによって、全人類は歴史上はじめて「世界文明」の時代に入ろうとしています。ここに従来の文明が辿ってきた「誕生」「成長」「挫折」「動乱時代」「世界国家」「崩壊」という段階を、現在の西欧文明を「足場」として構築中の「世界文明」にあてはめてみると、はたしてどの段階にあるのでしょうか。この段階を考える上で決定的に重要なことは、この西欧科学技術文明の発展によって人類は、「戦争」という制度を廃止する前に、全人類を滅亡させることのできる最終兵器としての「核兵器」を手にしてしまったということであり、したがって従来の文明が辿ってきた「動乱時代」「世界国家」という道は、現代においては全人類の滅亡への道であるということです。ここにおいてトインビー博士は、今の西欧文明がどの段階にあるのかということを見極めることは、現在姿を見せ始めた「世界文明」の行く末、言い換えれば人類の運命を見極める上で重要な意味を持つと指摘されています。その指標として「歴史の研究」の中で動乱時代のスタートとなる「break down(挫折)」を西欧の歴史のどこに設定すべきか。可能性のある歴史的事件を4つあげておられます。そして、最終的には「生存の道」を選ぶか「滅亡の道」を選ぶかの鍵は「人間の選択」にかかっているとの結論を出されています。この段階において重要なことはこの現代の「世界文明」の未来は決まっていないということであり、文明の未来はどこまでもオープンエンドであり、最終的には人類の選択にかかっているということです。ここにトインビー博士の「人間史観」の真骨頂があると思います。しからば、人類は何をなすべきか。トインビー博士の実質上最後の著作、「21世紀への対話」に、トインビー博士自身がつけられた題名は「Choose Life」であるということは深い意味があると思います。」
 
 われわれの知っている文明の大多数の歴史のように、西欧の歴史は今日まだ完結していない。それ故多くの可能な道を示唆するという形であっても、その前途を予想しようとすることは危険である。今日までの西欧史の型が、たとえばヘレニック文明やシナ文明のような他の文明――その歴史が終わり、したがって最初から最後までわれわれに判っている文明――の型とだいたい同じであるという確信が持てるとしても、人間事象の進路はあらかじめ決定されているのではなく、また必然ではなく、それ故過去の型は未来についての予言の根拠にはならないという私の主張が正しいとすれば――私は正しいと信じているが――、西欧史の未来の進路がヘレニック史やシナ史の道を辿ると予想すべき根拠はないであろう。このことが正しいとすれば、西欧文明がヘレニック文明やシナ文明のように世界国家になろうとしているかどうかを予言することはできないのである。そして、西欧事象の未来の進路がその時点までのヘレニック文明やシナ文明に共通の型に従うとして、西欧の世界国家がローマ帝国西部諸州に於けるヘレニック世界国家のように短命に終わるか、それともシナ世界国家のように長く続くかどうかを予言することはできないのである。
 
 われわれの生時に西欧と、そして西欧と共に世界が入った原子力時代には、世界国家を再び樹立することはできないように思われる――少なくとも標準な方法で。それ故その方法が生み出す標準的な形の、世界国家を樹立することはできないように思われる。過去に於いては、相次ぐ戦争の結果すべての強国が倒されて、ただ一つの勝者が勝ち残り、世界国家が樹立された。原子力兵器以前の時代に於いてさえ、政治的統一に達するこの方法は極めて破壊的であったので、――物質的破壊にとどまらず、さらに心理的に破壊的であったので、――この恐るべき経験を経た文明は治癒し難いほどの損傷を受けて現れるのが普通であった。原子力兵器の時代には、最終ラウンドまで残る国は一つもないであろう。勝者はなく、すべての交戦国はひとしく滅びるであろう。そして原子力戦争の第一ラウンドでさえ、交戦国だけでなく文明と人間と、そして多分この惑星上のすべての生物を抹消してしまうかもしれないのである。そうだからといって、人類は統一に達することができないということにはならない。史上初めて全人類が軍事面に於いて統一された現在、われわれが直面している選択は、統一まですすむか、それとも破滅するのかのいずれかである。社会が再び力によって統一されることはあり得ないように思われる。未来の戦争に於いて使われる力は原子力であり、それは社会を絶滅して、統一すべきものを何一つ残さないが故に、力による統一はあり得ないように思われるのである。
 
西洋文明の「挫折」は、どの時点か?
 
○「この世界の主要な制度は都市国家になるであろう」との推測をしても正しい...紀元14世紀初頭に西欧世界を眺めた観察者
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○当時北イタリアと中部イタリアの都市国家は地中海の商工業を支配していた。
ハンザ同盟市はバルト海スカンジナビアを支配していた。
○フランドルの都市国家はイギリスと北フランスの経済における強い力。
○中世西欧の歴史の初期から残存してきた鄙びた王国は、発芽しつつある都市国家組織の優位のもとに没落し、結局そのなかに吸収される運命にみえる
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○ヘレニック史を知っている観察者は、これはヘレニック史の辿った型であると想起するであろう。
○そのことは西欧史の型も同じものになるであろうという彼の予想を強化したかもしれない。
ヴェネツィアジェノアの間のチオッジャ戦争〈1378~81〉〔この戦争で勝利を収めたヴェネツィアは、地中海および近東貿易の覇者になる〕は、
 ヘレニック文明の挫折を示した紀元前431~404のアテネペロポネソス戦争に対応するものと考えることができる。
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○ところが14世紀が終わらないうちに、中世西欧世界の都市国家は、つい先頃その明白な運命であると思われたものを失っていた。
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○15世紀が終わる頃までに、西欧世界の主要な政治制度は都市国家ではなくて、都市国家の能率と活力を吹き込まれて旧式の封建王国から作り出された
 民族国家であることがいかなる観察者にも明らかになった。
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○さらに2世紀が経過すると、14世紀初めにあのように確かなもののように見えた西欧の未来像は錯覚であったことが証明された。
 
 「挫折」と「解体」の観点から考える時、今日までの西欧史のなかに、それぞれ特定の年代を持ち、西欧史の或る特定の時点から眺める時、そのいずれもが西欧文明の「挫折」と「解体」の徴候を示すものと見做すことができる幾つかの歴史的な型があったことがわかる。
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○14世紀のフランドルや北イタリアの都市国家のように、中世西欧世界の都市国家組織を西欧世界全体と同一視しても差し支えないとすれば...
西欧文明の挫折の時期は14世紀最後の25年間に置かなければならない(ヴェネツィアジェノアの間のチオッジャ戦争〈1378~81〉)
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○ここに西欧文明の「挫折」の時期をおくと、およそ千八百年の間隔をおいてヘレニック史の年代と殆ど正確に対応する
○両文明の「成長期」はおよそ七百年(ヘレニック史では紀元前約1125~425、西欧史では紀元約675~1375)続いたことになる
 それぞれの「挫折」は、紀元前5世紀の終わりと紀元14世紀の終わりに起こったことになる
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○それに続く「動乱時代」はどちらの場合もおよそ四百年続いたことになる
 ※ヘレニック史の場合は B.C.431~B.C.31、西欧史の場合は1379~1797
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○「動乱時代」は「世界国家」の樹立によって終了する
 ※ヘレニック史の場合はアウグストゥスによる元首政(実質の帝政)の開始
西欧史で対応するものはナポレオンの業績。政治的統一を押しつけることによって、挫折した都市国家組織に平和をもたらした
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○しかし、ヘレニック社会の歴史と中世の都市国家組織の歴史の間には著しい相違点がある。そして西欧史のこの挿話の非ヘレニック的性格は、西欧都市国家組織の挫折は西欧世界全体の挫折と同じではなかったこと、したがってその瓦解は西欧史の終末ではなかったことを明らかにしている
 
中世西欧の都市国家は、アレクサンドロス以前のヘレニック都市国家および孔子以前の中国の諸国家と、もう一つの重要な経験を共通に持つ  
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文化的にはより低い水準にあるが、より高い軍事力を持ついくつかの国によって包囲されていた
 
この周辺の成り上がり者の強国は、イタリアとフランドルに対するヘゲモニーを巡って争った。それはちょうどアレクサンドロス以後のヘレニック世界の強国がエーゲ海シチリアに対するヘゲモニーをめぐって争ったのと同様であった。
※アレキサンドロスのディアドコイに相当すると認められるものは、カルル5世(スペイン連合王国のカルロス1世。ドイツ皇帝カルル5世として在位 1519~1556。ハプスブルク全家領とネーデルラントを相続)とフランソア1世(フランス王。在位1515~1547.イタリアに領主権確保をのぞみ、カルル5世との間に四回にわたるイタリア戦役を戦ったが、結局失敗)とヘンリー8世(イギリス王。在位1509~1547。前二者と結びあるいは戦う)
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○しかし、ここで二つの歴史は決定的に異なる方向をとる
 
※ヘレニック史の流れの中では、周辺の新しい強国の一つであるローマが、ヘレニック史の「動乱時代」の始めから263年と経たないうちに――動乱時代の開始をB.C.431年とするならば――競争者をすべて打倒もしくは支配することに成功した。そしてそれ以降挑戦者のなかったローマの力は、ピドナにおけるマケドニアの敗北後百三十七年、アクティウムにおける勝利によって、エウフラテス河以西の全ヘレニック世界を政治的に統一したアウグストゥスの手中にあった。
 
※ナポレオンはフランスの力を自由に使うことができた。しかしフランスはそれまでに西欧世界で生き残った唯一の強国になることに成功していたわけではなかった。       ▼
ナポレオンの帝国は短期間しか続かなかったにもかかわらず、その歴史的使命を果たした。しかしその使命はアウグストゥスの帝国の使命とは全く異なっていた。それは中世西欧の都市国家の破片をを、17世紀末葉の精神的知的革命によって生み出された近代西欧世界に再び吸収することであった。流産した西欧の都市国家組織のこの最終的一掃は、西欧文明の一掃を意味するものではなく。それは西欧文明を強化した
 
○以上の考察(P972~974)は、中世西欧の都市国家組織の興起と没落は、西欧史における従属的な挿話であり、したがってその挫折と解体は西欧世界全体の挫折と解体を意味するものではないことを示している。しかしこの結論は、全体としてのこの社会はすでに同様に挫折しているかもしれないという問題を残している。
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○われわれは西欧史の主流のなかに西欧文明の「挫折」を示しているかもしれないいくつかの出来事を考えることができる。
1)その一つは宗教改革....それまで教皇の主宰の下に西欧が享受していた教会の統一を破った。西欧キリスト教会連邦は、その時までの西欧キリスト教世界の主要な制度であった。したがってそれが宗教改革によって破壊されたことは、西欧文明の「挫折」を示すものと考えることができるかもしれない。
2)或いはまた、その「挫折」を示すものは、後の十六世紀におけるカトリックと新教の宗教戦争――国家間の戦争ならびに内戦――の勃発かもしれない。なぜならこれらの戦争に於いて宗教革命は暴力と苦悩という収穫を刈り入れたからである。
3)西欧文明の挫折を示すと考えられるもう一つの時期は、西欧の総力戦時代の始まりを画した1792年のフランスの民衆蜂起
4)もう一つは1914年の第一次世界大戦の勃発。
この戦争によって、カルノーの時代以来産業革命が作り出した武器を、総力戦が使うことになったのである。
5)もう一つは最初の原子爆弾が投下された1945年であろう。
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○これらのそれぞれの時期が、西欧文明の「挫折」を示すものと見做される理由を十分に持っている。
 しかしこれらの相争う主張は、どれ一つとして1961年に位置する観察者によって承認されることはないであろう。
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※すでに衰退し没落した文明の衰退と没落の比較から過去に何度も起こった解体の型が現れる。これらの衰亡を通観するとき、
過去に於いて一文明の「挫折」とその「世界国家」の樹立の間の通常の間隔はほぼ四百年であったことが判る。
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この間隔が過去においてしばしば見られたということは、他の未完の文明の歴史に於いても同じ時間的な型が再現するもしくは再現しようとしているということの推定証拠にはならないのである。〔歴史における機械的法則の明確な否定
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しかしこの点を留意するならば、この尺度――われわれの所有する唯一の尺度――を西欧の場合に適用して、それがどのように役立つかを調べることは多分正当であろう。
 
★「挫折」から「世界国家の成立」まで約400年という、文明の経験則を西欧文明にあてはめて検証してみる
 
挫折」と認められる可能性のある西欧文明の歴史的出来事から約400年の出来事は?
※今日(再考察執筆当時1961年)までに、「西欧世界国家の樹立」がすでに既成事実となっていることが必要だがその事実はない
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実際この世界国家は、二度の世界戦争の結果ドイツが樹立したかもしれないものであった。しかし二度ともドイツは敗れ、しかも二回目にはその敗北は第一回目よりも破滅的だった
城川コメントECCからECそしてEUへの動きをどう考えるか。1961年当時はその萌芽はあるが、まだ具体的になっていない。実際に現在のEUをみると、エマヌエル・トッドの表現では経済的には実質の“ドイツ帝国”である。ただ成立の過程は、軍事力による強制という、従来人類史のなかで繰り返された方法ではなく、理性に基づく合理的な話し合いが基本であった。トインビー博士が指摘されている核兵器出現後の人類の歴史の一つの重要な事例であると思われる。ただ、現状の民族主義に基づく各国の“反EU”の動きは、トインビー博士の人間史観の根幹をなす“宗教”もしくは“宗教の不完全な代換物”の意味をしっかりと例証している。〕 
2)十六世紀におけるカトリックと新教の宗教戦争
※この時から400年後に「世界国家」の実現が起きるとすれば、1960年代後半か1970年代前半に西欧世界国家が樹立されると予想しなければならない。
 しかし、現実の可能性としては、このことはすでに遅すぎるのである。何故なら1945年に原子力兵器が発明されており、原子力戦争の手段による統一は、社会そのものを絶滅させるが故にこの発明は西欧社会もしくは他のすべての社会を力ずくで統一することを不可能にしたからである。
 
城川コメント核兵器出現後の人類の歴史は、それまでの歴史における戦争という紛争対応の方式に心理的な強い制限をかけることとなった。この点につてはこのあとにトインビー博士の人間史観による深い洞察が続く〕
 
3)1792年のフランスの民衆蜂起
4)1914年の第一次世界大戦の勃発。
5)最初の原子爆弾が投下された1945年
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※結論は否定的であるように思われる。われわれは西欧世界国家の樹立を示すかもしれない時期として五つの時期を考えた。すなわち、ナポレオン時代、二度の世界戦争にまたがる時期、1970年の直前直後の時期、もっと将来の二つの時期――2192年頃(つまり1792年プラス400)と2134年頃(すなわち1914年プラス400年)――である。この五つの推定的な予想の最初の二つは、予想した時期に期待される事件が起こらなかったことによってすでに信頼性を失った。あとの三つは、原子力兵器の発明に先を越されたために問題にならなくなったように思われる
 
○今日までに西欧世界は近代において世界国家のなかに力ずくで統一される脅威を二度にわたって免れてきた。そしてそのいずれの場合に於いても同じ原因によって免れたのである。いずれの場合にも、統一の企てがなされる前に西欧世界は、大きな規模に拡大していて、これらの企てを望みのないものにしたのである。
 
○ナポレオンの時代に西欧世界がまだ西ヨーロッパに限られていたならば、ナポレオンのフランスは、フランスそのものと同じくらいの力をもつ同時代の他のヨーロッパ列強――ドナウ・ハプスブルク王国、大英帝国、プロシャ――を倒すことによって、力ずくで西欧を統一することに成功したかもしれない。             ▼
 ナポレオンのフランスの力をもってしてもナポレオンの事業が無理であった理由は、ナポレオンの頃までにフランスと対抗する列強との競争はすでに約300年続いており、その間に西欧はその境界を拡大していたことであった。
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 東方では、非西欧国であるロシアが西欧の軍事的政治的闘技場に足を踏み入れ、力の均衡に新しい重みを投げ入れていた。
 西方では、イギリスが海洋に対する支配を獲得し、したがって15世紀末から次第に西欧に付け加えられていた広大な海外の領土の資源を支配することによってその力を著しく増していた。  
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 ナポレオンが失敗したのは大陸ヒンターランドを持つロシアと海外のヒンターランドを持つイギリスの両方を相手にしなければならなかったからである。
 
ドイツがに二度の世界戦争に於いて失敗したのも、ナポレオン戦争におけるフランスの失敗と同じ原因によるものであった。
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 1815年から1914年までに経過した百年間に於けるリオ・グランデ河以北の北米の開発と発展は、西欧世界の海外の部分の潜在戦争能力を、ヨーロッパの一国或いはヨーロッパ諸国を合わせても匹敵できないような水準に高めていたのである。
 
第二次世界大戦が終わる時までに、西欧世界の拡大は通信と戦争という技術的な面で極端に進んでいた。これらの面では、西欧の方式はその時までにこの遊星上の居住可能、通行可能な全表面に拡がっていた。同じ時までに新兵器が発明され、そのために西欧史上初めて西欧の一国が今や世界そのものと同じ拡がりを持つようになった西欧世界をさえ力ずくで統一することが可能になったのである
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しかし、この新兵器はすべてを破壊する原子力兵器であったので、一つを除くすべての競争国を排除するという旧態依然たる目的にこの兵器を使いうる条件は、使用国がこの新兵器を単に所有するだけでなく、それを独占していることであった。1945――9年の間にはこの条件は満たされていた。この頃には合衆国が、そして合衆国だけが、原子力兵器を所有していた。
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 ドイツもしくは日本が原子力兵器を所有し、しかもそれを独占して第二次世界大戦に勝っていたならば、この無類の軍事的好機を利用して、今度はは文字通り世界的な世界国家を伝統的な軍事手段によって樹立したであろうとわれわれは推測する。
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 合衆国官民はこういうことをしなかったし、またその気にもならなかった。……合衆国に続いて今度はソヴィエト連邦が1949年に原子力兵器を手に入れた時、世界国家樹立の可能性は失せた。その時以来、この武器は人類に政治的統一を押しつける実際的な手段ではなくなり、文明と人類と生命そのものの存続に対する脅威になったのである
 
○こうして、力ずくで統一を押しつける可能性の消滅は、同意によって統一を達成することを人類の死活問題にしたのである。1949年という年は、人類の歴史に於いて一つの新しい時代を開いた。その時までは、旧石器時代の中頃に、人類がこの遊星上の他のあらゆる種類の生物と非生物的に対して決定的な優位を占めて以来、人類の存続は保証されていたのである。その時から1949年までの間、人間の犯罪と愚行は文明を破壊し、無数の男、女、子供に不必要不当な苦しみをもたらすことができ、また実際にもたらした。しかし原子力時代以前の技術をもって人間がなし得る最悪のことも、人類を破滅させるには十分ではなかった。原子力兵器が発明されるまで人間は少なくとも大量殺戮をおこなうことはできなかった。ところが依然として多くの地方国家に政治的に分割されている社会で、その社会が依然として相互に戦う習慣を持っている時代に、原子力兵器が発明され、それを一つ以上の国が手にいれたのである
 
合衆国ならびにソヴィエト連邦による原子力兵器の入手から発生する先例のない情勢は、国民ならびに政府の精神と想像力を強く動かしたようにおもわれる。
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 1946年から1961年にかけて、過去に於いて戦争に発展したに違いないと思われる多くの国際的な事件や危機が平和を破ることなく克服された。
 そして朝鮮とヴェトナムに燃え上がった局地戦は、交渉によってどちらの側にも不満足な条件で停止された。このことは、原子力戦争の脅威の下で、政府も国民も敵国との外交関係の遂行に於いてより慎重になり、不慣れな自己抑制をおこなうように訓練されたことを示している。そして今度はこのことが、「共存」の継続をより可能性のあるものにした。両方の側が単なる共存を、二つの悪のうちの比較的小さい悪として不機嫌ながら受け入れたことは軽蔑してはならない恩恵であった。それは少なくとも一時的な猶予を人類に与えることを約束した
 
○以上の考察は、合衆国とソヴィエト連邦によってそれぞれ支配される二つの勢力圏の共存状態を、両者が不本意ながら認めることは良いことであるということを示している。しかしこれは、人類が満足することができる状態ではなかった。それは一時的な猶予でしかなく、しかもあてにならない猶予であった。政府と国民が原子力戦争を始める希望もしくは意図を持っていなかったとしても、戦争の偶発の可能性はあった(たとえば、下級将校が命令を誤解し、もしくは冷静さを失って偶発戦争を引き起こす可能性)。
また原子力兵器の製造がますます容易且つ安価になるにつれてそして多くの国が次から次へと少なくとも少数の原子力兵器を備えることに成功するにつれて、原子力兵器の発射が無責任な犯罪者や狂人によっておこなわれる可能性があった。それ故、国際的な協約による積極的な措置が絶対的に必要であった。
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○必要な第一歩は、例外なしにすべての国が新しい原子力兵器のこれ以上の実験を止めることであった。
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 このために当然必要なことは、すべての国にこの自己否定的な命令を忠実に履行させるために、査察を含む有効な国際管理の方式を確立すること
あった。                 
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 次の措置は、合衆国とソヴィエト連邦以外のいかなる国も原子力兵器を所有しないという――これまた履行を確実にするための有効な取り決めを伴う ――協約であろう。                     ▼
 その次の措置は、ソヴィエト連邦と合衆国事態も原子力保有クラブに加わることであろう。
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○そうした一連の国際的な協約は、原子力戦争(核戦争)の危険を払いのけるかもしれない。しかし人類の福祉のために原子力の利用を規制するという問題が依然として残るであろう。       
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 軍事的な分野で何がおこるにせよ、或いは起こらないにせよ、建設的平和的な目的のための原子力の利用が急速に増大することは確実であるように思われた。                 
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 しかしこの利益は代償を伴う。原子の分裂から生まれるものは善のためにも悪のためにも強力であるばかりではなく、どのような目的に利用されよとも有毒であった。原子エネルギーの開発が解き放った毒からこの遊星上の生命体が汚染されるのを防止するためには、入念な高価な予防措置が必要であった。           
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 そしてこの潜在的な脅威が、原子力の平和利用を既成するための、世界的な管轄権を持つ国際的な権威の樹立を要求したのである。
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 そのような取り決めが実施されるとき、それを実施する権威もしくはそうした権威を持つ機関の集合組織は、実際のところ人類の最も緊急な共通問題を処理する権限を与えられる世界政府であろう。
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○過去の世界国家の政府と違って、この世界政府は、仮説によって、力ずくで押しつけられるのではなく、同意によって樹立されるであろう。しかしそれでもそれは世界政府なのである。原子力時代には、究極的な大量殺戮に代わる唯一の可能な方法は、少なくともこの相互の同意による世界政府であるということに意見が一致するならばこの結論は重大な問題を提起するであろう。
○物理的自然に対する支配力の突然の、不吉な増大に内在する致命的な可能性から、人類が自らを救うために突然必要になった革命的な新しい制度を創造する力を、人類は紀元二十世紀の後半に所有していたであろうか
 
城川コメント:二十世紀最終盤でソ連ゴルバチョフによるグラスノスチペレストロイカ、それに続く奇跡とも思われる冷戦の終結ソ連邦の解体、ロシアの復活、アメリカとの核兵器削減の取り組み、トインビー博士がご存命なら何と思われコメントされたであろうか。また、この趣旨を世界的な宗教運動として展開され、毎年のSGI提言として具体的提言をつづけらている池田大作先生。トインビー博士との対談「21世紀への対話ゴルバチョフ氏との対談「20世紀の精神の教訓」を含めて世界の知者よ刮目せよと、声を大にして叫びたい〕
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○必要とされる力は二種類――知的な力と道徳的な力――であった。そして現代の人類は必要な知的な力を全に十分にもっているのであった。
 人間の知力は、人類の共同作業を組織する社会的技術を、その補助になる交通の物的手段に必要な物理的技術を提供して、世界政府の実現を可能にした
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○道徳的な力は限定的な要因であった。したがってこれが要点であった。個人間の協調を作りだすために要求される少量の善意が個人の魂のなかになければ、最も小さな規模の協力でさえ不可能であろう。こうして、人類の道徳的な力が十分であるか不十分であるかということが、今や人間の手に入った大きな新しい物質的な力が、善のために用いられるか悪のために用いられるかを決定するであろ
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○この問題は、一般的に人類共通の人間性に関して問われなければならなかった。しかし二十世紀の状況のなかでは、西欧文明によって人間性に誘発された習慣と物の見方に関して特に問われなければならなかった。この文明は過去五千年の間に人間が作り出した多くの文明の一つにあるにすぎないということは事実であった。精神的な面では、西欧文明はこれまでのところ人類の少数者によって採用されたにすぎない。そして1683年のオスマンリの第二次ヴィエンナ包囲の失敗以来、西欧が享受してきた他の世界に対する技術的軍事的政治的経済的優位を、西欧は1917年のロシアに於ける共産主義革命以来
急速に失いつつあった。1961年までに、西欧の嘗ての優位は明らかに過ぎつつあった。しかしそれまでの二百五十年間に西欧のこの一時的な優位は他の世界の上に刻印を押した。そしてこの刻印は、西欧の優位が消滅した後も長く残るように思われたのである
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○西欧はその短い支配期に技術面で世界を統一した。そしてその統一の過程はこの面に限られるものではなかった。何故なら、技術は軍事的技術を含んでおり、この軍事的技術は今や原子力兵器を作り出したからである。技術を発明することは困難なように見えるが、これを模倣によって発明者から習得することは比較的容易である。技術の優越に基づく優位は、それ故消耗資産である。西欧の優位が退潮しつつある理由は、ロシア人に始まるが、決してロシア人に終わらない非西欧諸民族が西欧起源の武器や他の道具の利用と習得に於いて西欧に劣らなくなったからであった
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○しかし非西欧民族が利用してきた西欧文明の要素は西欧の技術だけではなかった。彼らの大部分は、西欧の科学を修得することなしには西欧の技術を習得することはできないことを悟った。    
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 しかし西欧化をめざす人々は、西欧からの借用を、西欧科学とその実際的応用に限らなかった。
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 彼らのなかには、西欧のイデオロギーに改宗した者もいた。インド人が採用した議会イデオロギーならびに、ロシア人と中国人が採用した共産主義イデオロギーはイギリスで作られた(カール・マルクス共産主義を製造した工房は、大英博物館であった)。議会主義と共産主義は政治制度である。
 しかし、それはまたそれ以上のものでもある。西欧の技術が西欧の科学を含んでいると同様に、西欧の政治制度は西欧の道徳的理想――相争う制度のなかに反映される相争う理想――を暗に含んでいるイデオロギーと理想は、その歴史を或る程度考慮することなしには理解することも評価することもできないのである。それ故、二十世紀に於いて全体としての世界の前途を評価するためには、西欧の精神史を考慮しなければならないのである
 
○西欧社会は、二十世紀の中頃までに、先行するヘレニック文明の瓦解に続く社会的文化的空白期から出現して以来、多くの異なる面に於ける多くの革命を経てきた。これらの相次ぐすべての西欧革命のうちで、今日までのところおそらく最も決定的で最も意義深いものは、17世紀末の精神的革命(注1である。ともかくこれは、二十世紀に於いて西欧そのものだけでなくその他の世界に最も継続的影響を及ぼしている革命である。
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 17世紀の革命は西欧文明に新しい形と、そしてとりわけ新しい精神を与えた。それが史上初めて非西欧文明の後継者に、先祖伝来の遺産の代わりに進んで西欧文明を抱懐させたのであった。こうして17世紀の西欧の革命は、世界的な重要性を持つ文化的発展、すなわち世界の西欧化に道を開いたのであった。
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 そして今度はこの発展が、17世紀以後の西欧文明を全人類共同の文明に変形させる道を開いたのである。来たるべきこの世界(オイクメニカル)文明は西欧に起源を持つものであるために、必然的に西欧の枠のなかで、そして西欧の基礎に基づいてその生涯を開始するであろう。そして当初のこの西欧の貢献は将来長く重要であり続けるように思われた。
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○しかしながらまた、時間の経過とともに世界(オイクメニカル)文明以前の他の諸文明がなした貢献も、ますます重要になるように思われた(注2)。
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西欧に発したこの世界(オイクメニカル)文明は、それに先立つすべての文明のすべての遺産の最良のものをやがて利用し同化し調和するであろうと期待することができるかもしれない(注3)。
                       
(注1)近代世界は15世紀のポルトガルとスペインではなくて、17世紀のオランダとイギリスに始まったと言う点で私はH・コーンと同意見である。(ならびに17世紀のフランスに始まったと私は付言したい)。さらにコーンは、この17世紀の精神的革命は、それまでの西欧キリスト教文明がヘレニック文明に対して持っていたと同じ関係を西欧キリスト教文明に対して持つ新しい文明の興起であるとさえ言っている。私はむしろ、それは西欧史に新しい一章を開いたものであり、世界(オイクメニカル)文明の究極の興起の道を用意したと言いたい
(注2)「近代西欧文明の地表上への伝搬は.....この文明を圧倒し、この文明を凌駕する新しい思想と信仰の体系を生み出す可能性をはらんでいる
   (B.Prakash in The Modern Review, November, 1953, p402
(注3)クリストファー・ドーソンは過去の諸文明のなかに、未来の世界(オイクメニカル)的社会を建設するためのモデルをみている。(The Dynamics of World History, p44
 
○そのような広汎な積極的な効果を生み出すことになる17世紀の西欧の革命は、否定的な運動として始まった。それはカトリックと新教の宗教戦争の邪悪、破壊性、愚かさに対する、そして政治的対立を軍事的な焔に煽り立てていたこの戦争に伴う神学論争の不毛性と不確実性に対する精神的反動として起こったのであった。                 
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 17世紀の革命の父たちは、18世紀にその後を継いだ一部の人たちとは違って反宗教的ではなかった。それどころか、彼らの目的の一つは、宗教が完全に信用を失墜して捨てられるのを防ぐことであった。彼らは非宗教的な目的のために宗教が濫用されることを阻止することによって宗教を救おうとした。
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 したがって彼らは宗教的寛容を擁護し、この目的への手段の一つとして、有害な神学論争から無害な科学研究へ、そして技術改善という実際的な目的のために科学上の発見を応用することへ人々の関心を引きつけることに努めたのであった。
 
○17世紀の西欧の革命が元来否定的であったことを私が強調しているのに対して、ハンス・コーンはその革命が発展させた美徳の積極性を強調している。この点について私はコーンと同意見である。私はこの革命の積極的な一面をもっと正当に評価すべきであった。コーンの批判に照らして今私は修正しよう
 寛容は良心の自由を意味し、良心の自由に対する新しい尊敬の念は人間の権利と権威に対する尊敬の念を意味した。それに伴って社会的責任、社会正義、人道的感情の新しい標準が生まれた。人みな同胞であるというこの新しい理想の立派な記念碑は奴隷売買と奴隷制そのものの廃止でああり、貧しく弱い者たちに対する保護の立法化であった。そして貧しく弱い者たちに対する保護の立法化は、やがて「福祉国家」に於いて形を整えるのである
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 このことは、文明の恩恵をより広く普及させるという慈善的な積極的効果を生み、それはまた技術の進歩から生まれる富の増加によって実際に可能になったのであった。                  
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○さらに、この成功には精神的原因だけでなく知的原因もあった。知的には、西欧の技術の進歩は科学を技術に応用したためであった。神学に対する崇拝からの転換として否定的に出発した近代西欧の科学の開拓は、強い好奇心と新しい批判的研究の精神を生んだ
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 文芸復興も宗教革命も、西欧人の精神を外的権威に対する中世的な屈従から解放してはいなかった。文芸復興はキリスト教の知的権威を廃棄して、その代わりにギリシャ語とラテン語の古典を権威の座に据えた。宗教改革カトリック教会の権威に代えるに、聖書のテキストの知的権威と地方的世俗的な政府の権威をもってした(支配者が宗教を決定する)。おそらく17世紀の西欧の革命の最も基本的革命的な特色は、今や初めて西欧人の精神が敢えて意識的意図的に独力で考えるようになったことであった。古代人と近代人の戦いに於いて、西欧人はヘレニズムの文化的遺産から独立したことを宣言した
のである。そして今度は彼らは先祖が文芸復興の時におこなったように、一つの精神的隷属を他の隷属と取り換えるようなことはしなかった。
○私が「近代西欧の新しさ、偉大さ、独創性を過小評価しており」(コーン)、これは私が「18世紀の啓蒙主義と19世紀の自由主義からわれわれの近代世界が相続した世俗的な理想に対する共感」(F.H.Underhill in The Canadian Historical Review,vol.32, No.3, pp201-19, 私はこの共感を欠いているために「われわれの文明の力と弱さを正しく分析すること」ができないとアンダーヒルは主張している。)を欠いているからであると
いうことも事実かもしれない。また私は常に西欧を本来の場所に押し込めようと無駄な骨折りをしているとコーンは考えているが、それも事実かもしれない。コーンは西欧はすでにその傲慢を治療したと主張している。疑いもなく私は自分が「利我主義(nosism)という陰険な悪徳に屈服する危険に対して常に警戒してきた。疑いもなくこのために私は「後方に片寄る」傾向がある。私は15世紀のイタリアのギリシャ語とラテン語の古典教育影響によって、さらにこの方向へ引き寄せられている。何故なら、このために、私の頭とは言わないまでも私の心は書物合戦で「古代人」の味方をしているからである。それ故、私が西欧を不当に軽蔑しているというコーンやガイルの批難も或る程度当たっているかもしれない。
 私は彼らの批判を肝に銘じたほうがよいであろう。同時にまた私は、彼らの傾向は私の傾向とは正反対であるのだから、彼らもまた西欧に対する態度に於いておそらくあまりにも片寄っているのではないかと敢えて彼らに示唆するものである
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○いまや17世紀西欧の革命以来経過した二百五十年間の間に、近代西欧は明るい面だけでなく暗い面も示したということ、またわれわれの時代に於いてこの暗い面は中世或いは宗教戦争の時代の西欧史のページの最も暗い面も示したということ、またわれわれの時代に於いてこの暗い面は中世或いは宗教戦争の時代の西欧史のページの最も暗い汚点よりもさらに暗いという事実をコーンとガイルは直視しようとしないように私には思われるのである。
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 近代西欧の技術は、人類全体に文明の恩恵をもたらす力と共に、今や人類を抹殺する力をも獲得したのである。18世紀には戦争は職業軍人に限られ、しかも同意に基づく規則に従っておこなわれる争いになっていた。ところがその戦争が非戦闘員に対する無差別攻撃にまで堕落することによって人道的な感情の発達は帳消しにされてしまった。                
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 人権と人間の権威に対する認識の前進は西欧社会がこれまでに生み出した最も悪質の圧政の押しつけによって帳消しにされてしまった。事実、過去250年間の西欧文明の歴史は、「歴史の進歩の主要な結果は功業と災厄の可能性を高めることである」というシンの示唆を裏付けているのである。
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○ドイツのナチ運動は西欧の借り方に記入すべきではないとガイルは主張している。同様にコーンも、ファシズム共産主義は近代西欧文明の産物ではないと主張している。それらは近代西欧文明の拒否であり、中世への回帰であると言うのである。これは確かに苦痛ではあるが否定できない事実を直視することを拒むことである。コーンやガイルや私のような近代西欧の自由主義者リベラリスト)にとって、このように忌まわしいこれらのイデオロギーが、われわれの自由主義(リベラズム)と同じく近代西欧文明の産物でないとするならば、それは一体どこから生まれたのであろうか。
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 それはロシア、インド、中国、イスラム世界や、もはや最も暗黒であるとはいえないアフリカのような大陸から来たものではないのである。ヒトラーズデーテン地方の人間であり、ムッソリーニはロマニア〔イタリア北東部〕の人間であった。マルクスエンゲルスはイギリスに定住して、そこでライフ・ワークを完成したラインランドの人間であった。ロシア人と中国人は決して独力で共産主義を発明することはなかったであろう。彼らが今日共産主義体制の下に生活している理由は、共産主義が西欧で発明されて、非西欧人が引き継ぐように既成の形でそこにあったからである。
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 さらに近代のイデオロギーは、その最も特徴的な最も忌まわしい特色の幾つかに於いて、まぎれもなく近代西欧の刻印を帯びている。たとえば、その冷血性と強力な組織である。しかしながら、それは冷血性と狂信性をロベスピエール風に結びつけている。この矛盾した組み合わせの第二の要素は、17世紀西欧の革命以前の西欧史の時代の精神への回帰であると考えることがおそらく正しいであろう
 
○この点でコーンが正しければ、近代の西欧文明は、或る不完全さもしくは不十分さ、もしくは弱さを持っているに違いないのであり、これらの欠陥が、近代が一時的に抑圧し、乗り越えていた前時代の悪徳に向かう反動をついに生み出したということになるのである。そして、このことは、サンバーグが西欧の救済の希望を見出している17世紀と18世紀の「啓蒙主義」の復活だけでは十分でないことを意味する。実のところ、西欧文明の近代期が17世紀末に始まって以来常に消極的であった重大な点が一つある。それは宗教に対する態度である。
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 17世紀の西欧の精神的革命の積極的な収穫であった自由主義人道主義は、その精神の力をキリスト教の倫理価値体系から得ていた。しかし「自由主義が衰退して、もはや世界を統一する力を持たなくなった今、近代世界のコスモポリタン的な文化は、霊魂を持たない肉体のようなものになった。....拡大したものは、第一に西欧の政治的経済的な力であり、第二に西欧の技術と科学であり、第三に西欧の政治制度と社会的理想
である。キリスト教も拡大しているが、その程度ははるかに小さい」(クリストファー・ドーソン The Dynamics of World History p408)
○なるほど宗教の分野に於いてさえ、西欧文明の近代期の業績は立派なものである。キリスト教の公的な教義は、教育のある西欧人の少数者の知的忠順を次第に失い、そうした少数者の数がますます増加しているこの近代に於いて、西欧人はキリスト教的な道徳的行為の規範にこのように近づいたことはこれまでにないと言ってもよいのである。(注1キリスト教のなかに潜在している社会動力論は西欧に於いてはアッシジの聖フランチェスコの時代以後はっきり現れ始めたとクリストファー・ドーソンは言っているが、私はこれに異論を唱えるわけではない。その始まりの時期を聖ベネディクトの頃
まで遡らせて、聖ベネディクトが昔ながらの田園的な生活様式のためにしたことを、聖フランチェスコは西欧の新しい都市生活様式のためにしたのだとも言えよう。しかし17世紀の西欧の精神的革命に続く世俗的な時代ほど、キリスト教の持つ社会的な含蓄が西欧に於いて広く認識され、本当に実践されたことはなかったことも事実であると私は思う。
 
○科学的発見の高まる強風は、伝統的宗教の籾殻を吹き飛ばしてしまった。そしてこのことによって、それは人類に役立ったのである。しかし風があまりにも強かったので、殻と共に穀粒をも吹き飛ばしてしまったのである。そして、このことは害になった。何故なら、科学もイデオロギー宗教に 代わるべきそれ自身の穀粒を持っていないからである。科学とイデオロギーの視野は高等宗教の視野とは異なり、宇宙の限界(限界があるとして)にはるかに及ばないこの地平線の彼方にあるものが、この神秘的な恐るべき宇宙の中核、すなわち人間にとって最も重要な部分なのである
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 科学の地平線は自然の限界によって限られている。イデオロギーの地平線は人間の社会生活の限界によって限られている。しかし人間の霊魂の到達し得る範囲はこのような二つの限界のいずれにも限られないのである。人間はパン(と米)を食べて生きる社会的動物である。しかしまたそれ以上のものでもある。彼は自らを意識する知性と共に良心と意志を授かっている人格である。この精神的資質を授かっているいるために、彼はじぶんが生まれてきた宇宙と彼自身を調和させるために生涯努力する運命を担っている。彼のうまれながらの本能は、宇宙を自分の周りに回転させようとすることである。人生に於ける彼の精神的な仕事は、現象界のあらゆるものの真の中心である絶対的な精神的実在と調和するために自己中心性を克服することであるこの「唯一なるものの唯一なるものへの飛翔」が、人間の努力の目標なのであるこの目標に到達しようとする彼の願望が、妨碍(ぼうがい)物である自己中心性の障壁を突破するに十分な力を持つ唯一の動機である
                         
○なるほど宗教の分野に於いてさえ、西欧文明の近代期の業績は立派なものである。キリスト教の公的な教義は、教育のある西欧人の少数者の知的忠順を次第に失い、そうした少数者の数がますます増加しているこの近代において、西欧人はキリスト教的な道徳的行為の規範にこのように近づいたことはこれまでにないと言っても良いのである(注1)〔キリスト教のなかに潜在している社会動力論は西欧に於いてはアッシジのフランチェスコの時代以後はっきり現れ始めたとクリストファー・ドーソンは言っているが、私はこれに異論を唱えるわけではない。その始まりの時期を聖ベネディクトの頃まで遡らせて、聖ベネディクトが昔ながらの田園的な生活様式のためにしたことを、聖フランチェスコは西欧の新しい都市生活様式のためにしたのだとも言えよう。しかし17世紀の西欧の精神的革命に続く世俗的な時代ほど、キリスト教の持つ社会的な含蓄が西欧に於いて広く認識され、本当に実践されたことはなかったことも事実であると私は思う
 
○しかしながら、二百五十年にわたる宗教的寛容も、所詮は、宗教戦争によって招いた道徳的不信から西欧伝来の宗教を立て直す役には立たないのである。そしてこの道徳的不信の浸蝕的な影響は、科学的な物の見方の勝利がもららした知的懐疑主義によって強められた。キリスト教の教義や他の現存する高等宗教の教義は、その伝統的な形では宇宙の本質に関する科学的な見方とは相容れない。この伝統的な形ではこれらの宗教は以前のように人々の心と頭を再び捉えることはできないように思われる。そして、このことが可能であるとしても、それは確かに望ましいことではない(注2)私は伝統的
 形の宗教へ戻ることを予期してもいないし望んでもいないとコーンは指摘している
 
科学的発見の高まる強風は、伝統的宗教の籾殻を吹き飛ばしてしまった。そしてそのことによって、それは人類に役立ったのである。しかし風があまりにも強かったので、殻とともに穀粒をも吹き飛ばしてしまったのである。そして、このことは害になった。何故なら、科学もイデオロギーも、宗教に代わるべきそれ自身の穀粒を持っていないからである。科学とイデオロギーの視野は高等宗教の視野とは異なり、宇宙の限界(限界があるとして)にはるかに及ばない。この限られた地平線の彼方にあるものが、この神秘的な恐るべき宇宙の中核、すなわち人間にとって最も重要な部分なのである
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 科学の地平線は自然の限界によって限られている。イデオロギーの地平線は人間の社会生活の限界によって限られている。しかし人間の霊魂の到達し得る範囲はこのような二つの限界のいずれにも限られないのである。人間はパン(と米)を食べて生きる社会的動物である。しかしまたそれ以上のものでもある。彼は自らを意識する知性と共に良心と意志を授かっている人格である。この精神的資質を授かっているために、彼は自分が生まれてきた宇宙と彼自身を調和させるために生涯努力する運命を担っている彼の生まれながらの本能は、宇宙を自分の周りに回転させようとすることである。人生に於ける彼の精神的な仕事は、現象界のあらゆるものの真の中心である絶対的な精神的実在と調和するために自己中心性を克服することである
 
○この「唯一なるものの唯一なるものへの飛翔(注1)〔プロティノス「エンネアデス」第四巻第九章第十一節が人間の努力の目標なのである。この
 目標に到達しようとする彼の願望が、妨碍物である自己中心性の障壁を突破するに十分な力を持つ唯一の動機である。この精神の重要な問題について、科学もイデオロギーも語るべき言葉を持たないのである(注2)〔キリスト教がヘレニック史に於いて演じた役割を共産主義が西欧史に於いて演じることはないであろうと私が考えるのはこの理由によるのであって、私の歴史哲学の論理的結果を避けているからではない。【B.Prakash in  The Modern Review ,November,1953,p402参照】〕
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このことは、歴史的な高等宗教の保管者たちがその宗教の命ずるところをどんなに甚だしく濫用したにせよ、その命令そのものは失われていないことを意味するのである。歴史的な高等宗教が与え得るよりも効果的な精神的援助を人間の霊魂に与える新しい生き方を人類が与えられるのでなければそしてそれが与えられるまではその命令は失われ得ないのである
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 西欧文明が現在衰退に向かっており、そしてこれを救うものは宗教への回帰であるということをコーンは認めたがらない。これについて私は、コーンが拒否するこの二つの命題は相互に依存するものではないと言いたい。西欧文明はわれわれの時代に衰退しつつあるのかもしれないし、そうでないかも しれない。現代の西欧人は自らの文明の前途を分析する立場にいないのである。しかしこの特定の文明の現在の見込みがどのようなものであるにせよ、宗教の本質が失われているとするならば、それを回復することは、いかなる時代、いかなる社会的状況に於いても必要なのである。それが必要とされるのは、人間はそれなしには生きることができないからである
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その本質を回復するためには、われわれはそれを識別し、非本質的な添加物から切り離さなければならない。これはわれわれがわれわれ自身の危険にいて企てる仕事である。それはまたそうだからと言って回避することができない仕事でもある。それを回避することは、疑いもなくそれをそれを果たそうと企てるよりも危険な道である。この本質を識別する仕事は、一挙に永久的に完成することは決してできない。各世代がそれ自身のためにこの企てを繰り返さなければならないのである         ▼
 人間が永久に続けなければならないこの仕事に現在手をつけるにあたって、われわれは近代科学に或る程度の光を見出すことができる。しかしこの微光は微かなものであり、われわれを誤らせるかもしれない。先人と同じくわれわれは薄明のなかで働かなければならないのである。われわれの模索が、ニルヴァーナへの仏陀の道や唯一の真実なる神についての第二イザヤの洞察にわれわれを導くならば、われわれは幸運であろう
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自己中心性との闘争および神との調和に対する探求は、人間の霊魂と神との間の問題である。神と人間とのこのような個人的な出会いが宗教の真の関心事である。そして宗教を世俗社会の目的に利用することはそれ自体無害で便利であるにせよ、宗教をそのような目的に利用することは宗教の誤用である。
 とは言うものの、人類の集団的な歴史は、個々の人間に対してなされる精神的要求と関係がある。行為は正しいにせよ間違っているにせよ、個人の行為であり、社会環境がどう変わろうと、正邪は常に不変であり続ける。しかし人間の歴史が始まって以来一つの不変の方向に絶えず進んできたようにわれる一つの社会的変化は、人間の集団的な力の累積的増加である。このことは、正しいことをなすにせよ、間違ったことをなすにせよ、その結果の大きさを、累積的に増大させる。そして正しいこと、もしくは間違ったことをなすことは、行為者以外の人々に影響を及ぼすのであるから、この社会的変化は個々の人間が背負う道徳的責任を増大させる。       
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 彼の行動の結果が大きければ大きいほど、正しく行動することがますます強く要求されるのである。原子エネルギーの開発によって人類の集団的な力が良くも悪しくも突然千倍も増加した時代にあっては、普通の人間に要求される行動の規範は、過去に於いてごく少数の聖者たちが達した規範よりも低いものではあり得ないのである
 
原子力時代に於いては、単なる便法を冷静に考察する時、行動の規範の困難な向上が要求される。われわれが指摘したように、国民も政府もこのことに気づいた。そして彼らがこのことを意識していることは、戦後の世界http://ckantan.jp/dm/mob/dm_comfirm.jsp?cmcd=4100072559&cid=1811030049499689&epr1=0000012893地方国家群のうちで原子力兵器を手に入れた国が一つではなくなった時以来国際関係を処理するにあたって賢明さと自制心が増したことのなかに反映された。自己保存の代価は共存を互いに認めることであるということが認識された。そして自己保存への関心は非常に強かったので、原子力兵器で魔まま無三間武装して相互に敵対している諸国民は、しぶしぶながらこの代価を払う気になったのであった。
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 しかし、便法の打算は災厄の日を送らせることができるにすぎないのである。人類が1945~9年という不吉な年に先立って、旧石器時代以来享受してきた存続の確実性を回復するためには、相互の愛という積極的な絆が、相互の恐怖が提供する消極的な抑止力に取って代わらなければならないだろう。或る批評家は、私が次のように主張していると正しくも報告している。
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 「神的な必要に照らして、自由に結んだ盟約に於ける人間の意志の調和を通じて初めて、平和は人間の間に広まることができる」。実にこれこそ私の信念である。しかしもちろんそれは私の発見ではない。それは賢者や預言者たちの黄金の連鎖によってわれわれの時代に伝えられた託宣である。
 
ボエティウスの『哲学の慰め』のなかには、そのことを述べた古典的な一節がある。この書は、嘗てローマ帝国の西部であった地方に於けるヘレニズムの伝統の最後の保存者の一人の最後の遺言である。
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……愛は天と地と海を支配し、それらをこの道に結ぶ。
ひと度愛がその手綱を放す時、それらの友情は戦いに代わり、
世界をさく。――静かな動きによってこそ世の秩序ある形を保とうものを。
愛によりすべての聖なる掟は作られ、婚姻の絆は結ばれ、 
愛によりまことある友情は結ばれる。天体を導くかの浄らなる愛に
心導かれる人こそ幸せならんものを。