トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「人間事象に基本活動があるか」 .……宗教こそ基本的活動 再考察23巻

歴史の研究、再考察23巻の補論の冒頭で、トインビー博士は「人間事象に基本的活動があるか」という題で短い論考を行っています。この論考では、人間の振るまいを記録する歴史の中で、旧石器時代の記録では、出土する痕跡がほとんど「道具」であることから、人間を「ホモ・ファーベル」と規定する考古学、文化人類学の傾向から論述を始められ、文字が使用され始める歴史時代に入ると、紀元前3000年ごろ、エジプトの上・下エジプトの統一を成し遂げたナルメル王の化粧板や、紀元前12世紀のアッシリアの諸王の浮き彫りに記録された内容は、「政治」を人間諸活動の中心にすえる傾向であり、その傾向は19世紀に、マルクスエンゲルスの天才が、経済が歴史の鍵であるという命題を提出するまで有力であったと記述されています。そしてつぎのように記述されていますので、引用します。
マルクスエンゲルスは歴史の提示に於ける伝統的な名誉ある座から政治をひきおろして、その代わりに経済を王座につける仕事にとりかかった。……(中略)……歴史の人間の生活必要物資の生産方法と、生産手段を管理する体制があいまって、人間生活における他の大部分のものを支配し決定するということである。権力の鍵は政治ではなくて経済である。人間事象を理解する鍵は経済を理解することである。今日マルクスイデオロギーを信奉しない多くの人々がこれらのマルクスの見解をとっている。……(中略)……経済が重要であると考え、産業労働者の苦しみを軽減するために何か根本的なことがなされなければならないと主張したマルクスは疑いもなく正しかった。この二つの点について全世界はマルクスに同意することができる。ただしそれだからといって、19世紀の工業労働者の苦しみに対する彼の治癒策が最良のものであるとか、経済は単に重要であるだけでなく、圧倒的に重要であるということについて彼に同意しなければならないということはない。経済が圧倒的に重要であるという命題に対する答えは、「人はパンだけで生きるのではない」(「申命記」第八章第三節。「マタイによる福音書」第四章第四節と「ルカによ福音書」第四章第四節に引用されている。)ということである。政治は人間の基本的な活動であるという命題は無効であることを証明することによって、マルクスはわれわれすべてに一つの貢献をしたとしても、経済は人間の基本的な活動であるという同じような命題も無効なのである。」(p1228~1230)
そして「人間事象に基本的活動があるか」の考察のしめくくりとして次のように記述されています。
「『人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる』(「申命記」第八章第三節)。ここに宗教は人間の基本的活動であると主張する声がある。そして相競うすべての声のうちで、確かにこれは最も強い声なのである。しかしその力は、宗教はわれわれの表のなかの他の活動と同列ではないという事実にあるのである。宗教は、宇宙の現象の背後にある絶対的な精神的実在と接触し、接触した時にこれと調和して生きようとする人間の試みである。この活動はあらゆるもののうちにある。それは他のすべてを包含する。さらにそれは人間の命の綱である。ひとたび生物が人間のように知性と自由意志を獲得するならば、この生物は神を求めて見出すか、さもなければ自滅しなければならないのである。『預言がなければ民はわがままにふるまう』(「箴言」第二十九章第十八節)。それ故、人間に基本的活動があるとするならばそれは宗教であろう。しかし宗教の主張は、それを超越する言葉で述べることによってのみ擁護することができるのである。宗教は人間の他のすべての活動をそのなかに包含するという意味に於いてのみ人間の基本的活動なのである。