トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

世界史教育とトインビー博士の歴史観

私が東京教育大学西洋史を卒業して、創価学園に奉職したのは、昭和48年の4月のことであった。それ以後、中学・高校の社会科教諭として、主に世界史を中心に授業を持つことになった。以後、定年退職後の管理職の時代を含めて45年近く教壇に立って世界史を教えることになった。大学時代の履修科目として日本史、東洋史、専門科目として西洋史の各時代を学ぶことにはなったが、教壇に立ってみる生徒が興味を持って歴史の世界に入ってくるまでの内容を持つ授業を毎日行うことは、さらにそれぞれの時代の内容に深く立ち入る事前の予習と組み立てが必要であり、連日、授業研究に必死に取り組むことになった。その際、必要な資料、文献の量はかなり多く、必死に取り組んでも、実体は自転車操業と言っても過言ではなく、とくに20代の後半はほとんどそのような日々であった。

日本において、世界史という科目は第二次世界大戦後の戦後教育の中で成立した科目であり、戦前の国史が日本史となり、西洋史東洋史が合体して世界史となった科目であり、世界史としての学問的な基礎があるわけではなく、必要に迫られて折衷案として生み出された科目といっても過言ではない。しかも、大学における歴史学はあくまでも科学的という名のもとの個別実証を中心とする歴史学であり、世界観に基づく歴史学は、カール・ポッパーが「歴史主義の貧困」の中で糾弾したマルクス主義史観など、今度は思想で現実を歪曲するような類の歴史観であり、多数の青年男女をその運動の中に吸収してきたが、結局は様々な矛盾から悲劇を招来するような歴史観であった。

人類は、16世紀の西欧人の世界進出以来、紆余曲折はあったが、世界の一体化にむけての動きを歩んだきた。特に産業革命以後の科学技術の生産活動への応用は、世界の一体化への動きを促進し、20世紀から21世紀に入ってその動きは一段と加速している。特にインターネットの発達は、情報面では人類を瞬時につなぐことを可能にしている。

まさに「世界史」「人類史」が強く求められる時代に入っている。