トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「日本文明とその将来」

 この表題は、当時78歳のトインビー博士がヴェロニカ夫人と共に1967年に、ご自身にとって三度目となる訪日をされた際に受けた印象を、「日本の印象と期待」と題して毎日新聞に連載されたときの結論部分につけられた見出しです。この表題による記事は、この年の11月9日から12月13日にかけて毎日新聞に連載され当時大きな反響を呼びました。その内容は1983年に、「トインビー市民の会」が中心となってトインビー博士の日本の新聞・雑誌に対する寄稿をまとめ、経済往来社より発刊された「地球文明への視座」の中に収められています。
この連載は次のような言葉ではじまります。
「私は前に日本を二回、最初は1929年、二度目は1956年に訪問している。私の日本経験は、こうして38年間におよぶ。現代の日本歴史において、これだけの時間が過ぎれば、日本人の生活には、どうころんでも、大きな変化があったことだろう。・・・・・・」
この文章にあきらかですが、トインビー博士の来日は日本の歴史における大きな変革点である明治維新から始まる大日本帝国時代の挫折前のクライマックスの時期であるともいえる1929年。その挫折としての第二次世界大戦の敗北、日本の歴史上始めて他国に占領され支配される経験をしたことになる、アメリカ軍の占領下におかれた時代を過ぎた1956年。戦後の復興が完了し、経済面での高度成長期に入っていた1967年と、38年という間隔で日本の歴史始まって以来の激動期を見つめられることになりました。
 全世界の全時代にわたっての歴史、文字通りの意味における真実の「世界史」を構築されることを自らに課してこられたトインビー博士にとって、この38年間の日本の激動の歴史の意味は何か。この視点から見るとき日本の歴史の世界史の中における意味が見えてくると同時に、日本の進むべき未来の方向性も見えてくるはずです。
 
 トインビー博士の最初の日本訪問は、1929年(昭和4年)10月23日から11月9日まで京都で開催された太平洋問題調査会の第三回「太平洋会議」に、英国代表の一員としての来日です。この会議は、国際連盟の次長も務めた新渡戸稲造が議長を務め、テーマは「満州問題」でした。1905年の日露戦争後、南満州鉄道の権益をもとに中国東北部進出を進めていた日本帝国に対して、当事者である中国をはじめとして英米等を中心とする欧米各国から強い懸念の思いが寄せられていました。この会議において、日本の中国東北部進出を巡って日本と中国の代表の間に鋭い激しいやりとりがあったことが記録されていますが、英国代表団は終始冷静に第三者的な態度だったようです。トインビー博士は、年長者の意向を意識して発言する日本の代表団の発言の様子と、年齢差などに頓着せず自分の考えを自信を持って語る中国の代表団の様子を比較し、日本と中国の国民性の違いについて感想を語っています。
 この会議に日本の代表の一人として参加した、当時34歳の日本の若き政治学者であった蝋山政道氏に対して、トインビー博士は「日本はカルタゴの運命を・・・」と語ったことを、戦後刊行された中央公論社の『世界の名著』シリーズのなかの一冊、蝋山氏が編集の中心であった「トインビー」の解説の中に書かれています。
 何気ないひと言で、聞いた当初は深い意味はわからなかったと蝋山氏は記述しています。この一言は、その後「満州問題」が進展するなかで、中国との全面的な戦争になり、最終的には現代の「ローマ帝国」とも言えるアメリカ合衆国を中心とする欧米との戦いにまで発展し、結局は連合国相手の世界規模の大戦争に引きずり込まれ、結果として日本の歴史上で初めての徹底的な敗北に帰着した歴史の進行を経験し、この古代ギリシャ・ローマ文明(トインビー博士は〝ヘレニック文明〟と総称する)の歴史に記録された古代の海洋国家カルタゴの破滅の経緯に基づく歴史的洞察をもとにして、日本の破滅的敗北を予見したトインビー博士の発言は、蝋山氏の印象に強く残ることになったと記述されています。その思いもあって、蝋山氏は、太平洋戦争の敗戦後間もない時期にGHQの許可を取って、、トインビー博士の著書『歴史の研究』(サマヴィルによる縮刷版)を日本で最初に翻訳し紹介しています。
 1956年、トインビー博士は再び日本を訪問されます。これは自身のライフワークとして30年にわたって取り組み1954年に全巻完成し出版された、主著『歴史の研究』の内容について、あらためて『歴史の研究』で扱ってきた事実(全世界を舞台として全時代に及ぶ)について現地の様子を直接観察し、確認することを目的とした世界一周旅行でした。1955年にはそれまで勤めていた王立国際問題研究所の調査部長、およびロンドン大学国際史研究教授を辞任して、ロンドン大学の名誉教授となり、さらに1956年、名誉勲位保持者(C・H)に推薦され、さらにオックスフォード大学ベイオリルーコレッジの名誉フェローとなり、人生における大きな節目を刻んでいたトインビー博士。
1956年2月から翌年8月まで、南米を最初の訪問地にして、ニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、日本、東南アジア、インド、セイロン(スリランカ)、パキスタン、中東という東から西への順路で、研究観察を主眼とした世界一周旅行を計画し実行されました。60歳代後半にさしかかった段階での大旅行です。
 すでに世界的な名声を確立されたトインビー博士を、日本では朝野あげての大歓迎の体制でお迎えしました。日本滞在中は1929年の太平洋協議会に日本代表の一人として参加していた松本重治氏が館長を務めていた東京麻布の国際文化会館に宿泊され、当時の日本を代表する歴史学者との懇談、各地での講演、見学、天皇陛下との会見等、精力的な日程をこなされました。その時の印象をイギリスのガーディアン紙に寄稿したものをまとめたものが、1958年に旅行記『東から西へ』として出版されたものです。
 その中で、日本についての記述は、見出しをとりあげると「23.日本における過去と未来」「24.日本における宗教の前途」「25.北海道」の三カ所です。大歓迎を受け日本中を回られた精力的な行動からみると、日本人として正直なところ「日本についてはこれだけ?」と思ってしまうような内容です。しかしトインビー博士の生涯の研究内容から考えてみると、実はトインビー博士の歴史観の中核をなす観点からの重要な記述であることがわかってきます。トインビー博士が、日本の歴史に探りたかったものは何か。それは実はこの三カ所の記述の中に明確に表現されています。最初の「23.日本における過去と未来」の中の冒頭は次のような記述で始まります。
 
『そしてその倒れ方はひどかった』(マタイ福音書)敗戦後11年の日本を訪れた西欧人の旅行者の耳に、この聖書の言葉が鳴り響く。訪問者の気づくこの国をひっくり返した大事件は、日本帝国の倒潰でも、広島と長崎の上空における原子爆弾の爆発でもない。これらの事件もまた、歴史的なできごとであったには相違ない。日本帝国は、倒潰する前には、中国、フィリピン、インドシナ、マラヤ、インドネシアビルマの各地に進出していた。日本に二個の爆弾が投下されたことによって、戦争という制度と人類の運命の歴史に新たな局面が開かれた。しかし、そのほかになお、1945年に日本において倒れたものがあった。そして、それは明治時代の日本精神であった。これがいまなお日本の到る所に反響を呼び起こしつつある倒潰である。長崎は再建され、1956年のいま、もし知らなかったならば、1945年にそこに何が起こったか、想像もつかないくらいである。
 しかし、日本人の戦前の思想的世界の崩壊は、いまなお空白のままになっている精神的真空状態を後に残した。いやでもその存在に気づかないわけにゆかず、また、それがやがて何によって満たされるのか、考えてみないわけにゆかない。それが満たされることは間違いがないように思われる―自然は物理的真空だけでなしに、精神的真空をも忌み嫌うものであるからして。
 
 
この視点こそ、トインビ史観の根幹です.「試練にたつ文明」「歴史の研究」「一歴史家の宗教観」「ハンニバルの遺産」「ヘレニズム」「現代が受けている挑戦」等、トインビー博士の主要な著作において、講演・講義の記録、学術論文、概説書、旅行記、また対談形式の著作等、発表の形式は様々ですが、トインビー博士の究極の主張はこの下線を引いたテーゼに集約されます。この内容はトインビー博士の人生最後の著作となった池田先生との「21世紀への対話」の結論とも重なります。その前書きに両者の一致した結論としてトインビー博士の手によって列記されていますが、ごく短く集約すると、
1.宗教を持つことが人間の根本である。
2.宗教には高低がある。
3.宗教はまず自然の諸力の崇拝からスタートする。
4.「文明」の開始は、人間の集団力の崇拝のスタートとなる。
5.人間の集団力の崇拝は、絶対者としての「国家」間の戦争へとつながる。
6.紀元前一千年紀の中頃、世界の各地に「高等宗教」が生まれる。
7.高等宗教は、人間の魂を「究極の実在」に直接触れさせる宗教。
8.個人の魂が直接「究極の実在」にふれることが、一切の人権の原点。
9.「高等宗教」は「文明」と「文明」の衝突の結果生まれてくる。
10.文明同士の衝突の結果、敗北した文明の中から「高等宗教」は生まれる。
11.「高等宗教」は最下層の民衆の自発的な運動として生まれてくる。
12.民衆の無意識層からの要請に応えて、「創造的個人」が思想・教法を説く。
13.全人類への布教を目指す「世界宗教」としての「高等宗教」が大事。
14.戦争が全人類の滅亡につながる「核時代」。
15.「核時代」における「高等宗教」の条件は?
16.高等宗教のなかでも、世界布教の段階で非暴力を貫いた「大乗仏教」に注目。
17.現代の「高等宗教」は、過去から引きずる非本質的部分を剥ぎ取る必要がある。
18.現代の「高等宗教」は人類が直面している諸課題に対して応える必要がある。
19.①人間と環境の関係②人間と人間との関係③人間個人の心と身体の関係
20.以上三つの関係に、的確な回答を用意する必要がある。
21.「世界文明」の構築こそ人類の緊急の課題。
22.「文明」とは『全人類が一つの家族のように仲良く生きることをめざすこと』。
23.人類の歴史の上で、世界的な統一を目指した経験は?
24.「世界国家」か「世界宗教」か?
25.「世界国家」への道は、人類滅亡の核戦争につながる。
26.地域的に遍在する「世界宗教」も人類の分断につながる。
27.「ディアスポラ」の形態をとる「世界宗教
28.世界192カ国(現在の国連加盟国数)に広がるSGI
 
 ここで重要なのは、トインビー博士は宗教は全ての人間の根幹である営為であるとしていることです。人間は生きていく上で、「信ずる」という行為なしには生きていけない。自分が「無宗教」と言う人も、自分が信じているものに無自覚なだけであって、実は何かを信じて生きていることは間違いないとされます。このことは、人間と人間のネットワークとしての社会でも同様であり、その社会の中でさらに共通の言語や宗教を基盤としてなりたつ人間のネットワークである「文明」においても同様であるとみています。
 5000年前の「文明」の成立以来、地球上では21もしくは23の文明が興亡し、400年前からの西欧キリスト教文明の世界への展開の結果、西欧キリスト教・科学技術文明の影響を受け大きな動揺を経験しながらも、現在地球上には西欧文明の他に、ロシア文明、イスラム文明、インド文明、中国文明、そして中国文明の衛星としてスタートした日本文明、朝鮮文明、ベトナム文明をあげ、さらに東南アジア文明、アフリカ文明が存在しているとしています。