トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

アレキサンドル・カザコフ「ウラジーミル・プーチンの大戦略」より  ロシアにおけるビザンツ帝国の遺産

 
 現在、世界中のニュースでほぼ一日中24時間と言って良いくらい関心を集め、取り上げられているのは、2022年2月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵攻です。現在なお進行中であり、結末はまだみえていません。
 ニュースの取り扱いは、SNS等で送られてきた、現地の生々しいショットの放映を中心に、コメンテーターのコメントが加えられたニュース映像であり、日本のマスコミの取り扱いは、ほぼアメリカというよりは、アメリカの現バイデン民主党政権の主張にそった内容です。「アメリカ独立革命」に始まる「自由と民主主義」という普遍的な価値の守り手として自らを位置づけ「Manifest Destiny」を標榜する、価値観の視点から、ラインホルト・ニーバーの定義によれば自らを〝光の子〟絶対的な「善」として設定し、対立する勢力を自らに跪かない限り絶対の「悪」として位置づけて弾劾し徹底して攻撃することを継続しています。しかし、自らは決してロシアとの直接対決はせず、ウクライナに対してひたすら武器を供給しています。ロシアに対する制裁手段としての経済制裁はむしろ西欧世界における急激なインフレーションとなり、ブーメランのように返ってきています。結局、同じスラブ系であるロシア人とウクライナ人の生命を何万と言う単位で犠牲にして事態は長期化の様相を呈し、現時点ではその出口はみえていません。
 
〝戦争の世紀〟20世紀の反省を踏まえて、主権国家単位での生存と平和を保証する組織として設立された国際連合は、この原則を破る国家に対して、懲罰としての諸策、最終段階での軍事的制裁をも想定しています。そのことを保証する中心の組織として、第二次世界大戦戦勝国である米、露、中、英、仏の5カ国を構成メンバーとする国連安全保障理事会があります。その安全保障理事会においては、〝常任理事国〟の一致の条件(一国でも不賛成の国があれば成立しませんので〝拒否権〟と呼ばれます)を規定していますが、第二次世界大戦後の冷戦時においては、米ソの対立のため、ソ連崩壊後の今日においても五大国の意見の一致は難しく、有効に機能したことはないと言っても良いと思います。ソ連邦の崩壊からすでに30年が経過しました。現在、国際関係においては、大国としての基盤を備えるに至った中国も含めた諸大国が自国の勢力圏を争う〝新帝国主義〟の時代となり、さらに複雑な機能障害に陥っているように見えます。まして、その理念・原則を常任理事国の一つであるロシアが踏みにじるというような事態になると、国連の機能不全状態が白日のもとにさらされることになりました。
 
 この事態は、現在のNPT条約上、核兵器保有をみとめられた先の5大国の異常な振る舞いであり、全人類の滅亡の可能性にもつながる本質的な意味での危機事態です。それでは、この事態の解決の方向性は? どんなに考えても簡単に結論のでる問題ではありません。ロシアを批判して、国内の反対世論に期待すべきでしょうか?経済面での制裁処置を究極にまでに高めるべきでしょうか?ウクライナ義勇兵、武器援助をはじめとする武力による支援を強力に行うべきでしょうか?このすべての可能性についての報道が今さかんに行われていますが、どれも決定的な解決手段とはならないことは明白です。
 
 それでは、どのような対応策があるのか。この間の報道で、主にYouTubeでの報道ですが、丹念に探してみると馬淵元駐ウクライナ大使を始めとして、篠原常一郎氏の連日の発信、さらに新党大地の月例公開講演会での佐藤優氏の話とか、これはと思われる視点をもつものがいくつかあります。さらに検索を重ねていくと、たとえば「論座」「潮」における塩原俊彦氏の記事、「プレジデントオンライン」における佐藤優氏の投稿記事等、など、ロシア側の論理も押さえた上で、今後の見通しについての客観的な優れた記事があります。しかし、残念ながらこれらの記事の視点についも感情的な反感による批判の感想が集中しています。大手メディア、マスコミの報道は、欧米を中心としたメディア発信のものが中心になっており、映像的には個人が様々な個々の状況に接して、その一瞬を切り取ったSNSからの発信を織り交ぜての報道になっていますので、インパクトの強い映像が中心であり、そこにいたる事情や背景も含めての根本的かつ根源的な認識を得るのは本当に難しい状況があります。またロシア発のニュースはほとんど無視され、〝人道的感情〟を安易によりどころとした感情的な情報が飛び交っています。その中からどう正しい事実を確認し真実をつかんで、正しく考えることができるか。今、求められているのは人類の歴史を踏まえ、人間の本質をしっかりと踏まえたうえでの事実に対する深い考察です。
 
 その中で、ユーチューブに、「伊藤貫の真剣な雑談」第七回「文明の衝突とロシア国家哲学」と題する映像が6月25日にアップされました。約73分におよぶ大学の講義並の時間をとった内容は、プーチン大統領のロシアがウクライナ侵攻を決断するにいたるまでの重要な判断材料となった、ソヴィエト連邦崩壊後の30年にわたるアメリカ合衆国によるロシア政策と、その功罪です。米ワシントン滞在が30年をこえる国際政治アナリストである伊藤貫氏が、現地アメリカの直接の情報を通して、分析し表明する見解は、現在のアメリカの主要メディアの見解にかかっているバイアスを超え、真実の状況を示しています。さらにその情報をほぼそのまま提供している状況である日本の大手メディアではほぼ聞くことのできない内容です。その中においては、オリヴァー・ストーン監督の「プーチン・インタビュー」、シカゴ大学ミアシャイマー教授の見解、さらにフランスの人口学者エマニュエル・トッド氏の見解、さらに「文明の衝突」を書いたハンチィントンの見解等を取り上げたうえで、キッシンジャーをはじめ、この30年間におよぶ米国外交の当時者である米国国務省、CIAの担当者の自伝のなかに問題への言及をさぐり、また米国主要メディアに掲載されたインタビュー記事を縦横に引用しての内容は、説得力があります。
 さらに圧巻は、プーチン大統領の思想とその背景の分析です。日本の報道では、プーチン大統領の出自として、やたらにKGBに焦点をあてて、秘密主義・陰謀工作・独断専制等のイメージを作ろうとする傾向がありますが、伊藤貫氏の分析は、プーチン大統領の出自をていねいにたどり、その背景にある「ロシア文明」の発想に言及していきます。イリイン、ソルジェニチィン等のプーチン大統領が良く引用し学ぶように教唆している文学者とのつながりとその意義を明確にしています。伊藤貫氏の分析から、見えてくるのはロシアという国のもつ根本的な要素としての「ロシア文明」、西欧文明とは明らかに異なる原理に基づく文明の存在であり、その原理の上に立って発想し、戦略的方針、戦術的な方針を立て行動するプーチンの実像です。
 
 アレキサンドル・カザコフ「ウラジーミル・プーチン大戦略」は2021年7月に日本語に翻訳され出版されました。著者のアレキサンドル・カザコフ氏は、佐藤優氏が作家としてデビューし評価を受けた著書「自壊する帝国」の中で、モスクワ大時代からの友人として〝サーシャ〟として登場します。私にとっては、その後継続して佐藤優氏の著書を連続して読み始めるきっかけとを与えてくれた本です。そこに描写されたソ連崩壊後の2500倍にも達するハイパーインフレの中で苦闘するロシアの状況を象徴するような人物として印象深い人物であり、エリチィン政権下でのロシアの様子とともに強く印象に残っています。あとがきに著者と佐藤優ソ連崩壊後のロシアから始まる両者の深い関係を語る、長文の解説があるので引用します。
本書の著者アレクサンドル・ユリエヴィッチ・カザコフ君(いつもサーシャという愛称で呼んでいるので、この解説でもサーシャと記す)は私の親友だ。私がモスクワの日本大使館に1987年8月から95年3月までの七年八ヶ月勤務していたときにできた生涯付き合うことになる友人の一人だ。その中でもサーシャは別格だ。なぜなら他の友人は、大使館で私が勤務するようになってから仕事を通じて知り合ったのに対して、サーシャは私がモスクワ国立大学に留学しているときにできた友人で、仕事上の利害関係を持っていなかったからだ。・・・・・・(中略)・・・・・・確かにサーシャが言う通り、今から三十数年まえに二人で真剣に議論した内容が、『ウラジーミル・プーチン大戦略』では、より精緻に展開されている。私なりの言葉で、要約してみよう。サーシャは、プーチンがロシア人の集合的無意識を体現していると考える。それは、『ロシアは帝国でなければロシアではない』と言うテーゼだ。ソ連崩壊前後に欧米諸国(西側)は、ロシアを国民国家(ネーション・ステイト)に再編しようとした。それはモザイク状にさまざまな民族と宗教が分布するロシアの死を意味する。ゴルバチョフ政権末期とエリツィン政権時代が『混乱の九十年代』となったのは、ロシアが帝国であることを放棄しようとしたからだ。ロシアにとって、最大の脅威は、ロシア民族主義ナショナリズム)だ。プーチンは、移民を排除し、ロシア人だけによるロシアを形成しようとする排外主義的民族主義を最も危険視している。その理由は、民族主義ロシア帝国を分解させ、民族間の反目を煽ることになるからだ。帝国としてのロシアを維持するためにプーチンはロシア・ナショナリズムに反対するのである。
ここでサーシャは、二つのロシア人概念を分けて考える。第一が、ルースキーだ。これは民族的なロシア人で、ロシア語を話すロシア正教徒の人々だ。これに対応する国家名がルーシ(古代ロシア国家の名称)だ。第二がロシヤーニンだ。これはロシア皇帝に忠誠を誓う臣民という意味で、民族的、人種的、宗教的帰属は問題にならない。これに対応する国名がロシアである。ロシアという名称自体が、国民国家ではなく、帝国を表しているのだ。・・・・・(後略)・・・・・・ 」
 
 この佐藤氏による解説を読んでいくと、現在のロシアのプーチン大統領は民族国家という枠ではなく、複数の民族をその版図内におさめる〝帝国〟という枠で、ロシアの方向性を構想していることがわかります。そのロシアにおける〝帝国〟という思想・概念に、意識的にも無意識的にも大きな基盤を提供しているのが〝ロシアにおけるビザンツ帝国の遺産〟であることは明白です。その根幹のエートスを構成するのが〝モスクワこそ第三のローマ〟とするロシア正教です。この認識は実は75年前、1947年にトインビー博士が著書『試練に立つ文明』のなかで「ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産」として示している見解と一致しています。この1947年の段階においては、第二次世界大戦後の米ソ冷戦の当初期であり、共産主義自由主義というイデオロギー対立ソヴィエトとアメリカの対立の根本であり、この段階でロシアという固有名詞を使ってその根源をビザンチン帝国に探る視点は特にソビエトの知識人からも反論を持って迎えられました。しかし、トインビー博士の視点はさらに一歩深く考察を進めると、ロシアは西欧とは異なる文明であり、ロシア文明は世界に存在する西欧、ロシア、インド、中国、日本等の文明の一つであるとする文明論的考察の可能性に導きます。
 
 この〝サーシャ〟による、プーチン大統領ビザンツ帝国に関する認識を記述した部分を以下に引用します。
「・・・・このことから次のことを認めざるを得ない。ビザンツ帝国は、それ自身の、そして自身を取り巻く空間を組織化するモデルと、この組織づくりのための戦略を作り上げたが、それは今日の世界において、とりわけロシアにとってはなおのこと必要とされものである。
ここにおいて、先述の映画『帝国の滅亡、ビザンツの教訓』〔「教訓」という言葉がここでは最も重要だ〕の脚本を書いたヴラディカ・チーホンに同意せざるを得ない。そして本書は、ロシアの最高統治者であるウラジーミル・プーチンがこれを理解していると言うことを述べたものなのである。
 本書で取り上げたテーマはそれぞれが個別に詳細な検討を要するものであることは承知のうえで、プーチンの戦略の宝庫であるビザンツの源流についての論考を手短に総括しておく。ビザンツ帝国が戦略地政学的に脆弱な状態にあり、あらゆる戦線で絶えず戦争を行うにはリソースが足りなかったことが、ビザンツ帝国をして、外交で戦略の宝庫を拡充させ、戦略の及ぶ空間を、見渡せる限りのエクメーネ(北アフリカからスカンジナビアまで、ピレネー半島からカスピ海沿岸のステップまで)に拡張させることになった。そのことが、帝国が大戦略を実施するその時々において、シナリオの数を格段に増やすことになった。ビザンツ戦略の根底には正教の信仰があり、然るべくして使命が形作られた。だからこそ、そしてその結果、ビザンツプーチン大戦略にとってのモデルとなり、インスピレーションの源ともなったのである。・・・(中略)・・・・・・アメリカやヨーロッパの人々は、自分たちとグレードゲームを行っているのは「ヨーロッパ人」のプーチンクレムリンの「ドイツ」人)だと考えるが、実際のところ、グレードゲームを行っているのは、「北の狐」(ナポレオンがクトゥーゾフ将軍のことをこう評した)なのであり、中国と西欧の学び舎で選択的に学び終えた、真にビザンツ的な戦家家なのである。」
 
 トインビー博士の「ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産」という講演を元にした論述は、博士の著作の『〝Civilization on Trial〟「試練に立つ文明」』の中に収められています。英文による〝ACKNOWLEDGMENTS〟の中には、この論述についてA.J.Toynbeeの署名を記して、次のような記述があります。
……Rossia`s Byzatine Heritage, published in Horizon of August 1947, is based on a course of two lecutures deliverd in April 1947 at the University of  Tronto on the Armstorong Founation.
1947年、カナダのトロント大学での講義で、ロシアについての考察? しかし、現時点で振り返ると1947年という年は、1949年にソ連が原爆実験に成功し核保有国としてアメリカ合衆国の独占状態を破り核大国の道を歩み始める直前であり、カナダはソ連からの迫害を逃れたウクライナ人が多数移住した国でした。
今回のウクライナ問題について重要な役割を果たしているとされる、アメリ国務省の次官であるヌーランド女史はその祖父がウクライナ出身であり、2014年のロシアによるクリミア併合の結果につながる契機となったといわれる、ウクライナにおける〝マイダン革命〟の動きの中で、当時オバマ政権のもとで国務省次官補であった彼女が具体的に大きな役割を果たしたことは周知の事実です。
 ロシアとウクライナとの関係、カナダにおけるウクライナ亡命者の存在、移民の国であるアメリカ合衆国におけるネオコンと呼ばれる人々、その人々がアメリカ合衆国エスタブリッシュメントとして、特に国家官僚として外交の上において果たしてきた役割を考えるとき、そのヨーロッパでの出自まで考えることによって、現在、目の前で起こっている事件の真実の背景が見えてくるように思えてなりません。
 トインビー博士の「ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産」の内容は、ギリシャとローマからなるヘレニック文明、後継帝国としてのビザンチン帝国を考察の基盤において、キリスト教において西欧に展開されるローマン・カソリックビザンチン帝国で展開されるギリシャ正教ロシア正教等の東方キリスト教との関係について論じていきます。さらに世俗権力の頂点としての〝皇帝〟とキリスト教との関係を、西欧とビザンツ帝国との関係、さらに7世紀以降、急速に勃興するイスラム教。そのイスラム帝国であるオスマン・トルコとの関係。とくに1453年のコンスタンティノープル陥落以降の、東方キリスト教の首位者の変遷の結果、〝第三のローマ〟を呼称するロシアにおける〝皇帝〟《ツアーリ》の位置づけの内面的な意味にふれていきます。この根源的な内面的矜持が、ピョートル大帝以後の西欧文明の吸収、さらに第一次世界大戦におけるロシア帝国の崩壊に代わって権力を掌握したボリショビキ革命、反西欧文明的なマルクス主義のもとに成立したソヴィエト連邦がロシア人にとって持っている内面的意味についてふれていきます。この論考の冒頭でトインビー博士は次のように書かれています。
今日のロシアの社会体制〔1947年段階でソ連の体制〕は――細目の外面的事項まで全部はおそらく含まないにしても、少なくとも重大な事柄の大部分においては――ロシアの過去とは縁もゆかりも一切断ち切ってしまったと主張しています。また西欧人もボルショヴィークの言葉を真に受けて、ロシアはその主張を文字通り実行したものと思い込んでいます。われわれはそれをまに受けて身震いしたのであります。しかし一歩立ちどまって反省してみると、われわれが祖先から受け継いだ遺産を放棄するということはそれほど容易なことではありません。われわれが過去を放棄しようとすると、自然はホラティウスも知っていたように、姿を変えたのはほんのうわべばかりで、こっそりとわれわれの懐に舞い戻ってくるくせ者なのであります。」(p228)
「過去一千年近くのあいだ、ロシア人は、筆者の見るところでは、西欧文明ではなくて、ビザンチン文明の一員であったと考えるのであります。このビザンチン文明は、われわれの文明と姉妹関係に立つ一つの社会であって、われわれと同じくギリシャ・ローマ文明を父としていますが、それにもかかわらずわれわれの文明とは別個の文明であります。ビザンチン文明に属する諸民族の一員であるロシア人は、われわれ西欧世界に圧倒されるという脅威に対して、いつも強硬な抵抗を示してきましたが、同様な抵抗を今日なお続けています。西欧に征服され無理に同化させられることをまぬがれようとして、彼らは再三西欧の技術的学問を身につけることを強いられてきたのであります。この『離れ業』はロシアの歴史において少なくとも前後二回――最初はピーター大帝によって、次にはボルショヴィークによって――繰り返しなし遂げられました。・・・ところがせっかくボルショヴィークが年来の宿望を果たしたと思ったら、こんどは西欧が原子爆弾の製造のこつを発見することによって、またもやロシアを出し抜いてしまったのであります。」(p230)
西欧人はロシアが侵略者であるという一個の観念をもっています。西欧的な眼を通して眺めるならば、実際ロシアはどこから見てもそうとしか見えません。・・・・・・(中略)・・・・それがロシア人の眼には、景色はまったく反対に映るのです。ロシア人は自分たちが絶えず西欧からの侵略の犠牲者であると考えています」(p232)
このあと、トインビー博士は、キエフ公国からはじまるロシアの歴史を具体的にひもとながら、この西欧とロシアの認識の違いについて記述していきます。今回のウクライナ侵攻についても、この正反対の認識が双方にあることが、断片的なニュース等を通じても明白にわかります。どちらの認識が現実なのか。トインビー博士は次のように結論されています。
「数世紀にわたる二つのキリスト教世界のあいだの戦争の歴史において、どちらかといえば、むしろロシアのほうが侵略の犠牲者であり、西欧の方が侵略者である歩合いの方が多いというのが真相といってもいいでありましょう」(p234)
この指摘は、冷戦初期の1947年における考察です。その一瞬の状況を分析するのに、トインビー博士は、ノルマン人によるキエフ公国の成立の含めた約1000年にわたるロシアの歴史を考察の対象とします。
航行しうる内陸水路の支配権を獲得し、かくしてヒンターランドのスラブ人の原住民に対する支配権を確立することによって、曲がりなりにも一個のロシア国家の端緒を開いた『ヴァラング人』《一般的には、スウェーデンヴァイキングの事であると現代では解釈されている。》はもともとシャルルマーニュ帝のもとにおける西欧キリスト教世界の北進によって刺激され、西方に向かうと同時に東方にも移動せしめられたスカンジナビアの蛮人であったようであります。母国にとどまったその子孫は西欧キリスト教に改宗して、彼らは彼らで、後代のスウェーデン人としてロシアの西方の地平線上に姿を現わしました、つまり彼らはロシア人から見れば、侵略根性をなおされることなしに異端者となった異教徒だったのです。さらにまた十四世紀においてロシアのもとの領地の最良の部分――白ロシアベラルーシ)とウクライナのほとんど全部――がロシア正教キリスト教世界から切りとられて、リトアニア人とポーランド人に征服されることにより西方キリスト教世界に併合されたのであります。(十四世紀にポーランド人が征服した、ガリシアのもとのロシア領は、1939年~45年の大戦が終局に近くなるまでロシアに取り戻されなかった。)
なかでも1453年のコンスタンティノープル陥落以降の、ギリシャ正教という東方キリスト教世界における中心者であるコンスタンティノープル大司教が、イスラム教を奉じるオスマン・トルコの政治的支配に屈せざるを得ない状況の中での、モスクワを中心としたロシアの役割の変化について論じています。
1453年以来、ロシアはイスラム教徒の支配下にない『正教キリスト教国』のなかで唯一の重要な国家でありました。また、トルコ人によるコンスタンティノープルの占領は、『イワン雷帝』が一世紀後にカザンをタタール人から奪い取ったとき、彼によって劇的に復讐されたのであります。この事件は、ビザンチウムの遺産に対する要求において、ロシアがさらに一歩を進めたことを意味しています。・・・・・・・・・・ロシア人は自分が何をしているかを十分自覚していました。たとえば十六世紀において、ロシアの政策はモスコーの大公、バジル三世〔その治世はイワン三世と四世の治世にはさまれている〕にあてられた修道者、ブスコスのテオフィルスの一通の公開状の有名な一節のなかに、注目すべき明確さと自信とをもって述べられています。
“『古きローマの教会』はその異端のために倒れた。『第二のローマ』なるコンスタンティノープルの門は神を信ぜぬトルコ人の斧によって、伐り倒された。しかし『モスコーの教会』、『新しいローマの教会』は太陽よりも輝かしく全宇宙に光被している。・・・・・二つの『ローマ』は倒れたが『第三のローマ』は厳然として立っている。第四の『ローマ』は存在しえない。”
かくのごとくことさらに、はっきりした自覚をもってビザンチウムの遺産を要求することにおいて、ロシア人はなによりも先に、西欧に対するビザンチウムの伝統的態度というものをそのまま引き取ったことになるのであります。そうしてこのことは、1917年の『革命』以前のみならず、その以後においても、ロシア人自身の西欧に対する態度に甚大な影響を与えているのであります。
このトインビー博士の記述は、1947年のソヴィエト・ロシアの存在をもとにした考察です。そしてその時から75年を経過した現在、プーチン・ロシアの現在の行動の根本において同じように厳然と生きているように感じます。さらにトインビー博士は次のように続けています。
今日のマルクス主義マルクス主義のロシアにもなおいまだにその影響を失っていないように見えるビザンチウム以来のロシアの遺産について、われわれはもう少し立ち入って研究してみましょう。ビザンチウムの歴史の第一章をなす中世初期の小アジアコンスタンティノープルにおけるギリシャ時代を回顧してみるとき、このわれわれの姉妹社会のいちじるしい特色は何でありましょう。(すでに述べたような)ビザンチウムがあらゆる場合に善玉だという確信と、全体主義国家の制定との二つの特色が他にもまして顕著であります。」
この後続いて、ローマ帝国のコンスタンチヌス帝による首都の遷都、ギリシャ語世界であるビザンチウムへの遷都、そしてコンスタンティノープルの成立等からはじまるキリスト教の東方への展開、いわゆる「ギリシャ人によるキリスト教ローマ帝国」である東ローマ帝国ビザンツ帝国の成立をたどりながら、西方の西欧世界に展開したキリスト教のイニシアティブのもと成立した、カール大帝シャルルマーニュ)のローマ帝国〈トインビー博士は「幸運なる失敗」と表現していますが〉後の西欧の状況。常に教会権力が世俗権力に対して優位にたつ、もしくは教会権力と世俗権力が楕円の二つの焦点のように緊張をもちながら関係しあう関係に論及されます。「幸運なる失敗」と表現されているのは、この「権威」と「権力」の緊張関係の中で、現在の『西欧キリスト教文明』の性格が形成され、近世以降のキリスト教の“世俗化”の中で近代合理主義に基づく啓蒙思想による“自由と民主主義”を大義名分とする西欧世界が形成されていきます。現在、“世界の覇者”としてその軍事力を背景に、全世界にその価値観に基づく体制を作り上げようとしているアメリカ合衆国がその先頭にいます(特に米国内の民主党が主導しています。トランプ前大統領の“アメリカ第一主義”はその対極です)。
今回のロシアによるウクライナ侵攻は、1648年以来のウエストファリア体制。主権国家ベースでの国際秩序を大きく揺るがし、国家連合である国際連合による平和維持システムの破綻と言っても良い重要な歴史的事件であり、人類の未来に暗い影を落としています。さらにつけ加えて言えば、佐藤優氏が、今回のロシアによるウクライナ侵攻を読み解く上で、レーニンの「帝国主義」が重要であると指摘し、今回のウクライナにおける状況はロシア帝国主義とアメリカを中心とした西欧の国家群の“帝国主義”のウクライナにおける勢力圏の奪い合いとみるべきであるとしていることに大事な視点があるように感じます。
この現状をどう認識し未来への展望を切り開くか。トインビー博士は、この1947年の段階ですでに「歴史の研究」の前半部を「文明」中心の視点で書き上げ、出版されています。20世紀からすでに21世紀に入った現在、この地球上に存在する文明は、トインビー博士の設定した諸文明がその輪郭を増してきたように感じます。具体的には、最近の200年間、主導権を握ってきた西欧文明、つぎにロシア文明、イスラム文明、インド文明、中国文明、そして日本文明、朝鮮文明、ベトナム文明です。
 
 それぞれの文明が、歴史的な変遷の中で培ってきた伝統を持ち、その伝統の成立の根源には必ず「宗教」があります。〝世俗化〟と呼ばれる現象によって影響力が低下しているように感じられる反面、現在のアメリカ合衆国に明確なように社会を動かす根底の存在としての「宗教」の役割がさらに重要性を増してきているようにも感じます。
「宗教」の“質”がその文明の性格と方向性を決めるというのもトインビー博士の重要な結論であり、この1947年以後発行された「歴史の研究」の後半部では「高等宗教」に視点が据えられることになります。そして、その結論をさらに深めていく過程で、トインビー博士自身のイニシアティブで実現したのが、日本の宗教指導者である創価学会池田大作会長との対談であり、その内容が共著である「21世紀への対話」です。その実現からすでに50年の年月が経過しました。
この50年の間に、いまから30年前には、ソヴィエト連邦の崩壊、いわゆる冷戦の終結がありました。その事実を受けてフランシス・フクヤマ氏が著したのが「歴史の終わり」です。アメリカ型自由主義の勝利を記述したこの著作は当時、大きな話題になりました。また1996年にはハンチントンによる「文明の衝突」が発表されました。21世紀初頭の現在の状況を佐藤優氏は“新帝国主義”の時代と表現しましたが、この“帝国主義”を担う存在は、ほぼ現在の超大国ハンチントンによる“文明”と重なります。アメリカ、EU(西欧諸国連合)、ロシア、インド、中国、朝鮮そして日本。この国々というよりも、諸文明の衝突、きしみ合いが、アメリカ・西欧諸国を一方の勢力として対中国、対ロシアの状況におい次第に形づくられようとしています。この21世紀の諸文明は、日本をのぞけば、いずれも「核兵器」を所有し、“文明の衝突”は最悪の想定として、全人類の滅亡を意味する世界最終戦争=核戦争につながる可能性があることは、現在、全人類の共通認識になっています。「核兵器」を所有しない唯一つの文明が『日本』です。「民族」「国家」がそのまま「文明」と重なる唯一の存在が『日本』です。国家の交戦権を否定し、さらに防衛目的以外の軍隊を持たないと明確に規定した憲法を持つ国です。
今回のロシアのウクライナ侵攻によって、現在「日本」がかかえる問題が再び浮上して論議が始まろうとしています。現在、日本においては、憲法を改正して交戦権を規定し、軍隊をもつことを明白にして自らを守る体制を確立すべきであると主張する人々、国家主義的な主張をする人が次第に増加しつつあります。その中には、今回のウクライナのケースのように、アメリカ合衆国はいざという時にはあてにならない。結局、アメリカの「核の傘」といっても、日本有事の場合は機能しない。とくに、侵略の当事国が「核大国」の場合は、核戦争を恐れたアメリカは戦わない。したがって、日本も独自に核兵器の開発に乗り出すべきであるとまで主張する人もいます。その方向にゆくべきでしょうか?
しかし、少し思いをいたせば日本独自の核兵器所有論の論議は、大事な本質が抜けています。トインビー博士は日本の9条に特色を持つ日本国憲法について、この方向こそ人類が生き残る唯一の方向であり、“押しつけられた”憲法であるとの視点については、強く反論し、自らの1929年、1956年、1967年の訪日の際、日本人と直接語りあったなかで、この憲法はあの核兵器の洗礼をうけるまで徹底的に戦い敗北した日本人の正直な思いを正確に反映したものであると断言しています。世界の五つの文明の明確な一つであって、国家が文明と重なる日本。この日本の今後の立ち位置はあくまでも核兵器をもたずに、世界平和の方向へ世界をリードしていく重要な使命のある文明としてスタートするときが今到来したと強く感じてなりません。
 
 
 日蓮仏法の実践者であった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、読む人が読むと日蓮仏法の根本である法華経に登場する不軽菩薩の振る舞いであることがすぐにわかります。どんな人間にも平等に最高に尊貴な仏の生命がある。そのことに対する尊敬の思いを担業礼拝の実践にこめ、いくら迫害されようとめげずに賢く行動し、目的の成就まで不退転の行動を、あくまでも非暴力の実践の中でつらぬく。そのような日本文明=日本国であってほしい。私も強く願っております。
 
 
 現今進行中の、ロシア・ウクライナ戦争から、大きな話題につなぎましたが、これは単なる空理・空論ではありません。その解決の鍵をトインビー博士およびその博士が最後に使命を託した池田先生が率いる創価学会SGIが握っていることを最後に記しておきます。    
               2022年7月9日