トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

石原莞爾「世界最終戦争」について           第二次世界大戦は「世界最終戦争」なのか?

 この文章を執筆中の2023年2月6日の段階で、2022年の2月24日に開始された、ロシアとウクライナとの戦争はまだ続いており、侵攻開始からまもなく1年になろうとしています。両国は、同じスラブ系の言語を使用し、文明を同じくしている、今から約30年前まで共にソヴィエト連邦の構成国だった国家です。
 現在進行中の軍事侵攻は、ここに至る歴史的な経緯を考慮に入れずに、発生した事実そのものを切りとって判断すると、一つの独立した主権国家に対する、国境を接するより強力な国家の軍事力による侵攻です。この事実は、17世紀西欧における30年戦争の結果として確認された〝ウエストファリア体制〟として合意されてきた国際秩序の根本原則、主権国家の存立を侵す行為であり、第二世界大戦後、戦勝国を中心として組み立てられた世界の平和を維持するための〝United Nations(連合国)〟〈日本ではこの言葉に国際連合との訳語をあてます〉の体制、現在192カ国におよぶ主権国家の参加をもって構成されている体制が根本としている原則の明確なる侵犯であることになります。
 国連には世界の平和維持に責任を持つために、軍事力による直接の制裁を含めた手段を議論し決定する機構として安全保障理事会があります。国連の安全保障理事会を中心とする体制は、第一次世界大戦後、ほぼ同様の趣旨で作られた国際連盟の機構上の反省から設置されました。国際連盟は発足当初において、アメリカ合衆国ソヴィエト連邦という当時の主要国の中でも重要な意味を持つ国が参加していませんでした。そのため具体的な戦争が発生した場合の制裁手段として軍事制裁を含む批難以上の有効な強制力を組織することが難しく、設立して10年前後で日本帝国、ドイツが脱退した際、有効な制裁手段を組織することができず、機能不能に陥ってしまいました。その結果、本来最も防止したかった世界戦争、第二次世界大戦の開始という事態に突入することになりました。
 その人類史上の痛恨の反省点とも言うべき経験を踏まえ、あらたに組織する国際連合における平和維持機能をより確実なものとするために、第二次世界大戦直後の世界の有力な国家(戦勝国)を常任理事国として選定し、平和維持活動を強い意志のもと確実に行うために、実施する際、常任理事国(米・露・中・英・仏)が一致して賛成する条件を定めました。具体的には一国でも反対した場合その案件は実施できませんので“拒否権”と呼ばれています。
 しかし、第二次世界大戦後まもなく始まった〝冷戦〟の時期には、アメリカとソ連イデオロギー上の対立によって、折あるごとに〝拒否権〟が行使されましたので、五大国が一致した行動はほとんど取ることができませんでした。その状況が、ソ連の崩壊とともに変化し、1991年以降、フランシス・フクヤマが著書「歴史の終わり」に書いたように〝自由と民主主義〟を根本原則として、世界全体が人類の最終的な目的点に向かって進んでいる時代が進行してと思い込んできました。その〝幻想〟が崩壊したことを全人類が明確に知らされたのが、本年2022年2月のロシアによるウクライナに対する軍事侵攻でした。
 現在、さまざまな論議ウクライナ戦争の理解・解釈を巡って行われています。単純にロシアを侵略者として、悪の象徴としてロシアのプーチン大統領を取り上げる見方が、現行のアメリカを中心とする西側陣営の見方であり日本においてもマスコミの報道の主流となっています。しかし、一歩深く今起こっている現象を解釈する上においては、世界史的な流れの中で現在進行している現象の背後にあるものを解明する視点が欠かせません。
 地政学的な視点、さらに最近出版されたフランスの人口学者エマニュエル・トッドによる著作「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」にみられる、人類史全体を見渡しそれぞれの民族の家族構成原理の根底にある集団的な深層心理から地域的・文明論的な差異を分析することによって今現実に起きている現象を捉え分析する視点が注目されています。この視点はフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の視点に対抗するように、サムエル・ハンチントンが1996年に発表した世界全体を複数の文明の並列状態としてとらえ、その文明同士の対立抗争の視点から世界を捉える「文明の衝突」の視点にほぼ重なります。またこれらの傾向は、すでに発表されて50年以上になる、トインビー博士の文明を単位とする世界史学と同じ方向を追求することになります。この『文明』を単位として、世界と歴史を捉える方向への探求は、さらに“文明”の根底的な基盤をなしている“宗教”への追求へと関心が進展しています。これらの動きの中に、今人類の心の中で思想・宗教に対する目にみえないけれど静かな変動・変革が動き始めているようにも感じてなりません。
 この間、昨年2022年8月30日には、、ソ連邦最後の大統領ゴルバチョフ氏が91歳の天寿を全うされました。ロシアによるウクライナ侵攻という重大事件に至る歴史の動き、その起点となる1991年のソヴィエト連邦の解体のきっかけとなった、ペレストロイカの立役者であったゴルバチョフ氏の死がこの時期に重なったことは、一つの時代の転機を象徴するものとして感慨深いものがあります。ゴルバチョフ氏の評価についてはさらに人類が歴史の経験を積み重ねなければ成らないと思いますが、その発言・思想には普遍的な重みがあります。
ゴルバチョフ氏は、昨年2021年の5月3日「創価学会の日、創価学会母の日」によせて、長文のメッセージを池田先生の創価学会に寄せられました。その中において現在の状況を予見するように次のように語っておられます。
冷戦の終結後、人類は『協調』と『道徳精神』に基づく政治を実現する貴重な機会を手にしました。しかし、その重要性を十分に評価できなかったため、利己主義的な動きが地政学的な駆け引きを復活させ、その結果、冷戦のような空気が再び漂い始めています。・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・冷戦という地球規模の対立の終結と未曾有の最新技術の開発が、世界に新たな息吹を与え、一人一人の生活を改善してくれる・・・・・ごく最近まで、そう思われてきました。ところが、現実は違いました。新型コロナウィルスのパンデミックは、グローバル社会に新たな課題を突きつけました。個人にとっても政府にとっても、まったく予想外の出来事だったはずです。コロナは、今まで未解決だった問題をさらに悪化させ、現代文明を脅威にさらしています。コロナ危機と向き合う今、あらゆる国際政治の在り方を見直す必要があります。力を合わせて模索し、より信頼できる国際安全システムを構築しなければなりません。このような構想は、既に80年代後半に打ち立てられていました。当時、旧ソ連のリーダーだった私は「新思考」の理念として、世界秩序を全人類的価値に基づいて改善することを提唱したのです。それは、各国の独立性を尊重し、相互不干渉の原則を順守しながら、国家と国民が人類の生存に対する共通の責任を認識するという構想でした。そして、その価値の中で最も重視すべきは「人間の生命」であり、一人一人の自由と安全です。今再び、世界は、この理念に立ち戻るべきです。今日、人類は、長い歴史上で初めて、共同の繁栄がありうると理解し始めているのではないでしょうか。新思考を掲げた30年以上も前も、そして現在も、焦点は新しい世界秩序ではなく、国家や社会が相互関係を構築するための原則を打ち立てることです。その原則とは、以下の三点です。
第一に『安全保証の概念を再確認する必要性』。
第二に『非軍事化、軍縮、軍事費の削減、核兵器のない未来』。
第三に『政治、経済、人文分野における対話、信頼関係、協調』です。
第一に挙げた安全保障の再認識とは、安全保障を軍事のみに限った課題とする捉え方を変えることです。安全保障とは広汎な概念であり、人類が近年直面した、あらゆる最重要課題の解決を模索することです。具体的には、人々の健康維持、環境や天然資源の保護、水や食料の確保、飢餓や貧困への対策ーーつまり「人間の安全保障」です。
第二の非軍事化の原則は、軍備拡張や政治・思想の軍事化が今もなお、最も深刻な脅威であり、人間の自由を制限し、常に生命を脅かすものであるとの認識に立脚するものです。新兵器の開発・実験・製造に費やされる資金は、医療や脅威や自然保護などの分野の発展に向けられるべきです。
これら二つの原則を実現した先に、第三の信頼関係と協調の道が開かれます。競争や紛争、瀬戸際外交などは、経済・人文分野の交流にその座を譲るべきです。病や貧困、環境汚染との戦いのために、全ての国が結束し、新たな国際協調を築くとともに、国家の枠をこえ、国際組織の役割と意義を強化しなければなりません。その道から外れるならば、世界の無秩序は強まり、文明や自然が破壊されるリスクが高まることでしょう。」
ゴルバチョフソ連大統領はかつて、「自分のやってきたことは池田先生の思想の枝葉の一つである」と語られ、ペレストロイカの歴史的意義が究極の人類的価値に基づく、人権思想の展開であったことを述べられ、人類史の上におけるペレストロイカの歴史的意義を強調されました。ソ連が崩壊した1991年から約30年が経過した現在、あえて振りかえってみると、一瞬かいま見ることができた類の理想の輝き、胸躍るような思いは戦争の報道の彼方に消えてしまったようです。この30年間を振り返ると、ゴルバチョフソ連大統領が池田先生との対談「20世紀の精神の教訓」のなかで、たびたび触れられておられるように、自発的に情報を公開し、平和への道、核軍縮への道へと舵を切ったロシアの動きを正しく評価せず、単純に冷戦という世界的な対立抗争の発想の延長線の上に立って、アメリカを中心とした西欧流の自由と民主主義の勝利として、世界のヘゲモニーを握った陣営として振る舞おうとするアメリカ・西欧陣営の動きは世界に様々な混乱と軋轢をもたらしてきました。例証を列記すれば、ユーゴスラビア分裂解体の過程における紛争、イラク侵攻、アフガニスタン侵攻、リビア侵攻、“カラー革命”と称する動きから始まるイスラム諸国の混乱、そしてシリア紛争、一連の中東諸国における混乱の中で登場した「イスラム国」。その一つ一つの経過について詳論はしませんが、その動きに通底するアメリカ中心の一極支配を目指す動きに対する一つの応答(レスポンス)が今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻であると言っても、あながち間違いではないと思います。その状況に対して、角度を違えた見方をしてみると、ロシアはアメリカによって軍事侵攻という最終手段を執らざるを得ないような方向へ追い込まれていったと言う見方も成り立つかとも思います。
 いずれにしても、ソ連邦の解体から30年、歴史は再び〝戦争〟という人類史開始以来の原始的な常套手段をとって決着をはかる状態に入ってしまいました。この段階にいたると当事者はお互いに自分たちは正義であり相手は悪であると強く断定し、両者が受け入れることができる解決に至ることは難しく困難を極めることになります。日本のマスコミでは、連日ロシアのウクライナ侵攻のニュースを報じています。客観的というよりも、欧米の価値観に連動しロシアの侵略の不当性を感情的に訴える内容が多いように感じます。その中でウクライナのゼレンスキー大統領が戦闘に巻き込まれて死亡した一般市民のことをロシアによる戦争犯罪としてアピールする姿が印象的です。
 戦争状態においては、まず交戦国双方の兵士の“殺し合い”が必ず発生します。また、戦場となった地域において一般の民衆の生命・財産がおびやかされ、戦闘にまきこまれての死傷者が必ず発生します。この戦争行為の根本にある“人を殺す”行為は、本来、人間社会において最も許されない重い罪とされ厳罰が規定されている行為です。その“殺人”を行動の基本とする“戦争”は、人間の道徳観を根底から破壊します。その中で、平時においては考えられない残虐な非人道的行為が頻発することにもなります。人類の歴史にはその例証にあふれています。その戦争にともなう悪をどう捉え、考え行動してゆくべきか?
 
 池田先生は、その著作・小説「人間革命」の中で、戦後の日本における創価学会の再建の過程の中で、第二次世界大戦の敗戦の結果として日本人が経験することになった、戦勝国による極東軍事裁判について、「宣告」という一つの章をたてて詳述しています。その冒頭は次のような記述で始まります。
「ある人が言った。一人の人を殺すと、殺人罪にされる。幾千万の人を殺しても、戦争ならば英雄と仰がれる。これほどの矛盾はない。また、いくら正義を貫いた人でも、いくさに負ければ、賊軍の汚名をこうむることはしばしばあることだ。不正の者が、負けるのは、道理であるはずだが、善悪の基準にかかわらず、歴史は永久に勝者が敗者を裁くこととなってしまうものであろうか、と――。昭和23年11月12日。・・・・・・(中略)・・・・・・・東京市ヶ谷では、極東国際軍事裁判の最終判決の断罪の宣告がはじまろうとしていた。」
 この文章に引き続いて、A級戦犯28人に対する軍事裁判は、21年5月3日に開廷され、この日まで二年半にわたって、証人の供述、論告、弁論とつづき、判決分の朗読が開始されたのは、この日の8日前である11月4日であることを記述され、英文で1212頁にのぼる判決文の朗読は、二日の休日を除いて、7日間もつづき12日の午前に終わっていることを記しています。判決文を聞く法廷内の雰囲気を丁寧に書かれたあと判決について具体的に次のように書かれています。
絞首刑は東条、広田、土肥原、板垣、木村、松井、武藤の7人である。終身禁固刑は木戸、平沼、賀谷、鶴田などの文官、武官の16人であり、東郷、重光の元両外相は、禁固20年と禁固7年をそれぞれ宣告された。この判決は、ただちに電波に乗って、全世界に報道された。ドイツの戦争犯罪人に対するニュルンベルグの国際軍事裁判は、すでに終結していた。いま、極東国際軍事裁判終結を知って、世界の人々は、第二次世界大戦の最後の幕が、事実上降りたのを見たことであろう。この裁判、戦勝国が法廷を構成し、敗戦国の戦争責任者を審判するという、世界史上空前のものであった。」と記述され、さらにつぎのように続けられています。
ともあれ、これまでの国際法の通念によって、捕虜や非戦闘員の虐殺で、その直接の下手人が戦争犯罪人として裁かれたことはあったが、戦争そのものに対する責任者の追及ということはなかった。ただ戦勝国が、敗戦国に対して、賠償や領土の割譲をもって、責任を迫るのが常であった。いいかえれば、勝者が敗者の戦争責任を、個人の責任として追及したことはなかったといえる・・・・・・(中略)・・・・・・・日本の民衆は初めて『無条件降伏』ということが、いかなる実体であるかと、はっきりと、自分の目で見たのである。戸田城聖は、これらの戦犯者から最大の被害を蒙ったものの一人として、深い思いに沈んでいた。一国が邪教を尊崇し、正法を弾圧するとき『他国の梵天・帝釈をして治罰せしむ』という仏法の定理が、かくも正確に、最後の裁判まで貫かれた実証を見たのである。・・・・(中略)・・・・・一切を現実に見た彼は、その一切を胸にたたんだ。戸田の弟子たちが、この判決について、彼を苦しめた戦犯たちに対する、はげしい憎悪を言葉にした時、彼の心は重かった。ただこう言っただけである。
『あの裁判には、二つの間違いがある。第一に死刑は絶対によくない。無期が妥当だろう。もう一つは、原子爆弾を落とした者たちも、同罪であるべきだ。なぜならば、人が人を殺す死刑は、仏法からみて断じて許されぬことだからである。原爆の使用者は、いかなる理由があろうとも、あれは悪魔の仕業でないか。戦争に勝とうが、負けようが、悪魔の爪は人類の名においてもぎとらなくてはならん。戦犯として同罪にすべきである』」
 戦争と一般市民のかかわり、戦争犯罪の定義等については詳論を避けますが、単純に戦闘行為の中において、あきらかに非武装の一般市民を殺戮する行為と考えると戸田先生の言う通り、1945年8月6日の広島における原子爆弾の投下は、8月9日の長崎における原子爆弾の投下と並んで、今までの人類の戦争の歴史の中における究極の戦争犯罪にあたることは明白です。このことは東京裁判の判事の一人であったインドのパール判事の意見書の中に明確に述べられています。この部分について『人間革命』第三巻“宣告”の章の中からさらに引用します。
パール判事は、この戦争中に於ける日本軍が冒した数々の虐殺事件については、
『宣伝と誇張を、できうる限り、斟酌しても、なお残虐行為が行われた証拠は圧倒的である・・・・・。これら鬼畜行為の多くのものは、じっさいに行われたのであることは否定できない』とBC級戦犯を弾劾しながらも、A級戦犯の被告たちが、これらの行為を命令したり、許可をあたえた証拠は絶無であると論じている。
この点について、彼はドイツの主要戦犯たちの、あの虐殺指令とは、全く異なるものであると説いていく。さらに第一次世界大戦に際してドイツ皇帝ウイルヘルム2世が、オーストリア皇帝フランツ・ジョセフにあてた非道の書簡を上げている。『予は、断腸の思いである。しかし、すべては火と剣の生け贄とされなければならない。老若男女を問わず殺戮し、一本の木でも、一軒の家でも立っていることを許してはならない。フランス人のような、堕落した国民に影響を及ぼしうるただ一つかような暴虐をもってすれば、戦争は二ヶ月で終焉するであろう。ところが、もし予が人道を考慮することを容認すれば、戦争は幾年間も長引くであろう。従って予は、みづからの嫌悪の念をも押しきって、前者の方法を選ぶことを余儀なくされるのである』まったく狂人の如き、殺戮命令である。さいわいにして実行されなかったが、戦後ドイツ皇帝は、この罪を問われている。しかしオランダは皇帝の身柄の引き渡しを拒絶した。
ここでパールは、人類を滅亡させていく、原爆投下という悪魔に対する、彼の怒りを爆発させた。
『・・・・・太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書簡に示されていることに近いものがあるとするならば、それは連合国によってなされた原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定に対する判決は後世が下すであろう』
そして法的根拠から、彼は次のような結論に到達していた。『もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには充分である。このようなものを現在の被告の所為には見出し得ないのである』 いかにも非戦闘員の虐殺は違法なりと、パールは強く訴えている。そして、それらのBC級戦犯は、すでに戦勝国によって処刑されていた。しかしA級戦犯の25人の被告たちが、この残虐行為を指令し、命令した者として、さらにその責任を問われるならば、原子爆弾の使用を決定し、命令した者こそ“人道に対する罪”を犯した者として、最高の戦争犯罪者に問われるべきではないか・・・・・・。法が正しいとするならば、勝者であれ、敗者であれ、法を左右することは許されるべきではない。文明に名をかりて、勝者が敗者を裁くことは、公正な裁判とは言い得ない。
『単に、執念深い報復の追跡を長引かせるために、正義の名に訴えることは、許されるべきではない。世界は真に、寛大な雅量と理解ある慈悲心を必要としている。純粋な憂慮に満ちた心に生ずる真の問題は《人類が急速に成長して、文明と悲惨との競争に勝つことができるであろうか》ということである』
このため、パール判事は、東京裁判そのものを不当と断じ、否定するところから、被告全員の無罪を勧告する結論に達したのである。
 
 この小説「人間革命」の引用部分は、日本において今日までその重要性は認識されていながら、実は正面切って論じられたことのないことであると思います。戦後の米軍占領下においては勿論ですが、その後の高度経済成長時代においても経済活動に目を曇らされ
冷戦構造のなかで、米国に安全をゆだねるような状況が意図的に形成されてきたために、この問題を論ずることは勇気を必要としました。
 この状況に対して、明確な発言をした日本人がいます。まず挙げるべき一人は創価学会の第二代会長の戸田城聖先生です。さきに引用した「人間革命」第三巻のなかでの東京裁判判決決定時の発言が最初の表明ですが、さらに死去の前年、自身の死を予見したかのように“遺訓の第一”と銘打たれて、1957年9月8日横浜の三ツ沢陸上競技場に集まった5万人の青年を前にして「原水爆禁止宣言」として有名な次のような宣言をされました。
われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかす者は、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。」
 思想・信条・政治的立場をこえた全人類一人一人の生命の尊厳に立脚した権利である世界の民衆の「生存の権利」。この「権利」に基づく、戸田先生の原水爆禁止宣言は、創価学会の永遠の指針として、現在世界192カ国に広がったSGIのメンバーによって共有され、その主旨を踏まえた様々な活動を通じて、主張され,展開されています。池田先生は、その後現在にいたるまで、毎年1月26日にはSGI提言として40数回にわたる核兵器廃絶、平和への具体的な提言を重ねられ、師である戸田先制の宣言を原点としてその根本精神を全世界に訴え続けてこられました。核兵器を人類の生存の権利の侵害として判断し使用を禁止する核兵器禁止条約の成立は、ノーベル平和賞を受賞したICANを一貫して支えてきたSGIの地道な世界的規模での運動の明確な成果の一つです。その動きは90歳の半ばに達せられた現在においても止まることがありません。
 昨年、2022年8月に開催されたNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議に対しては、焦点となった「核兵器の先制不使用」の課題に関し、核保有国がその原則を共に確立することが急務であるとする緊急提言を発表され、現在のウクライナ危機が露わにした核抑止の危険性を真摯に踏まえて、「核兵器のない世界」への時代転換を図ることを訴えられました。また本年2023年1月11日には、さらに緊急提言として、現在進行中のウクライナ危機の状況をふまえ、国連による関係国会合を開催し停戦合意の早期実現を強く訴えられました。核兵器廃絶に向けての池田先生の行動・戦いは、師である戸田城聖先生の真実の弟子としての、文字通り生涯をかけての戦いであり、一瞬たりとも止まることはありません。その思いは、池田先生の弟子として全世界192ヶ国に展開している全SGIメンバーの共通の思いであり、今この瞬間も全世界のどこかで何らの活動として展開されています。
 
 この文章は、初めに“石原莞爾「世界最終戦争」について”という表題でスタートしました。最初に現在進行中のウクライナ危機について論じ、その論議のなかで最近特にウクライナ側から声高に発信される“戦犯”という表現から、我々日本人にとって重要な歴史的経験である太平洋戦争の結果として、戦勝国によって実施された極東軍事裁判について論及することになり、創価学会の魂の正史とも言うべき池田先生による小説「人間革命」の中から必要箇所を引用する中で、戸田先生による“原水爆禁止宣言”にたどりつくことになりました。さらに戸田先生の弟子として、今も生命の尊厳を一切の根幹として、核兵器廃絶を訴え続けられている池田先生の一貫して継続されている活動を論じることになりました。最近とみに報道されることが多くなったウクライナ危機における核兵器使用の現実的可能性を考えると、この課題は解決にむけた努力を早急に必要とする、重要課題であることは間違いありません。2023年1月11日という日を選んで全世界に表明された「核の先制不使用」を中核とする緊急提言は、現在進行中のウクライナ危機のまさに今そこにある危機に対しての緊急性を帯びた提言であり、例年の1・26 SGI提言以上の価値を持っていると思います。
 
 1889年生まれのトインビー博士から見て、1900年生まれの戸田先生は10歳年下です。また池田先生は1928年生まれですから、戸田先生とは28歳、トインビー博士とは39歳の差があります。年代の違いはありますが、ここに挙げた皆さんの共通の経験として、第二次世界大戦があります。
 この戦争がもたらした人類的意味を持つ悲劇的経験は、トインビー博士と池田先生の対談実現の契機を考える上で軽くみることはできない重要な意味があります。さらに、戸田先生の師である創価学会初代会長である牧口常三郎先生の獄死もこの第二次世界大戦と深く連動しています。日蓮仏法の実践としての、創価学会の戦いは初代牧口会長の獄死、第二代会戸田会長の獄中体験として、第二次世界大戦における日本国家との根本的な次元からの戦いであったと同時に創価学会の使命を世界史的な意味で確認することになりました。そして、トインビー博士と池田先生の対談が実現する上で、トインビー博士にとって創価学会認識の根本条件ともなりました。このことは、「21世紀への対話」において語られている内容からも伺い知ることができますが、より具体的にはトインビー博士が、英訳の小説「人間革命」に寄せられた長文の序文の中で、歴史学者としての根源的な視点から創価学会の存在を確認する上での、判断における重要な根拠とされています。この序文の中においては、日蓮大聖人の歴史的位置づけからはじまり、日蓮仏法の世界史的意義についてのトインビー博士としての判断が示されます。その上に立って、その正確な継承者として創価の三代会長について論じられることになります。
 
 ここではその前に、同じくこの第二次世界大戦に、軍人として日本の運命を担う形で関わることになった、創価学会の三代会長と同時代に生きた、熱心な日蓮仏法の信奉者としての石原莞爾について触れたいと思います。この課題については「21世紀への対話」に至るトインビー博士の創価学会池田先生へのアプローチの過程において重要な意味を持ってきます。トインビー博士は1967年晩秋来日され、日本における旧知の友人である河合秀和氏と会食された折、創価学会に関する二つの重要な質問をされました。聖教新聞2022年5月21日付けに掲載された河合秀和氏の言葉を引用します。
 
「67年の晩秋のことです。アメリカ大使館近くで、トインビー博士と会食しました。当時私は東京大学で日本初となる比較政治の講座を担当しており、その先駆的存在である博士の研究方法から多くを学んだいました。
博士からは二つの質問がありました。
今、国体思想はどうなっているのか』というのが最初の質問です。
薄暗い店内でしたが、柔和な表情の中にも鋭い眼光を感じました。国体思想とは、日本を万世一系天皇を主権者とするたぐいまれな国とする思想で、戦前の軍国主義を推進する思想的な原動力でした。英語の会話は軽い冗談から始まるので、私は「近頃の日本の若者にとって、国体とは〝国民体育大会〟のことだ」とまず答えました。そのうえで、戦後の新憲法下で主権は国民に移ったものの、家庭内における家父長的な慣習、企業組織や村落における人間関係など、国体思想の影響は形を変えて残っており、そうした構造を克服していけるかが課題であると答えました。。
二つ目の質問は、『創価学会ファシスト』でした。
当時、一部の新聞が「公明党ファシスト政党だ」と騒ぎ立てていたので、そうした報道の真偽を確かめたかったのでしょう。それまで何人かの学会員と接してきた私は、創価学会が現世的な利益を肯定していることを知っていましたので、安易に命を捨ててお国のために尽くすような行動に走ることはないだろうと答えました。加えて、創価学会は戦時中に治安維持法によって迫害された組織です。戦前への復帰を望むわけがなく、それどころか、民衆に自立心と誇りを与えていると思うと答えたのです。大阪や京都の学会員との交流を通して、庶民的で現実主義的な関西人が創価学会公明党を支えていたという印象も強くありました。
博士にとって、重要なな質問はこの二つだけだったと記憶しています。質問をし終わった後は、とてもリラックスした様子で会食を楽しんでいました。」