トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「現代が受けている挑戦」について

邦訳「現代が受けている挑戦」の原題は「Change and Habit...THE CHALLENGE OF OUR TIME」であり、1966年トインビー博士が77歳のときの出版です。
 前書きにありますが、基になっているのは1964年の秋から冬にかけてアメリカ合衆国コロラド州デンバー大学で、1965年の最初の三ヶ月に、フロリダ州サラソタのニュー・カレッジとテネシー州スワニーの南部大学で行った講義の内容で、その講義の準備に用意したノートが著作の出発点となったと記述されております。
 その記述を読み進めていくと、トインビー博士がこの段階にいたる生涯の各段階において記述してきた内容がさらに深められて展開されていることが良く分かります。「挑戦と応戦」という概念、また「宇宙の背後の根源的実在」、人間と人間との関係・ネットワークからみる「社会」等、重要な視点はほぼ完全に網羅されていますが、重要なことは、その一つ一つの概念・用語が、ここに至るまでのトインビー博士の生涯における博士自身の「経験」に基づいているということです。このことは、トインビー博士の生涯を順を追って辿ってくるとよくわかってきます。そのようにみてくると、トインビー博士の構築した世界は、博士自身が記述しているように、あくまでも「経験論」的であるということです。トインビー博士が「歴史の研究」の記述に取り組むにあたって、文明単位の歴史認識の先駆者としてのオズワルド・ショペングラーの概念から演繹的に結論にいたる「大陸合理論」的な論述ではなく、経験的事実から結論を帰納する「イギリス経験論」の方法論であえて取り組むと言明した通り、見事に「経験論」的な、言い換えれば「歴史学」的な取り組みとなっています。
 トインビー博士を評して「二十世紀最大の歴史学者」という表現がなされます。当の歴史学者達からは「しろうと歴史学者」とか「神秘論者」「宗教偏重」等のあらゆる非難中傷を加えられており、できれば「歴史学者」の仲間に入れたくないとの扱いを受けてきましたが、虚心坦懐にその生涯にわたる事績を著作を中心に、さらにトインビー博士の伝記的事実を重ねて辿っていくと、そこで明白になってくるのはあくまでも「経験・事実」を正確に踏まえ、その帰納の上に考察を重ねていく「歴史学者」の姿です。
 しかし、その誠実な仕事が逆に「理解」を難しくしている部分があることも、残念なことですが事実としてあると思います。トインビー博士は歴史的事実を例証として正確にあげているのですが、「しろうとではわからない。専門家でも理解できない」との批判があるように、文明の始まりから始まって現代にいたるまでの時間軸の幅で、ある時は古代エジプトの最初の統一者である「ナルメル王」から始まって古代ペルシャのダレイオス一世、さらにトルコの建国の父とされるケマルパシャ、古代中国の漢の高祖劉邦などを同じ次元で引用して例証するとなると、歴史的背景を知らない「しろうと」にとっては、ほとんど理解不能の世界となります。また歴史学における専門家とは、世界史という観点からは、きわめて狭い範囲の専門家ですので先ほどのような例証は、自分の専門分野とその周辺および関連分野については単なる知識以上の見識をもって判断できるでしょうが、その例証を全世界・全時代の範囲から取り上げて縦横無尽に論証されると、理解不能の部分がでてきますので、結局は「しろうと」と同じレベルで理解不能の世界に入ってしまいます。
 トインビー博士が特に歴史学者から批判されることが多い素因はこのあたりにあると思います。しかし、日本において第二次世界大戦後、高等学校の教科として登場した「世界史」の教師として、大学在籍次の専攻(私は東京教育大学の史学科・西洋史専攻)を越えて、文字通り全時代の全世界の歴史を教えることを一貫して要求されてきた私の眼から見て、トインビー博士の歴史的事実の取り上げ方は実に公平であり歴史家として見事であると感じます。トインビー博士ご自身が明確に書かれておりますが、自らの生い育った文明である西欧文明、また当時の西欧における教育の基本とされた人文主義(フマニズム)の内容としての〝古典古代〟ギリシャ・ローマへの知識への傾きを意識的に修正して、人間が生存する全世界(オイクメネー)を俯瞰し、どの文明も平等に見ていこうとする努力は感動的です。もちろん、分野によってトインビー博士の歴史的事実の知識の濃淡はあります。当然、いわゆるヘレニック文明、ギリシャ・ローマに関しては質量ともに圧巻ですし、西欧文明に関しても全く同様です。インドについては、イギリスの統治の関係からか豊富な知識をお持ちですし、ローマ帝国の東方部分、ビザンチン帝国さらにロシアについては、もともとロンドン大学時代の教授内容と重なります。ただ、中国・日本・朝鮮の知識については、先にあげた部分と比較して、若干厚みに欠けるように感じます。しかし、比較対象する上では、必要にして十分であると感じます。晩年の仕事の中で、若泉敬教授と「未来を生きる」、最終的な仕事になった池田大作先生との「21世紀への対話」等、日本人を対談の相手としての仕事が多くなるのは、そのあたりに誘因があるのかもしれません。
トインビー博士による「現代が受けている挑戦」。この題名は原題の『CHANGE AND HABIT』の副題として続いている『The Challnge of Our Time』の直訳ですが、この著作全体を丹念に読み込んでいくと、トインビー博士がつけた『CHANGE AND HABIT』の題名には、核兵器の時代に入った人類が課題としてつきつけられている「戦争」の廃止等に象徴される全人類的な課題を『The Challnge』として受け止め、いかに『Response』していくかということに焦点があり、最終的な解決の方向性は、人類一人一人の生き方の根本的な改革にかかっているとのトインビー博士の思いを象徴している言葉が、題名である『CHANGE AND HABIT』であるということが見えてきます。 〝人類よ。自らの慣習的な生き方を根本的に変革せよ〟とのトインビー博士の主張がそのまま題名になっていると感じます。
 
p20
人間の第一の特性は意識である。人間の自分自身についての意識、および自分自身の外側の「世界」、同じ人間仲間や生物、あるいは無生物の人間以外の存在が認められる「世界」についての意識である。
意識は選択の可能性を示していて、選択の意思を呼び起こす。そして意志という能力があるように見えるのは、――それが事実か錯覚であるかは別として、――人間の第二の精神的な特質である。
こういった特質の第三は善悪の識別である。この識別能力は人間の選択能力中に含まれていて、人間の選択行為はすべてなんらかの度合いにおいてほんのわずかであるにせよ生と善とのそして一方では死と悪との間の選択なのである。善と悪の区別はあらゆる人間についてあらゆる時と場所において見られるもののようである。この善悪の区別は事実、人間共通の性質というものを考える場合には本質的普遍的な特徴の一つと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間の精神的な特質の第四は宗教である。そしてこれは選択の意志と同様に意識が発見したものに対する精神的な反応である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「世界」の観察可能の断片を説明するものは全体として宇宙の本性に、あるいは何らかの人間よりも偉大な精神的な存在、「世界」の背後に「世界」を超越して存在し、恐らく「世界」の存在の源であるところの存在の本性にあるに違いないと考えるであろう。そして出てくる結論は、人間の生命とその背景をなすものは神秘であるということである。この結論に対する感情の反応は屈辱感と畏怖感である。私たちは人間が環境を支配するのではないことを認めなければならず、性質と働きの理解できない力によって生命を与えられた結果として環境のなかに存在する人間を私たち一人一人が見出すことになる。
人間が環境の主人ではないという認識は、人間に自分を捉えている神秘的な力との触れあいを渇仰させる。その動機は人間のもう一つの特性である単なる好奇心ではない。人間を超えた力とのつながりを求める動機は可能なかぎりこれらの力と調和を保って生きたいという願望にある。人間がこのように望むわけは人間とその運命を最終的に決定するものは人間自身ではなくて、それがなんであるにせよ、これら究極の霊的な力であることを認識しているからである。
このような衝動はすべての人間に共通であり、歴史上のすべての宗教はこの衝動を表現し、それを満たそうという試みなのである。
 
p20
人間の第一の特性は意識である。人間の自分自身についての意識、および自分自身の外側の「世界」、同じ人間仲間や生物、あるいは無生物の人間以外の存在が認められる「世界」についての意識である。
意識は選択の可能性を示していて、選択の意思を呼び起こす。そして意志という能力があるように見えるのは、――それが事実か錯覚であるかは別として、――人間の第二の精神的な特質である。
こういった特質の第三は善悪の識別である。この識別能力は人間の選択能力中に含まれていて、人間の選択行為はすべてなんらかの度合いにおいてほんのわずかであるにせよ生と善とのそして一方では死と悪との間の選択なのである。善と悪の区別はあらゆる人間についてあらゆる時と場所において見られるもののようである。この善悪の区別は事実、人間共通の性質というものを考える場合には本質的普遍的な特徴の一つと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間の精神的な特質の第四は宗教である。そしてこれは選択の意志と同様に意識が発見したものに対する精神的な反応である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「世界」の観察可能の断片を説明するものは全体として宇宙の本性に、あるいは何らかの人間よりも偉大な精神的な存在、「世界」の背後に「世界」を超越して存在し、恐らく「世界」の存在の源であるところの存在の本性にあるに違いないと考えるであろう。そして出てくる結論は、人間の生命とその背景をなすものは神秘であるということである。この結論に対する感情の反応は屈辱感と畏怖感である。私たちは人間が環境を支配するのではないことを認めなければならず、性質と働きの理解できない力によって生命を与えられた結果として環境のなかに存在する人間を私たち一人一人が見出すことになる。
人間が環境の主人ではないという認識は、人間に自分を捉えている神秘的な力との触れあいを渇仰させる。その動機は人間のもう一つの特性である単なる好奇心ではない。人間を超えた力とのつながりを求める動機は可能なかぎりこれらの力と調和を保って生きたいという願望にある。人間がこのように望むわけは人間とその運命を最終的に決定するものは人間自身ではなくて、それがなんであるにせよ、これら究極の霊的な力であることを認識しているからである。
このような衝動はすべての人間に共通であり、歴史上のすべての宗教はこの衝動を表現し、それを満たそうという試みなのである

「日本文明とその将来」トインビー博士   1967年来日時の印象

 この表題は、1967年に京都産業大学の招待で,当時78歳のトインビー博士とヴェロニカ夫人が、三度目の日本訪問をされた際の印象を、この年の11月9日から12月13日にかけて毎日新聞に連載されたときの表題です。この内容はそのまま、1983年に、経済往来社より発刊された書籍「地球文明への視座」の中に収められています。
 トインビー博士は1929年(昭和4年)10月23日から11月9日まで日本の京都で開催された太平洋問題調査会の第三回「太平洋会議」に、英国代表の一員として初めて来日されました。この会議は、国際連盟次長も務めた新渡戸稲造が議長を務め、この時のテーマは「満州問題」でした。1905年の日露戦争以後、南満州鉄道の権益をもとに中国東北部進出を進めていた日本帝国に対して、当事者である中国をはじめとして英米等を中心とする欧米各国から強い懸念の思いが寄せられていました。この会議において、日本と中国の代表の間に鋭い激しいやりとりがあったことが記録されていますが、英国代表団は終始第三者的に冷静であったようです。トインビー博士は、年齢の上下を意識する日本の代表団の発言の様子と、そんなことに頓着せず自分の考えを自信を持って語る中国の代表団の様子を比較し、日本と中国の国民性の違いについて感想を語っています。
 この会議で日本の代表の一人であった蝋山政道氏に対して、トインビー博士は「日本はカルタゴの運命を・・・」と語ったと、蝋山氏は世界の名著「トインビー」の解説の中に書いています。何気ないひと言で、聞いた当初は深く考えなかったそうですが、大陸進出の勢いを強め次第に欧米諸国との摩擦が明確になりつつあった日本についてのこの一言は、「満州国」の建国を経て、中国との戦いに突入し、最終的に現代の「ローマ帝国」とも言えるアメリカ合衆国およびイギリス・フランス・オランダ等の欧米の諸国との戦いにまで発展した結果としての徹底的な敗北と、日本の歴史上初めての経験である外国の軍隊による占領という結果を経験することになった日本の運命を明確に予見していました。この古代ギリシャ・ローマ文明(トインビー博士は〝ヘレニック文明〟と総称する)の歴史に記録された、カルタゴの破滅の歴史的経緯をもとにして、日本の破滅的敗北を予見したトインビー博士の発言は、蝋山氏の印象に強く残り、太平洋戦争の敗戦後間もない時期に、トインビー博士の著書『歴史の研究』(サマヴィルによる縮刷版)を翻訳し紹介しています。
 
 トインビー博士は1956年再び日本を訪問されます。これは1954年に発刊された主著『歴史の研究』 の完成を一つの区切りとして、1955年に、王立国際問題研究所の調査部長、およびロンドン大学国際史研究教授を辞任、ロンドン大学の名誉教授となり、さらに1956年、名誉勲位保持者(C・H)に推薦され、さらにオックスフォード大学ベイオリルーコレッジの名誉フェローとなり、人生において名実ともに大きな節目を越え、いよいよ自身のライフワークとして取り組み完成した『歴史の研究』の内容について現地で確認することを目的に、世界を一周する計画を立て実行した旅行でした。1956年2月から翌年8月まで、南米大陸からスタートし、ニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、日本、東南アジア、インド、セイロン(スリランカ)、パキスタン、中東の順路で研究旅行を実施されました。60歳代後半にさしかかった段階での大旅行です。
 10月1日より11月30日までの日程で日本に滞在したトインビー博士を、日本では朝野あげての大歓迎の体制でお迎えしました。日本滞在中は1929年の太平洋協議会に日本代表の一人として参加されていた松本重治氏が館長を務めていた東京麻布の国際文化会館に宿泊され、当時の日本を代表する歴史学者との懇談、各地での講演、見学、天皇陛下との会見等、精力的な日程をこなされました。その時の印象をイギリスのガーディアン紙に寄稿したものをまとめたものが、1958年に、旅行記『東から西へ』として出版されました。
 その中で、日本についての記述は、見出しをとりあげると「23.日本における過去と未来」「24.日本における宗教の前途」「25.北海道」の三カ所です。大歓迎を受け日本中を回られた精力的な行動からみると、日本人として正直なところ「日本についてはこれだけ?」と思ってしまうような内容です。しかトインビー博士の生涯の研究内容から掘り下げて考えてみると、実はトインビー博士の歴史観の中核をなす観点からみた重要な記述であることがわかってきます。トインビー博士が、日本の歴史に探りたかったものは何か。それは実はこの三カ所の記述の中に明確に表現されています。
 最初の「23.日本における過去と未来」の中の冒頭は次のような記述で始まります。「『そしてその倒れ方はひどかった』(マタイ福音書)敗戦後11年の日本を訪れた西欧人の旅行者の耳に、この聖書の言葉が鳴り響く。訪問者の気づくこの国をひっくり返した大事件は、日本帝国の倒潰でも、広島と長崎の上空における原子爆弾の爆発でもない。これらの事件もまた、歴史的なできごとであったには相違ない。日本帝国は、倒潰する前には、中国、フィリピン、インドシナ、マラヤ、インドネシアビルマの各地に進出していた。日本に二個の爆弾が投下されたことによって、戦争という制度と人類の運命の歴史に新たな局面が開かれた。しかし、そのほかになお、1945年に日本において倒れたものがあった。そして、それは明治時代の日本精神であった。これがいまなお日本の到る所に反響を呼び起こしつつある倒潰である。長崎は再建され、1956年のいま、もし知らなかったならば、1945年にそこに何が起こったか、想像もつかないくらいである。しかし、日本人の戦前の思想的世界の崩壊は、いまなお空白のままになっている精神的真空状態を後に残した。いやでもその存在に気づかないわけにゆかず、また、それがやがて何によって満たされるのか、考えてみないわけにゆかない。それが満たされることは間違いがないように思われる――自然は物理的真空だけでなしに、精神的真空をも忌み嫌うものであるからして。
 
この視点こそ、トインビ史観の根幹です.「試練にたつ文明」「歴史の研究」「一歴史家の宗教観」「ハンニバルの遺産」「ヘレニズム」「現代が受けている挑戦」等、トインビー博士の主要な著作において、講演・講義の記録、学術論文、概説書、旅行記、また対談形式の著作等、発表の形式は様々ですが、トインビー博士の究極の主張はこの下線を引いたテーゼに集約されます。この内容はトインビー博士の人生最後の著作となった池田先生との「21世紀への対話」の結論とも重なります。その前書きに両者の一致した結論としてトインビー博士の手によって列記されていますが、ごく短く集約すると、
1.宗教を持つことが人間の根本である。
2.宗教には高低がある。
3.宗教はまず自然の諸力の崇拝からスタートする。
4.「文明」の開始は、人間の集団力の崇拝のスタートとなる。
5.人間の集団力の崇拝は、絶対者としての「国家」間の戦争へとつながる。
6.紀元前一千年紀の中頃、世界の各地に「高等宗教」が生まれる。
7.高等宗教は、人間の魂を「究極の実在」に直接触れさせる宗教。
8.個人の魂が直接「究極の実在」にふれることが、一切の人権の原点。
9.「高等宗教」は「文明」と「文明」の衝突の結果生まれてくる。
10.文明同士の衝突の結果、敗北した文明の中から「高等宗教」は生まれる。
11.「高等宗教」は最下層の民衆の自発的な運動として生まれてくる。
12.民衆の無意識層からの要請に応えて、「創造的個人」が思想・教法を説く。
13.全人類への布教を目指す「世界宗教」としての「高等宗教」が大事。
14.戦争が全人類の滅亡につながる「核時代」。
15.「核時代」における「高等宗教」の条件は?
16.高等宗教のなかでも、世界布教の段階で非暴力を貫いた「大乗仏教」に注目。
17.現代の「高等宗教」は、過去から引きずる非本質的部分を剥ぎ取る必要がある。
18.現代の「高等宗教」は人類が直面している諸課題に答える必要がある。
19.①人間と環境の関係②人間と人間との関係③人間個人の心と身体の関係
20.以上三つの関係に、的確な回答を用意する必要がある。
21.「世界文明」の構築こそ人類の緊急の課題。
22.「文明」とは『全人類が一つの家族のように仲良く生きることをめざすこと』。
22.「世界国家」か「世界宗教」か?
23.「世界国家」への道は、人類滅亡の核戦争につながる。
24.地域的に遍在する「世界宗教」も人類の分断につながる。
25.「ディアスポラ」の形態をとる「世界宗教
26.世界192カ国(現在の国連加盟国数)に広がるSGI
 ここで重要なのは、トインビー博士は宗教は全ての人間の根幹である営為であるとしていることです。人間は生きていく上で、「信ずる」という行為なしには生きていけない。自分が「無宗教」と言う人も、自分が信じているものに無自覚なだけであって、実は何かを信じて生きていることは間違いないとされます。このことは、人間と人間のネットワークとしての社会でも同様であり、その社会の中でさらに共通の言語や宗教を基盤としてなりたつ人間のネットワークである「文明」においても同様であるとみています。
 5000年前の「文明」の成立以来、地球上では21もしくは23の文明が興亡し、400年前からの西欧キリスト教文明の世界への展開の結果、西欧キリスト教・科学技術文明の影響を受け大きな動揺を経験しながらも、現在地球上には西欧文明の他に、ロシア文明、イスラム文明、インド文明、中国文明、そして中国文明の衛星としてスタートした日本文明、朝鮮文明、ベトナム文明をあげ、さらに東南アジア文明、アフリカ文明が存在しているとしています。
 
 

「日本国憲法第九条」に対するトインビー博士の見解  

 現在、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が継続中です。すでに2月24日の侵攻開始以来、100日を超えています。連日の具体的な戦況の報道とともに、その事実を日本人としてどう受け止め考えるべきかという論議も進んでいます。連動する論議の中で、また再び自国の防衛にたいする論議が高まってきています。その中で論議は文明論的かつ地政学的な課題、日本の国際世界における立ち位置に関する議論も高まりを見せてきています。その視点の上に立ってどのような国を目指すべきか。議論を進めていくと、最終的には、根本法としての日本国憲法において規定された戦争放棄の規定をどう考えるべきか?様々な課題を論議する中で、集約点として必ず論じられる根本的課題です。
自民党の党綱領の中には「自主憲法制定」があります。立民、共産の主張の対極ともいえる内容です。その中にあって、自民党と連立し政権を担ってきた公明党の考え方はどうなのか?公明党はどのような方向の国を目指しているのか。創立者である池田先生の考え方は?
このような問題を考える上で、重要な示唆を与えるのが晩年、池田先生と対談し「21世紀への対話」を残されたトインビー博士の考え方です。
トインビー博士は、1967年の三度目の日本訪問のあと、11月9日から12月13日にかけて毎日新聞に連載された『日本の印象と期待』の中で、この問題にしっかりと意見を表明しています。55年前に書かれたものですが、今、時にあたって再読してみると、その見識の深さと示された方向性にあらためて感動しています。全文をここに記載します。
 
日本国憲法第九条と私」(『地球文明への視座』p61~)
 戦後制定され、現在効力を有していつ日本国憲法第九条で、日本は主権国家の伝統的特権の一つである戦争に訴える権利を放棄している。それどころか、日本はこの条文で、再び武装せず、他国と戦争することを可能ならしめるような戦力を持たないという意志を宣言しているのである。
 私が聞いているところでは、現行日本国憲法に対して日本人の間には批判があり、その論拠は、現行憲法は日本国民の自発的意志の産物ではなく、日本がまだ米国の軍事占領かにあって、第二次大戦の敗戦のショックから心理的に立ち直っていない時期に、米国の後見によって起草されたものだ、という点にある。その結果、当然日本の批判者の間では、日本の憲法はそのあるべき姿について、日本人の考えよりも米国人の考えを反映しているという議論がなされている。米国が干渉せず、日本人だけに単独で憲法を作らせていれば、日本国憲法は現在のような形にはならなかったであろう、というわけだ。
 憲法を全体としてとらえてみれば、あるいはそうかもしれない。憲法起草に当たって米国人が第九条を承認した、あるいは示唆、推進さえしたというのもまた本当かもしれない。しかし私は推察するのだが、おそらく独特な議院内閣制に関する条文とは違って、この第九条は、少なくとも当時の日本で支配的だった世論を忠実に反映しているのではあるまいか。したがって、たとえば米国人が起草に全然タッチしなかったとしても、この条文はどのみち憲法に取り入れられていたのではあるまいか。
 1945年の降伏後、日本には真剣かつ圧倒的に強力な反戦感情があった、というのが私の印象である。そのころ日本人の心を同時に襲った二つの深刻な体験を考えれば、これはほとんど避けられないものであったろう。
 そのうちの一つは、軍国主義のむさしさが劇的に証明されたことであった。1945年、日本は1894年以来中国、ロシア、米国、英国、オランダ、それに事実上フランスにも勝利を重ねて積み上げてきた戦果を一挙に失った。勝利の連続のあと、日本の〝武器をもった強者〟はもっと強力な敵に出くわしたわけである。真珠湾コレヒドールで日本が米国を打ち負かしたことが歴史的なものであったのは事実である。この米国の敗北は西洋世界の不敗の幻想を永遠に打ちくだいた。しかし、この米国の敗北は西洋世界の不敗の幻想を永遠に打ちくだいた。しかし、この出来事は、第二次世界大戦における日本、米国の遭遇という短編物語の週末を意味するものではなかった。この大戦といるドラマの中では、日本による米国の敗北は、ただの第一幕にしか過ぎなかったのである。最終幕で、日本は米国に敗北し、この幕切れは戦いのきびしい試練を経たこの両交戦国にとって、決定的かつ終局的なものであった。
 軍国主義の皮肉な運命がこれほどはっきりと白日のもとにさらされたことは、いまだかつてなかったが、それは日本人の心底に深い印象を残したに違いない。もちろんこれまで軍国主義的傾向を有していた人々が、こういった教訓を与えられたのは、これが世界歴史上初めてではない。この体験が日本独自のものであったというのではないが、同時に、日本を襲ったもっと別の体験が、日本独自のものであったのであり、現在もまた独自であり続けているのである。
 新しい原子兵器の攻撃を受けたという体験は、戦争そのものの制度に新しい様相をもたらした。この新しい武器の発明と使用は、戦争の破壊性と非人間性を、これまで受け入れ得る悪、あるいは間違って受け入れ得るとみなされていた悪といった水準から、種類のまるで違った程度にまで押し上げてしまった。1945年、広島と長崎に落とされた二個の原子爆弾が戦争というものの性質を変えてしまったことは、広く世界で認められている。しかし、これは日本国民によって実際に体験されたこのなのであり、この体験からくる恐怖が、半世紀(1895年の日清戦争から1945年の太平洋戦争の敗北まで)にわたって成功し続けていた軍国主義の破産といった皮肉な結果と結びつけば、だれでも現行日本国憲法第九条のような条項を憲法の中に挿入したくなることは間違いない。
 この条項が日本の戦後の憲法に書き込まれたと言うことは、日本の歴史のみでなく、世界の歴史にとっても歴史的な出来事であった。一つの強国が、戦争に訴えるという伝統的な権利を自発的に放棄したのだった。これはかつてなかったことであり、戦争の性格の根本的な変化に応じていまや起こったのである。
 第九条は、戦争の正確に根本的な変化が起こったという、すべての国の人々の共通の認識の象徴であり、日本人なみならず、他の国民にも、戦争の性格の変化に応じた行動を起こすよう促しているのである。したがって、現在日本で進行している第九条の将来に関する論議は、単に日本だけの国内問題ではない。もし第九条が将来にわたって維持されるならば――つまり、その精神において、また実行の面において、ただ紙の上に書かれていると言うだけでなく――それは他の主権国家がおそらく、遅かれ早かれ、したがうことになる模範例となり続けるであろう。しかし一方、もし第九条が、紙の上で廃止されないまでも実質的に無視されてしまうならば、人類の不安定な未来に投げかけられた希望の光は消滅してしまうであろう。
 日本政府の表向きの政策は、いぜんとして第九条維持である。しかし本条の但し書きはすでにほとんど破滅点に達している。日本が国内の法と秩序を守るために軍事力をもつことが、第九条に違反しないことは明白である。この軍事力を自衛のためにいわゆる〝通常兵器〟をもって強化し、同様兵器を用いる仮想侵略者に相対することもまた合法であろう。しかし朝鮮戦争の期間およびその後、日本の新しい軍隊は、米国の圧力のもとに(それまでの米政策の不吉な転換である)自衛のための必要を越えた強さにまで増強された。第九条はすでに実行の面で侵されている。日本にはこれだけ戦力が増強された以上、第九条を憲法の中にとどめておくことは不誠実であると論ずる人々がいる。また不誠実さを認めたうえで(否定することはできまいが)第九条を正式に廃止したのでは際限もない再軍備のためにトビラをあけ放つことになるから、これはより小さな悪であると論ずる人もいる。どんなにうまくいっても、微妙かつ不幸の現在の状況のもとでは、この二つの議論のうちでは、第九条廃止に反対する論の方が説得力があるように私には思われる。
 確実と思われることが一つある。もし日本が現在以上に軍事力を増強すえるならば、第九条はもう維持できない。そして佐藤首相の最近のワシントン訪問以来、日本政府が、日本の軍事力を再び増強するよう米国政府の圧力をまたしても受けていることが明らかとなってきた。佐藤首相は、第九条を廃止する動機(動議?)を出さないと明確に言明する一方で、もし日本がこれまで以上に自衛に対する責任感を示すならば、米国は他の場合よりも早く譲歩して、占領中の沖縄を日本に返還する見込みがあると指摘した。沖縄の人々、すべての日本国民はできるだけ早急に沖縄の日本復帰を実現したいと熱心に願っている。したがって、日本の再軍備促進とひきかえに、と米国政府がいまや露骨にほのめかしている政治的なエサは魅力的なものである。そしてまた、この魅力が第九条を危機におとしいれていることは明らかだ。
 しかし日本が、この米国のエサをのみこむのは、大変な間違いであると考えられる理由がたくさんある。
 理由の第一は、米国が沖縄を遅かれ早かれ返還するのは確実である。米国はこれら諸島を併合したわけではないし、日本の潜在主権が残っていることも認めている。日本人が、なかんずく沖縄住民が、潜在主権が早く有効な主権に移行するのを望むのは当然である。しかし、日本主権の早期復活の代わりに、米国が要求している対価は、どのみち満たされるに決まっている日本人の願望を早めに満たすために支払うにしては高価すぎる。
 理由の第二は、日本がいま軍事力を再度増強したにしても、沖縄早期返還の〝早期〟という言葉に対する米国の解釈は不確定である。ベトナム戦争がいつまで続くかは予言し得ない。ベトナム戦争が続くかぎり、米国が沖縄を日本に返還することは、はなはだあり得ないのである。
 理由の第三は、これ以上日本が軍事力を増強することは、中国の猜疑心と怒りを刺激しよう。この点について日本人は、米国が西独を説得して再軍備させ、北大西洋条約機構NATO)現役メンバーにすることに成功したあとの、西独・ソ連関係の不幸な結果に注意すべきである。
 西独再軍備は、第一、第二次世界大戦におけるソ連領土の広大な地域に対するドイツの軍事侵攻、占領という苦痛に満ちた記憶をロシア人の心に呼びさました。ロシア人はいま(ポーランド人やチェコスロバキア人も同様)米国はいつか西独の軍隊の手綱を解き放って三回目の東欧攻撃――それも今度は米国の巨大な潜在的軍事力で支援されて――に出るのを許そうとしているのではないかと疑っている(私はこの疑いが誤りだと信じてはいるが)。こうしたソ連ポーランドチェコの反応の結果、東独の西独との統一の可能性は、いまや地平線のはるかかなたに去っている。
 さて、戦後のソ連・ドイツ関係の歴史におけるこの不幸な既成事実を、まだいぜんとして問題の解決していない中国・日本関係にあてはめてみよう。この二つのケースは全く似通っている。1840年天保十一年)のアヘン戦争以来、日本は中国の外国侵略者のうち最も新しく、最も恐ろしく、最も破壊的だった1931年(昭和6年)から1945年(同20年)の間の出来事は、中国人の心に怒りと猜疑心の遺産を残したことは間違いない。日本国憲法第九条は、こうした中国人の感情に対しては最高の解毒剤なのである(もちろん第九条が誠意をもって履行されると仮定しての話だ)。もし日本が第九条を踏みにじるようなことがあれば、日本の不吉な意図に対する中国の猜疑心は再びよみがえるであろう。そしてもし第九条侵害が、米国の圧力で実行されでもしたら、この中国の猜疑心はさらに激しさを増すだろう。西独の誤りから適宜な教訓をくみとるべきである。同じような誤りを犯してはならない。
 理由の第四は、仮に日本が、米国の圧力によって第九条をい踏みにじり、その結果、中国との関係を妥協的に処理することになったとしても、日本はいかなる国家目的のためにも、その増強された軍事力を実際に使用するだけの力を持ち得ないであろう。
 通常兵器による武装は、いかに巨大なものであろうとも、原子力兵器による攻撃に対しては防衛力となり得ない。すなわち、日本が米国の命令によって、通常兵器による武力増強を進めるならば、日本は中国が核報復に踏み切る危険を犯すことになるのである。通常兵器しか持っていない国で、日本を攻撃する意思や力を持っている国は、世界中捜してもありはしないと思う。したがって増強された日本陸軍、海軍、空軍が、自らの国土を守るために動員されることは、まったくありそうもないことである。
 これに反して、米国の東アジアにおける軍事目的に奉仕すべく利用されることは避けられそうにない。実際には大陸中国の東方および南方の国境の周辺に米国が哨兵を配置している中国〝封じ込め〟用のアジア軍守備隊として組み込まれていることに気がつくであろう。この米国の目的には、すでに韓国、台湾、南ベトナムの軍隊が奉仕しているが、これらの軍隊は、それぞれの国にとって、経済上はもちろん、政治上の負債である。こうした米国の目的に奉仕するために自国の軍隊が動員されることが、日本に国家的満足感をもたらすはずがない。
 第九条を廃棄するよう日本に序言することが、なぜ誤りであるかという理由を、以上四つほどあげたが、これらの理由は、相互に結び合って争う余地のないものだと私には思われる。同時に、佐藤首相がジョンソン米国大統領同様に、その見解の中で、今日の日本は自国の防衛に対する責任感を十分に示していないのではないかと示唆した点を無視することは誤りであろう。
 第九条は米国の〝核のカサ〟の保護のもとで制定され、順守されてきた(順守されてきたという限りでは)。日本がこの保護に対して支払った代価は、米国の沖縄列島における事実上の(法律上の権利としてではないが)主権の行使であり、核兵器発射台の設置であった。私の判断では、中国が核兵器を獲得する瞬間までは、これは日本にとっては疑いもなく安い取引であった。これは現在でも安い取引であるかもしれないし、来たるべきいつかの日のためにも安い取引であり続けるかもしれない。
 それには二つの理由が考えられる。第一は中国が米国、日本あるいは他の国に対して核兵器を使う気があるという証拠がない。第二に仮に中国が最後には核兵器を使う気があったとしても、予見できる将来のいつの日か、それをあえて使うということはありそうもない。たしかにありそうもない。なぜならわれわれが予見し得る範囲では、米国の核戦力は中国のそれに対して圧倒的優位を保ち続けるであろうからだ。とはいうものの、いまや大陸中国核兵器を手に入れたという事実は、それがいまのところ小規模なものであるとはいえ、日本にとっては中国の意図をさぐり、中国が核兵器を所有しているというきびし事実に対処する自分自身の政策を決定することが、必要になったということを意味する。これは中国がその核兵器を使うか否かにかかわらず必要なことなのである。
 終局てきには、大陸中国核兵器を使うつもりなのだろうか。中国は使うまいというのが私の推測であるが、もちろんこの推測に対する反論は自由である。もし使う気がないとすれば、これを開発する気になったのはなぜであるか。大陸中国は貧しく、かつ後進国である。中国は建設的経済開発のため、わずかな余剰生産のすべてをつぎ込まねばならない(巨大な人口を生存させるために基本的な必要なものを満たしたあとに、なにほどかでも余剰があるならばの話だが)。核兵力の建設は明らかに大陸中国にとっては分を越したぜいたくである。中国にとってそれが分を越しているとすれば、それにもかかわらず現に遂行しているのは、中国がその高価な生産物を使用することを真剣に考慮している証拠である(ともみられよう)し、その生産物は明らかに兵器として使用されるものであることを忘れてはならぬ。したがって大陸中国の意図は、邪悪なものであるということが立証されるはずである。
 このような議論は、人間の理性が100パーセント合理的なものであるなら説得力を持つのだが、本当のところは、人間の理性は90パーセントまで非合理なものであり、ために議論は無意味になる。この無意味さはフランスの場合にも例証されている。大陸中国同様フランスも、余裕もないのに原子力兵器の装備を進めている。フランスがこの武器を使って他国に攻撃をしかける意図があるとは、世界中のだれも考えはしないし、核抑止力を備え、先回りして敵意をむき出しにしていなければどこかの核武装国に攻撃されるとフランスが予想しているとは思いはしない。フランスの動機ははっきりしている。フランスが核武装であがなおうとしているのは、国家の威信の回復である。
 フランスの核武装は、フランスが第二次大戦中、英国と米国から受けたと、正しいにしる間違っているにしろ、信じている屈辱に対するしっぺ返しである。〝アングロサクソン民族〟に対するこのフランスの信号は、翻訳すると次のようになる。
 「しかり、フランスは1940年(昭和15年)に崩壊した。そこであなた方はフランスを除外した。あなた方は、フランスが大国であるという長年の地位を永久に喪失したと考えた。ところでフランスは、いまやあなた方が誤っていたことを示している。フランスのこの核武装はその証拠である」と。
 確かにこれは、フランスが核兵器を持った動機である。この動機がバカらしいからといって、フランスの動機がこうだとわれわれが言うのが間違っているという証拠にはならない。人間性には、このようなバカらしい面があるものだ。英国は核兵器についてフランスよりもっと愚かだった。英国もまた核兵器を持つ余裕はなかった。英国もまた犯罪的な目的のためではなく、単なる威信のために核兵器を持ったのだ。そして英国がフランスとは違って、どんなひどい屈辱も受けなかったことを考え合わせれば、英国の愚かさは、フランスのそれよりも許し難いわけだ。
 フランスの例からの類推で、中国の動機もフランスのそれと同様にバカらしいが、悪意のあるものではない。この動機は、ありそうなことのように思われる。 なぜかといえば、中国は1840年(天保十一年)から1945年(昭和二十年)までに、フランスが1940年(昭和十五年)に受けたような屈辱を受けたからであり、また1949年(昭和二十四年)以降、むかし欧州の列強と日本が中国を遇していたと同様な攻撃的な方法で、大陸中国を扱っていたからである。したがって私は、中国の現在の核による再武装を日本および西欧列強――とりわけ米国――に対するフランス風の信号だと解釈するのである。つまり「あなた方は、1840年以来、中国が〝中華王国〟であるという歴史的な地位を永遠に喪失したものと仮定した。だがあなたは間違っていた。いま私たちは、あなた方にそれを示しているのだ」と。
 核兵器を持つ大陸中国の動機と意図についてのこの解釈は、他の代わりうる可能性よりも、はるかに当たっていると私には思われる。しかしこの解釈は確実ではなく、想像に過ぎない。中国が何を思っているのか、だれ一人確かなことは知らない。そしてこの中国のナゾが、厄介な問題を日本に提起しているのだ。それれの問題はことに厄介である。なぜなら日本は、中国の行動が結局感情的な身ぶりではなく、真剣な挑戦であるかもしれないのに、その中国の行動に対して、可能ないくつかの対応策を選ぶ自由を自分自身持っていないことに気づくかもしれないからである。
 日本は核武装することによって(これは日本の現在の生活水準を犠牲にすることによってのみ可能なのだが)中国の核武装にしっぺ返しをする技術的な能力と経済的な資源を持っている。日本の能力は、現在容易に、そして急速に中国に追いつき、追い越し、今後長期にわたってリードをたもつことができるほどすぐれている。しかし佐藤首相は、日本が核武装しなければならないということは問題外だ、と明白に言明しており、首相のこの言明は、いくつかの理由からみて、間違いなく正しかった。
 まず第一に、米国が日本の核武装に賛成することはありそうもないように思われる。第二に、日本の世論がこれを承認するよう説得されることも全くあり得ないように思われる。私は、原子力戦争の犠牲者であったという日本国民の経験が、同じような非人道的な扱いを人類に対して加える手段を冷酷に持とうとすることを妨げると信ずる。日本人は〝核武装に対してアレルギーを起こしているように思われる〟と、ある米国人が最近不満を述べたと伝えられた。もし米国民が、日本人が米国から受けた経験を彼ら自身が持っていれば、彼らも核武装に対してアレルギーになっていたであろう
 しかし、米国が日本の核武装に賛成し、日本人がそれを承認したと想像しよう。それでもまだ日本には核武装をしてはならない理由があるようだ。もし日本が核武装をすることによって、大陸中国核武装にしっぺ返しをするとすれば、これは間違いなく、両国間の将来の親善へのすべての希望を失わせることになろう。これはまた大陸中国を刺激して、その意図を変えさせるかもしれない。中国が核兵器を、どちらかといえば、残忍な紅衛兵ポスターばりの手の込んだ高価な形で使う――現在のところ中国がそのように核兵器を使うことはありそうなことだが、そうではなく、その核兵器を日本に対して致命的な武器として使うよう決定させるかもしれない。
 このようにみてくると、日本が核兵器武装しないだろうことは、実際上は確かだと考えられうる。しかし、これはいぜんとして日本にとって若干厄介な問題を未解決のままにしている。日本がいぜんとして、米国の〝核のカサ〟の保護のもとに留まろうとするのか。これは日本にとってよい取引ではなくなるかもしれない。カサは、もしそれが避雷針に変わるならば、財産から負担に変わってしまうものだ。とすれば、日本にとって米国のカサから抜けだし、軍事的には無防備だが、まる裸で――まさにその理由で挑発的でないため軍事的には安全である――原っぱにたつことが賢明であろう。
 私の判断では、これあ日本のとりうる一番賢明な選択だと思われるが、私は日本が自由にこの選択をすることができないような予感がする。米国がかつてカサであった避雷針を、いやがる日本の頭上にさし続けようと強要するだろうことは、まったくありそうなことに思える。わかりやすく言えば、もし米国が沖縄を日本の有効な主権のもとに戻すと決め
たとき、米国は日本に対して、沖縄に核兵器の発射基地を維持することを主張することは、まったくありそうなことに思える。そしてもし米国がこれを主張すれば、日本には米国が思う通りにすることを拒む力はないだろう。
 日本の軍事的情勢は、このように、まったくといって良いほど厄介だ。日本は二つの押し合った人間の割れ目に閉じこめられているのだ。日本はそこで押しつぶされることはあっても、そこから脱出することはできない。実際のところ日本は、日本よりも強大な列国のなすがままであり、中国がしようと選ぶこと、米国がしようと選ぶことが、日本にとって大論争を招くことでも、彼らの行動を、日本は制御することはもちろん、その行動に恐らく影響を与えることすらできまい。
 
 
 
 

高等宗教とは何か 「現代が受けている挑戦」p87.L9~ より      

もし、世界国家の複数性が人間の分裂の習慣の根強さを証明するものならば、高等宗教の複数性は同じことをさらにはっきりと示している。
ある宗教が高等なものであるとされるのは、人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在(Ultimate spiritual reality)に直接触れさせようとするということによってである
この二千五百年ほどの間に見られた高等宗教の出現は、先人類(プレサピエンス)が人間になった原始時代の異変以来、現在に至るまでの人間の歴史における最も重要な、最も革命的な出来事である。高等宗教が人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在(Ultimate spiritual reality)に直接触れさせる限りでは、人間の魂を人間が属する社会への隷従から解放する。これまで社会はその成員に全面的な忠節を要求した。高等宗教の出現で、個人は自分への人間の要求と神の要求が矛盾すると判断したら、どんな危険を冒してでも人間より神に従う自由を与えられた。この危険を伴う精神的な自由が生きていく上でのあらゆる世俗的な面での自由の源泉である。高等宗教は解放という救済を成し遂げた。しかし各種の高等宗教はそれぞれ別個に、その目的は同一でありながら違った道を通ってそれをなしとげたのである。
 masatoshi sirokawaの個人的感想
この部分、本当に大事なことであると個人的には強く思っています。私自身の人生を振り返った時、歴史の研究、西洋史、世界史の方向を進むことを決めた一つの重要な要素として、高校時代の世界史の授業の読書課題で出会った書籍があります。世界史の読書課題で選んだ図書がたまたま身近にあった歴史小説ポンペイ最後の日」でした。そこで古代ローマに興味を持ち始め、当時読書の目標としていた「岩波百冊の本」の中に、古代ローマの時代を扱っている「クオ・ヴァディス」という岩波文庫の一冊を見つけ、読み始めました。この作品はションキヴィッチという作家の作品であり、第一回のノーベル文学賞を授賞していることはあとがきで知りましたが、最も心を動かされたのは、この小説の最終場面で、聖ペテロがローマでのキリスト教徒迫害を逃れ、アッピア街道を南に下っているとき突然、イエス=キリストが現れ「クオ・ヴァディス  ドミネ?」(主よどこにいかれるのか)と問いかけるペテロに対して「おまえがローマの民を見捨てるなら、私がローマに行って迫害を受けよう」と答え、その答えを聞いたペテロが心を変え、ローマに向かって戻っていき、迫害の結果殉教するという場面でした。当時自身の信仰として、父が入会していた創価学会の信仰をどう受け止めるかについて、葛藤し逡巡していた自分にとって、信仰を基盤とした生き方、究極は死をも乗り越えていく生き方は、衝撃でした。考えてみると、創価学会の基盤としての日蓮仏法、牧口、戸田、池田の三代の会長に通底しているのはこの死をも乗り越える、主体者との信仰であることに気づき、自分自身として、主体的に創価学会の運動に関わっていこうという決心を固めることができました。
この一節でトインビー博士が書かれておられるように、
「高等宗教の出現で、個人は自分への人間の要求と神の要求が矛盾すると判断したら、どんな危険を冒してでも人間より神に従う自由を与えられた。この危険を伴う精神的な自由が生きていく上でのあらゆる世俗的な面での自由の源泉である。高等宗教は解放という救済を成し遂げた。」
この危険を伴う精神的な自由が生きていく上でのあらゆる世俗的自由の源泉であるという原理は、人類社会にとって根本的な価値を持っています。アメリカ「独立宣言」フランス「人権宣言」による啓蒙思想に基づく人権の宣言。その内容を法律として具体化した、アメリカ合衆国憲法からはじまる世界各国の憲法。世界史の教科書のなかで、重要な事項として、頁数の割合を多くして記述されている部分です。いまロシア、中国を〝権威主義国家〟と批判し、自身の陣営の価値観として〝自由と民主主義〟を掲げて武力行使を当然視するアメリカ合衆国。しかし、その国々の憲法を見比べると、文言上ではほぼ同じ、啓蒙思想からはじまる人権がうたわれています。しかし、その人権を人間社会において、本当に生きた現実にするためには、この権利を究極の局面においても自身の生命をかけても守り抜こうという強い生き方が求められます。そのためにはここでトインビー博士が書かれている、高等宗教を基盤とした人間群が必須条件になります。その方向へ人類をどうリードしていくのかが、現代における最も重要で差し迫った課題であることは間違いありません。
 
トインビー博士は、「歴史の研究」再考察の中において、キリスト教イスラム教の出現の基盤となったユダヤ教について論じています。その中にユダヤ教の歴史におけるローマ帝国との関係において、「平和主義」を貫いたパリサイ人の流れとキリスト教だけが後世に生き残ることができたとして、「高等宗教」と「平和主義」の関係について考察し、次のように書いておられます。
 
「このような非好戦的な政治的態度を維持した点で、パリサイ人はイエスキリスト教会と一致していた。そしてパリサイ派ユダヤ教キリスト教が共に生き残り、ハスモン族とゼロト主義者のユダヤ教が死に絶えたことは偶然ではない。このパリサイ派キリスト教的平和主義は、オイクメネー(人間が生活している全世界)の歴史的な心臓部が多くの圧倒的に強力な侵略的軍国主義的な〝帝国〟によって支配されていた時代には実際的な良識であった。しかし平和主義はまたあらゆる時代とあらゆる環境に於いて、高等宗教の正しい政策であった。しかもこれは常に正統な精神的な理由によってである。
 高等宗教の信者が政治に加わって武器を執る時、彼らはそのことによって彼らの宗教を台なしにし、不毛にするのである。そして彼らがその精力をそらした世俗的な目的の達成に成功すればするほど、ますますその宗教は効力を失い不毛になるのである。この真理は、ユダヤ教だけでなく、キリスト教イスラム教、ゾロアスター教シーク教の歴史に例証されている。パリサイ人の平和主義はユダヤ教がゼロト主義者と共に死に絶えるのを救ったのである

トインビー博士と池田先生の対談「21世紀への対話『Choose Life』」より50周年を迎えて

本年、2022年5月5日は、トインビー博士と池田先生との対談「21世紀への対話」『Choose Life』の対談が1972年の5月5日にイギリスのロンドンのトインビー博士の自宅でスタートして50年目の節目を迎えました。この日に向けて、東洋哲学研究所の研究員の皆さんの記念論文を収録した記念論文集「文明・歴史・宗教」が発刊されました。

冒頭に河合秀和氏の寄稿文が収録されています。その中で、河合氏は1967年の晩秋、2年半の英国留学を終えて、日本に帰国し大学教師となったばかりの時に、英国文化振興会の日本支部の代表者 E・F・トムリン氏から、トインビー博士が来日するので会わないかと言う誘いを受けたことを記しています。河合氏は次のように書いています。

「当時、大学の教師になったばかりの私は、比較政治という(日本で最初の)講座を担当していた。・・・〈中略〉・・・一国の歴史を国際政治の環境との関係で考え、古代政治も現代政治もいわば権力の作動という社会学的なパターンとして比較するトインビーの研究方法から多くを学んでいた」と。

河合氏はつづけて「私たちは、アメリカ大使館近くのしゃぶしゃぶ料亭で出会うことになった・・・〈中略〉・・・料亭は薄暗かったが、トインビーの眼光は鋭かった。『いま、国体思想はどうなっているか』というのがトインビーの最初の質問で会った。・・・〈中略〉・・・トインビーの質問に対して私は、もともと天皇制国家であった日本は、未だに大中小の無数の天皇たちが天皇崇拝と愛国主義を競い合うような社会であることをまず話した。さらに、戦後の新憲法の下で、頂点に立つ天皇が主権を失いその主権が国民に移ったとしても、これら無数の天皇は家庭内の家父長支配者として、あるいは企業組織や村落の指導者として縦の人間関係のなかに残っており、自由と民主主義がこの天皇制国家の残滓を克服していけるかどうかが当面の問題点であると答えた。       二番目の質問は、『創価学会ファシスト』であった。私は、創価学会は戦時中に治安維持法によって迫害された組織であり、戦前への復帰ではなく、むしろ立ち直りつつある新たな中流階級に自立心と誇りを与える運動を起こしていると思うと答えた。そして、とくに天皇制と軍国主義を支える地盤であった日本の農村では、戦後のマッカーサーの農地改革によって生活水準が高まったが、これはドイツの中流階級と農民がヒトラーを支持した状況とはまったく異なると思うと話した。重要な質問はこの二つだけであったと記憶している」

ここに記されたトインビー博士の質問と河合氏の回答には重要な意味があると思います。この河合氏との対談の二年後、1969年9月に、トインビー博士は自ら池田先生宛の手紙を書き、対談をすることを申し入れています。この河合氏の記述からわかってくることは、少なくとも対談の申し入れが行われる二年前からトインビー博士は「創価学会」という日本の〝新興宗教〟団体に強い関心をもって、情報を集めていたことになります。さらに先の二つの質問でわかるのは、まずトインビー博士は日本について戦前の日本の国家としての根本思想であった国家神道をベースにした〝国体思想〟が日本の決定的な敗北のあと日本人の中にどのように残っているのか、それとも影響力を失っているのか。また、日本の民衆の中の思想的な動きとして、戦後急速に発展したいわゆる〝新興宗教〟、その中でも急激な拡大を遂げ政治の世界にも代表を送ることになった創価学会に強い関心を持っていることがわかります。

このような関心は、実はこれよりも前、1956年の2月にイギリスを出発し、翌年の1957年8月に帰国することになった〝世界一周旅行〟の印象を綴った旅行記『東から西へ』の中で、日本の国際文化会館の招待を受け、戦後約十年の段階で来日したときの日本の印象を記述した部分に、その関心の原点がトインビー博士自身によって、綴られています。

この段階で1989年生まれのトインビー博士は、すでに78歳。数ある批判はあっても、歴史家として、いわば〝功成り名を遂げ〟世界的な知名度が確立した有名人でした。そのトインビー博士が、「創価学会」という極東の新興宗教団体に、単なる関心以上の強い興味を示すということとは、いかなる意味があったのか?

この意味を理解するためには、単に、この時点に限定したトインビー博士の興味・関心だけではなく、1929年・太平洋協議会へ英国代表団の一員として来日したときから始まり、1956年の第二回の来日時における日本に対する観察、それに基づく見解、さらにその前後のトインビー博士の著作における見解等、トインビー博士の生涯の事績・思想をも踏まえた探求が必要になってくると思います。さらに考察を加えてみると、第二次世界大戦後、日本の歴史上経験したことのない敗戦と他国軍による占領という状態のなかにおかれていた日本人がとった行動について、トインビー博士はいかなる視点をもって注目していたかという点が重要であると思います。

トインビー博士が1925年以降「国際問題大観」の年次総括報告の単独執筆者として世界全体の国際問題について観察し記述してきた方法論は、歴史家として「歴史の研究」において追求してきた方法論と重なると言ってもよいと思います。まず「国家」単位ではなく「文明」を単位とした考察であること、その考察については、常に全時代・全世界を対象とした「世界史」を基盤とすること。その中においては、1940年の5月23日にトインビー博士を講師として実施されたオックスフォード大学のSheldonian ThetreでのBurge Memorial lecture【この内容は1947年に刊行された『試練に立つ文明』のなかに「キリスト教と文明」“Christianity and Civilization”という題で収録されています】で初めて表明された「高等宗教」の発達を助け育てることが「文明」の大事な役割であると言う主張が反映されます。この主張は「歴史の研究」の後半部の主題です。

このテーマを確認する上で、ここでトインビー博士の「高等宗教」についての考察をここに引用してみます。この内容は、1967年に発刊されたトインビー博士の著書「現代が受けている挑戦 “Change and Habit”」に書かれているものです。
『もし、世界国家の複数性が人間の分裂の習慣の根強さを証明するものならば、高等宗教の複数性は同じことをさらにはっきりと示している。
ある宗教が高等なものであるとされるのは、人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在(Ultimate spiritual reality)に直接触れさせようとするということによってである。
この二千五百年ほどの間に見られた高等宗教の出現は、先人類(プレサピエンス)が人間になった原始時代の異変以来、現在に至るまでの人間の歴史における最も重要な、最も革命的な出来事である。高等宗教が人間の魂を宇宙の背後にある究極の霊的な実在(Ultimate spiritual reality)に直接触れさせる限りでは、人間の魂を人間が属する社会への隷従から解放する。これまで社会はその成員に全面的な忠節を要求した。高等宗教の出現で、個人は自分への人間の要求と神の要求が矛盾すると判断したら、どんな危険を冒してでも人間より神に従う自由を与えられた。この危険を伴う精神的な自由が生きていく上でのあらゆる世俗的な面での自由の源泉である。高等宗教は解放という救済を成し遂げた。しかし各種の高等宗教はそれぞれ別個に、その目的は同一でありながら違った道を通ってそれをなしとげたのである』

この視点で「世界史」を考察してみると、世界史上の「高等宗教」としてトインビー博士があげているのは、小乗仏教大乗仏教ヒンズー教ゾロアスター教ユダヤ教キリスト教イスラム教です。さらに核戦争による人類絶滅の可能性が明確になった現代において戦争という人類世界の宿痾を克服し、平和をもたらす可能性を作り上げるために最も必要とされる世界宗教化した高等宗教として、トインビー博士がさらに分別されているのが大乗仏教キリスト教イスラム教の三つです。その中でも特に注視されていたのが、最古の高等宗教・世界宗教であり、その布教の過程で暴力による強制という手段と無縁であった大乗仏教の存在でした。ただし、世界宗教としての高等宗教は世界史上において、大乗仏教キリスト教イスラム教の三つしかありません。さらに、その出現の状況を世界史の中で確認していくと、これら三つの世界宗教化した高等宗教は、「文明」と「文明」の衝突の結果として出現していることがわかります。代表的なキリスト教を例にとると、この宗教は「ヘレニック文明(ギリシャ・ローマ文明)」と「シリアック文明(地中海東岸の諸民族、ヘブライ人、アラム人等の属する文明)」の衝突の結果、決定的敗北を経験したヘブライ人の最下層の庶民の自発的運動として始まり世界宗教化したものです。その歴史観で、20世紀の世界をみたとき「文明」と「文明」の衝突は存在するのか?決定的な「文明」的敗北を経験したのはどの「文明」か?「文明的敗北」とは、「文明」が成り立つうえで根幹となる統合原理としての思想・宗教の敗北ということになります。さきにあげた1967年の河合氏とトインビー博士のやりとりのなかで、トインビー博士が発した日本における「国体」に関する質問、「創価学会」に関する質問は、「日本文明」における統合原理としての「国体思想」の状況、最下層の民衆の自発的運動として、この1967年〔昭和42年〕の段階でその存在が明確に認識できるようにまで拡大した「創価学会」の思想的背景についてであることは、この段階でのトインビー博士の関心がどこにあったのを明確に示していると思います。

この年、1967年(昭和42年)の段階における創価学会は、第三代会長に就任して7年目の池田先生のもと、拡大につぐ拡大の戦い〝折伏大行進〟を展開した結果、第二代戸田先生の時代の最晩年に達成した75万世帯の約10倍となる600万世帯を達成していました。この急速な拡大の動きの中で、創価学会は非難中傷の嵐にさらされていました。 その中でも、代表的な中傷が〝病人と貧乏人〟の集まりが創価学会だというものであり、急速な拡大に対しては〝暴力宗教〟のレッテルをはることでした。

私ごとになりますが、わが一家の創価学会とのかかわりは、父〔1913(大正2 )年生まれ〕が、1957(昭和32)年に創価学会に入信したことから始まります。当時10歳であった私もその状況は鮮明に記憶していますが、世間一般の当時の創価学会に対する非難中傷は厳しく、子供心にも大変な会に入ってしまったという印象を受けたことを覚えています。しかし父は本気でした。父の世代の前後の世代、大正生まれの世代は、日本帝国の満州事変、日華事変とよばれる中国との戦争から始まり、その後のアメリカとの太平洋戦争、を通して、最終的に1945(昭和20)年の決定的な敗北にいたる約10年をほぼ戦場で過ごすことになった世代です。父の20代はほぼ戦場にありました。北海道の留萌で貧しい船員の子供として生まれた父は、経済的には上級の学校への進学は困難でしたが、尋常小学校の成績が良かったので応援してくれる有力者があり、当時の日本のそのような状況の子供が進学する道、師範学校を目指したいと思ってい父の思いとは異なりましたが、商業学校へ経済的な応援を得て進学することができました。さらに、その上の段階である当時日本に三校しかなかった高等商業学校の一つ、小樽高商へ推薦をうけて進学することができました。そのような高等教育を受けた青年は、予備士官学校を経て将校となる道が開かれており、父もその課程を経て日本軍の将校となりました。十年近くを最前線の中国で戦うことになった父は、文字通り満身創痍の状態で日本に帰ってきました。私が子供のとき父と一緒に風呂に入ると、父の体にはおでこと尻のところに弾丸のあとがありました。父はよくおでこの弾痕は鉄兜を貫通して入ってきた弾丸がぐるっと頭のまわりを回ってまた入ってきたところからでていったと笑っていました。また尻の弾痕は、尻であったために致命傷にならずに済んだようです。また戦場での様子についてはほとんど話しませんでしたが、私の印象に強く残っているのは、映画の戦場で砲撃を受けて兵士が倒れるシーンのところで、「実際の戦場で砲弾の直撃を受けたら、その瞬間人間のからだはバラバラの肉片になって飛び散る」とぽつんと語っていたシーンです。本物の戦場と映画等の作られた戦場のシーンの違いを語っていました。

64歳でこの世を去った父でしたが、その最終段階でわかったことですが、学生時代、結核を罹患した父は肺の機能が片肺しかなく、その状態での従軍はかなり苦しかったのではないかと思います。父は最終的には中国の済南で終戦を迎えましたが、その段階で階級は中尉、中隊長として百名前後の部下を率いていたそうです。しかし、父が言うには上級の将校から疎外されていたため、父の所属していた連隊が当時安全と考えられていた満州に移動する際、父の中隊だけが現地に残されたのでそうです。なぜ父の中隊だけが残されたのか。日中戦争では、広大な大陸、圧倒的多数の中国人の中で戦っていた日本軍は、鉄道の路線と駅しか実効支配が及ばず、よく「点と線」と言いますが鉄道路線の沿線と駅をやっと抑えている状態で、最終段階ではそれも厳しい情勢になっていました。その中にあって、これも父の言っていたことですが、父の中隊は現地の中国人に決して無法なことせず人間として対等に接していたそうです。そのおかげかどうかはわかりませんが、なぜか父の中隊の守備範囲だけが破壊活動を免れる状態が続いており、「おまえの中隊だけ現地に残れ」と、連隊の中で父の中隊だけが現地に残ることになったとということです。済南という地は、現在でもそうですが、中国の南北と東西を結ぶ鉄道路線が交差する交通上の重要地点です。その重要地点に取り残された単独の中隊、大変不安な状況だったと思いますが、まもなく日本は無条件降伏しました。満州に移動した連隊の主力には、その後、ソ連軍との戦闘、降伏、シベリア抑留という運命が待っていたそうですが、父の中隊は中国軍によって武装解除された後、比較的早く日本に帰ることができたとのことです。

帰国後、父は北海道の釧路で母と結婚し、私を長男に三人の男の子が生まれます。私は昭和22年(1947年)生まれですので、まさに〝団塊の世代〟のスタートの団塊の一人です。小学校、中学校、高等学校と進学の各段階で、校舎の増築、定員増を経験し、大学受験は日本の受験の歴史で空前の倍率を経験しました。本年で後期高齢者の仲間入りです。〝ゆりかごから墓場まで〟という英国の社会福祉のスローガンがありましたが、私たち団塊の世代は、数が多いが故に〝ゆりかごから墓場まで〟つねに競争の場にさらされ、また格好の金儲けのターゲットにされるという生涯を送ることになりました。論より証拠、いわゆる〝オレオレ詐欺〟などはまさに金儲けの対象として考えられている格好の例だと思います。いま日中、テレビをつけるとコマーシャルのほとんど全てが健康関係の器具、薬品、そして墓園の紹介です。なぜこんなに多いのか?理由は明瞭です。対象の数が多いからです。なぜ多いのか?一時期にたくさん生まれたからです。なぜ一時期にたくさん生まれたのか?戦争に行っていた若者が帰還し、一斉に結婚し、一斉に子供が生まれたからです。なぜ一斉に?皆、兵隊として戦争に行っていたからです。

この人口ピラミッドの年齢構成の偏りは戦争が原因です。この現象は第一次世界大戦後のヨーロッパで、また第二次世界大戦後の全世界でおきました。

 

 

 

ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産

現在、世界中のニュースでほぼ一日中24時間と言って良いくらい関心を集め、取り上げられているのは、2月24日(2022年)に開始されたロシアによるウクライナ侵攻です。現在なお進行中であり、結末はまだみえていません。ニュースの取り扱いは、SNS等で送られてきた、現地の生々しいショットの放映を中心に、コメンテーターのコメントが加えられたニュース映像であり、日本のマスコミの取り扱いは、ほぼアメリカというよりは、アメリカの現バイデン民主党政権の主張にそった内容です。「アメリカ独立革命」に始まる「自由と民主主義」という普遍的な価値の守り手として自らを位置づけ「Manifest Destiny」を標榜する、価値観の視点からは、自らを一方的な「善」として設定し、対立する勢力を自らに跪かない限り絶対の「悪」として位置づけて弾劾し徹底して攻撃することを継続します。はたして、この姿勢から、次の時代の展望はひらけるのでしょうか。

〝戦争の世紀〟20世紀の反省を踏まえて、主権国家の独立をベースとし、その国家単位での生存の保証の組織として設立された国際連合は、この原則を破る国家に対して、懲罰としての諸策、最終段階での軍事的制裁をも想定し加えるまでに至る、組織として、米、露、中、英、仏の第二次世界大戦戦勝国の共同歩調を保証するための〝常任理事国〟の一致の条件(一国でも不賛成の国があれば成立しませんので〝拒否権〟と呼ばれます)を規定していますが、第二次世界大戦後の冷戦時においては米ソの対立のため、ソ連崩壊後の今日においても五大国の意見の一致は難しく、有効に機能したことはないと言っても良いと思います。ソ連邦の崩壊からすでに30年が経過しました。現在、国際関係においては、大国としての基盤を備えるに至った中国も含めた〝新帝国主義〟の時代となり、さらに複雑な機能障害に陥っているように見えます。まして、その理念・原則を常任理事国の一つであるロシアが踏みにじるというような事態になると、国連の機能不全状態が白日のもとにさらされることになりました。

この事態は、現在の核兵器保有国の異常な振る舞いであり、全人類の滅亡の可能性にもつながる本質的な意味での〝重要危機事態〟です。それでは、この事態の解決の方向性は? どんなに考えても簡単に結論のでる問題ではありません。ロシアを批判して、国内の反対世論に期待すべきでしょうか?経済面での制裁処置を究極にまでに高めるべきでしょうか?ウクライナ義勇兵、武器援助をはじめとする武力による支援を強力に行うべきでしょうか?このすべての可能性についての報道が今さかんに行われていますが、どれも決定的な解決手段とはならないことは明白です。

それでは、どのような対応策があるのか。この間の報道で、主にYouTubeでの報道ですが、丹念に探してみると馬淵元駐ウクライナ大使を始めとして、篠原常一郎氏の連日の発信、さらに新党大地の月例公開講演会での佐藤優氏の話とか、これはと思われる視点をもつものがいくつかあります。さらに検索を重ねていくと、たとえば「論座」「潮」における塩原俊彦氏の記事、「プレジデントオンライン」における佐藤優氏の投稿記事等、など、ロシア側の論理も押さえた上で、今後の見通しについての客観的な優れた記事があります。しかし、残念ながらこれらの記事の視点についも感情的な反感による批判の感想が集中しています。

大手メディア、マスコミの報道は、欧米を中心としたメディア発信のものが中心になっており、映像的には個人が様々な個々の状況に接して、その一瞬を切り取ったSNSからの発信を織り交ぜての報道になっていますので、インパクトの強い映像が中心であり、そこにいたる事情や背景も含めての根本的かつ根源的な認識を得るのは本当に難しい状況があります。またロシア発のニュースはほとんど無視され、〝人道的感情〟を安易によりどころとしたフェイクニュースが飛び交っています。その中からどう正しい事実を確認し真実をつかんで、正しく考えることができるか。今、求められているのは人類の歴史を踏まえ、人間の本質をしっかりと踏まえたうえでの事実に対する深い考察です。

この問題をどう考えれば良いかと、悩む中でいきついたのがトインビー博士の「ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産」という講演でした。この講演は、博士の著作の『〝Civilization on Trial〟「試練に立つ文明」』の中に収められています。英文による〝ACKNOWLEDGMENTS〟の中には、この講演についてA.J.Toynbeeの署名を記して、次のような記述があります。

……Rossia`s Byzatine Heritage, published in Horizon of August 1947, is based on a course of two lecutures deliverd in April 1947 at the University of  Tronto on the Armstorong Founation.

1947年、カナダのトロント大学での講義で、ロシアについての考察? しかし、現時点で振り返ると1947年という年は、1949年にソ連が原爆実験に成功し核保有国としてアメリカ合衆国の独占状態を破り核大国の道を歩み始める直前であり、カナダはソ連からの迫害を逃れたウクライナ人が多数移住した国でした。

今回のウクライナ問題について重要な役割を果たしているとされる、アメリ国務省の次官であるヌーランド女史はその祖父がウクライナ出身であり、2014年のロシアによるクリミア併合の結果につながる契機となったといわれる、ウクライナにおける〝マイダン革命〟の動きの中で、当時オバマ政権のもとで国務省次官補であった彼女が具体的に大きな役割を果たしたことは周知の事実です。

ロシアとウクライナとの関係、移民の国であるアメリカ合衆国におけるネオコンと呼ばれる人々、その人々がアメリカ合衆国エスタブリッシュメントとして、特に国家官僚として外交の上において果たしてきた役割を考えるとき、そのヨーロッパでの出自まで考えることによって、現在、目の前で起こっている事件の真実の背景が見えてくるように思えてなりません。

 トインビー博士の「ロシアにおけるビザンチン帝国の遺産」の内容は、ギリシャとローマからなるヘレニック文明、後継帝国としてのビザンチン帝国を考察の基盤において、キリスト教において西欧に展開されるローマン・カソリックビザンチン帝国で展開されるギリシャ正教ロシア正教等の東方キリスト教との関係について論じていきます。さらに世俗権力の頂点としての〝皇帝〟とキリスト教との関係を、西欧とビザンツ帝国との関係、さらに7世紀以降、急速に勃興するイスラム教。そのイスラム帝国であるオスマン・トルコとの関係。とくに1453年のコンスタンティノープル陥落以降の、東方キリスト教の首位者の変遷の結果、〝第三のローマ〟を呼称するロシアにおける〝皇帝〟《ツアーリ》の位置づけの内面的な意味にふれていきます。この根源的な内面的矜持が、ピョートル大帝以後の西欧文明の吸収、さらに第一次世界大戦におけるロシア帝国の崩壊に代わって権力を掌握したボリショビキ革命、反西欧文明的なマルクス主義のもとに成立したソヴィエト連邦がロシア人にとって持っている内面的意味についてふれていきます。この論考の冒頭でトインビー博士は次のように書かれています。

「今日のロシアの社会体制〔1947年段階でソ連の体制〕は――細目の外面的事項まで全部はおそらく含まないにしても、少なくとも重大な事柄の大部分においては――ロシアの過去とは縁もゆかりも一切断ち切ってしまったと主張しています。また西欧人もボルショヴィークの言葉を真に受けて、ロシアはその主張を文字通り実行したものと思い込んでいます。われわれはそれをまに受けて身震いしたのであります。しかし一歩立ちどまって反省してみると、われわれが祖先から受け継いだ遺産を放棄するということはそれほど容易なことではありません。われわれが過去を放棄しようとすると、自然はホラティウスも知っていたように、姿を変えたのはほんのうわべばかりで、こっそりとわれわれの懐に舞い戻ってくるくせ者なのであります。」(p228)

「過去一千年近くのあいだ、ロシア人は、筆者の見るところでは、西欧文明ではなくて、ビザンチン文明の一員であったと考えるのであります。このビザンチン文明は、われわれの文明と姉妹関係に立つ一つの社会であって、われわれと同じくギリシャ・ローマ文明を父としていますが、それにもかかわらずわれわれの文明とは別個の文明であります。ビザンチン文明に属する諸民族の一員であるロシア人は、われわれ西欧世界に圧倒されるという脅威に対して、いつも強硬な抵抗を示してきましたが、同様な抵抗を今日なお続けています。西欧に征服され無理に同化させられることをまぬがれようとして、彼らは再三西欧の技術的学問を身につけることを強いられてきたのであります。この『離れ業』はロシアの歴史において少なくとも前後二回――最初はピーター大帝によって、次にはボルショヴィークによって――繰り返しなし遂げられました。・・・ところがせっかくボルショヴィークが年来の宿望を果たしたと思ったら、こんどは西欧が原子爆弾の製造のこつを発見することによって、またもやロシアを出し抜いてしまったのであります。」(p230)

西欧人はロシアが侵略者であるという一個の観念をもっています。西欧的な眼を通して眺めるならば、実際ロシアはどこから見てもそうとしか見えません。・・・・・・(中略)・・・・それがロシア人の眼には、景色はまったく反対に映るのです。ロシア人は自分たちが絶えず西欧からの侵略の犠牲者であると考えています。」(p232)

このあと、トインビー博士は、キエフ公国からはじまるロシアの歴史を具体的にひもとながら、この西欧とロシアの認識の違いについて記述していきます。今回のウクライナ侵攻についても、この正反対の認識が双方にあることがニュース等で明白にわかります。どちらの認識が現実なのか。トインビー博士は次のように結論されています。

「数世紀にわたる二つのキリスト教世界のあいだの戦争の歴史において、どちらかといえば、むしろロシアのほうが侵略の犠牲者であり、西欧の方が侵略者である歩合いの方が多いというのが真相といってもいいでありましょう。」(p234)

この指摘は、冷戦初期の1947年における考察です。その一瞬の状況を分析するのに、トインビー博士は、ノルマン人によるキエフ公国の成立の含めた約1000年にわたるロシアの歴史を考察の対象とします。

「航行しうる内陸水路の支配権を獲得し、かくしてヒンターランドのスラブ人の原住民に対する支配権を確立することによって、曲がりなりにも一個のロシア国家の端緒を開いた『ヴァラング人』《一般的には、スウェーデンヴァイキングの事であると現代では解釈されている。ロシアでは15世紀までスウェーデン人をヴァリャーグと呼んでいた。実のところは、民族系統については不明との説もあり、ノルマン人と似た習俗があったとされ、一般的に東スラヴ人による呼称でゲルマン人の一派を指し、スカンディナヴィアから出てロシア平原に出現したヴァイキングの事とされているが、物的証拠の乏しさもあり、あくまで移動ルートは推測である。【ウィキペディアより】》はもともとシャルルマーニュ帝のもとにおける西欧キリスト教世界の北進によって刺激され、西方に向かうと同時に東方にも移動せしめられたスカンジナビアの蛮人であったようであります。母国にとどまったその子孫は西欧キリスト教に改宗して、彼らは彼らで、後代のスウェーデン人としてロシアの西方の地平線上に姿を現わしました、つまり彼らはロシア人から見れば、侵略根性をなおされることなしに異端者となった異教徒だったのです。さらにまた十四世紀においてロシアのもとの領地の最良の部分――白ロシアベラルーシ)とウクライナのほとんど全部――がロシア正教キリスト教世界から切りとられて、リトアニア人とポーランド人に征服されることにより西方キリスト教世界に併合されたのであります。(十四世紀にポーランド人が征服した、ガリシアのもとのロシア領は、1939年~45年の大戦が終局に近くなるまでロシアに取り戻されなかった。)」

なかでも1453年のコンスタンティノープル陥落以降の、ギリシャ正教という東方キリスト教世界における中心者であるコンスタンティノープル大司教が、イスラム教を奉じるオスマン・トルコの政治的支配に屈せざるを得ない状況の中での、モスクワを中心としたロシアの役割の変化について論じています。

1453年以来、ロシアはイスラム教徒の支配下にない『正教キリスト教国』のなかで唯一の重要な国家でありました。また、トルコ人によるコンスタンティノープルの占領は、『イワン雷帝』が一世紀後にカザンをタタール人から奪い取ったとき、彼によって劇的に復讐されたのであります。この事件は、ビザンチウムの遺産に対する要求において、ロシアがさらに一歩を進めたことを意味しています。・・・・・・・・・・ロシア人は自分が何をしているかを十分自覚していました。たとえば十六世紀において、ロシアの政策はモスコーの大公、バジル三世〔その治世はイワン三世と四世の治世にはさまれている〕にあてられた修道者、ブスコスのテオフィルスの一通の公開状の有名な一節のなかに、注目すべき明確さと自信とをもって述べられています。

“『古きローマの教会』はその異端のために倒れた。『第二のローマ』なるコンスタンティノープルの門は神を信ぜぬトルコ人の斧によって、伐り倒された。しかし『モスコーの教会』、『新しいローマの教会』は太陽よりも輝かしく全宇宙に光被している。・・・・・二つの『ローマ』は倒れたが『第三のローマ』は厳然として立っている。第四の『ローマ』は存在しえない。”

かくのごとくことさらに、はっきりした自覚をもってビザンチウムの遺産を要求することにおいて、ロシア人はなによりも先に、西欧に対するビザンチウムの伝統的態度というものをそのまま引き取ったことになるのであります。そうしてこのことは、1917年の『革命』以前のみならず、その以後においても、ロシア人自身の西欧に対する態度に甚大な影響を与えているのであります。

このトインビー博士の記述は、1947年のソヴィエト・ロシアの存在をもとにした考察です。そしてその時から75年を経過した現在、プーチン・ロシアの現在の行動の根本において同じように厳然と生きているように感じます。さらにトインビー博士は次のように続けています。

「今日のマルクス主義マルクス主義のロシアにもなおいまだにその影響を失っていないように見えるビザンチウム以来のロシアの遺産について、われわれはもう少し立ち入って研究してみましょう。ビザンチウムの歴史の第一章をなす中世初期の小アジアコンスタンティノープルにおけるギリシャ時代を回顧してみるとき、このわれわれの姉妹社会のいちじるしい特色は何でありましょう。(すでに述べたような)ビザンチウムがあらゆる場合に善玉だという確信と、全体主義国家の制定との二つの特色が他にもまして顕著であります。」

この後続いて、ローマ帝国のコンスタンチヌス帝による首都の遷都、ギリシャ語世界であるビザンチウムへの遷都、そしてコンスタンティノープルの成立等からはじまるキリスト教の東方への展開、いわゆる「ギリシャ人によるキリスト教ローマ帝国」である東ローマ帝国ビザンツ帝国の成立をたどりながら、西方の西欧世界に展開したキリスト教のイニシアティブのもと成立した、シャルルマーニュカール大帝ローマ帝国(トインビー博士は「幸運なる失敗」と表現していますが)後の西欧の状況。常に教会権力が世俗権力に対して優位にたつ、もしくは教会権力と世俗権力が楕円の二つの焦点のように緊張をもちながら関係しあう関係に論及されます。「幸運なる失敗」と表現されているのは、この「権威」と「権力」の緊張関係の中で、現在の『西欧キリスト教文明』の性格が形成され、近世以降のキリスト教の“世俗化”の中で近代合理主義に基づく啓蒙思想による“自由と民主主義”を大義名分とする西欧世界が形成されていきます。現在、“世界の覇者”としてその軍事力を背景に、全世界にその価値観に基づく体制を作り上げようとしているアメリカ合衆国がその先頭にいます(特に米国内の民主党が主導していますが、トランプ前大統領の“アメリカ第一主義”はその対極です)。

今回のロシアによるウクライナ侵攻は、1648年以来のウエストファリア体制。主権国家ベースでの国際秩序を大きく揺るがし、国家連合である国際連合による平和維持システムの破綻と言っても良い重要な歴史的事件であり、人類の未来に暗い影を落としています。さらにつけ加えて言えば、佐藤優氏が、今回のロシアによるウクライナ侵攻を読み解く上で、レーニンの「帝国主義」が重要であると指摘し、今回のウクライナにおける状況はロシア帝国主義とアメリカを中心とした西欧の国家群の“帝国主義”のウクライナにおける勢力圏の奪い合いとみるべきであるとしていることに大事な視点があるように感じます。

この現状をどう認識し未来への展望を切り開くか。トインビー博士は、この1947年の段階ですでに「歴史の研究」の前半部を「文明」中心の視点で書き上げ、出版されています。20世紀の現在、トインビー博士が設定するこの地球上に存在する文明は、まず西欧文明、つぎにイスラム文明、ロシア文明、インド文明、中国文明、そして日本文明、朝鮮文明、ベトナム文明です。それぞれの文明が、歴史的な変遷の中で培ってきた伝統をもつとともに、その文明の成立には必ず「宗教」があります。その「宗教」の“質”がその文明の性格と方向性を決めるというのもトインビー博士の重要な結論であり、この1947年以後発行された「歴史の研究」の後半部では「高等宗教」に視点が据えられることになります。そして、その結論をさらに深めていく過程で、トインビー博士自身のイニシアティブで実現したのが、日本の宗教指導者である創価学会池田大作会長との対談であり、その内容が共著である「21世紀への対話」です。その実現からすでに50年の年月が経過しました。

この50年の間に、ソヴィエト連邦の崩壊、いわゆる冷戦の終結がありました。その事実を受けてフランシス・フクヤマ氏が著したのが「歴史の終わり」です。アメリカ型自由主義の勝利を記述したこの著作は当時、大きな話題になりました。また1996年にはハンチントンによる「文明の衝突」が発表されました。21世紀初頭の現在の状況を佐藤優氏は“新帝国主義”の時代と表現しましたが、この“帝国主義”を担う存在は、ほぼ現在の超大国ハンチントンによる“文明”と重なります。アメリカ、EU(西欧諸国連合)、ロシア、インド、中国、朝鮮そして日本。この国々というよりも、諸文明の衝突、きしみ合いが、アメリカ・西欧諸国を一方の勢力として対中国、対ロシアの状況におい次第に形づくられようとしています。この21世紀の諸文明は、日本をのぞけば、いずれも「核兵器」を所有し、“文明の衝突”は最悪の想定として、全人類の滅亡を意味する世界最終戦争=核戦争につながる可能性があることは、現在、全人類の共通認識になっています。「核兵器」を所有しない唯一つの文明が『日本』です。「民族」「国家」がそのまま「文明」と重なる唯一の存在です。国家の交戦権を否定し、さらに防衛目的以外の軍隊を持たないと明確に規定した憲法を持つ国です。

今回のロシアのウクライナ侵攻によって、現在「日本」がかかえる問題が再び浮上して論議が始まろうとしています。現在、日本においては、憲法を改正して交戦権を規定し、軍隊をもつことを明白にして自らを守る体制を確立すべきであると主張する人々、国家主義的な主張をする人が次第に増加しつつあります。その中には、今回のウクライナのケースのように、アメリカ合衆国はいざという時にはあてにならない。結局、アメリカの「核の傘」といっても、日本有事の場合は機能しない。とくに、侵略の当事国が「核大国」の場合は、核戦争を恐れたアメリカは戦わない。したがって、日本も独自に核兵器の開発に乗り出すべきであるとまで主張する人もいます。その方向にゆくべきでしょうか?

しかし、少し思いをいたせば日本独自の核兵器所有論の論議は、大事な本質が抜けています。トインビー博士は日本の9条に特色を持つ日本国憲法について、この方向こそ人類が生き残る唯一の方向であり、“押しつけられた”憲法であるとの視点については、強く反論し、自らの1929年、1956年、1967年の訪日の際、日本人と直接語りあったなかで、この憲法はあの核兵器の洗礼をうけるまで徹底的に戦い敗北した日本人の正直な思いを正確に反映したものであると断言しています。世界の五つの文明の明確な一つであって、国家が文明と重なる日本。この日本の今後の立ち位置はあくまでも核兵器をもたずに、世界平和の方向へ世界をリードしていく重要な使命のある文明としてスタートするときが今到来したと強く感じてなりません。

日蓮仏法の実践者であった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、読む人が読むと日蓮仏法の根本である法華経に登場する不軽菩薩の振る舞いであることがすぐにわかります。どんな人間にも平等に最高に尊貴な仏の生命がある。そのことに対する尊敬の思いを担業礼拝の実践にこめ、いくら迫害されようとめげずに賢く行動し、目的の成就まで不退転の行動を、あくまでも非暴力の実践の中でつらぬく。そのような日本文明=日本国であってほしい。私も強く願っております。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 

現今進行中の、ロシア・ウクライナ戦争から、大きな話題につなぎましたが、これは単なる空理・空論ではありません。その解決の鍵をトインビー博士およびその博士が最後に使命を託した池田先生が率いる創価学会SGIが握っていることを最後に記しておきます。    

               2022年5月25日 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人と戦争・・トインビー史観からみて

 「日本人と戦争」という題を挙げて、トインビー博士の歴史叙述を検討してみたいと思います。この「日本人と戦争」というテーマをとりあげた理由は、このテーマについて書かれた記述の中に、トインビー博士の歴史観と歴史記述を理解する上で大事なポイントがあると思うからです。
 1945年の第二次世界大戦終結以来、現在にいたるまで、日本社会において論じられてきた課題は種々ありますが、それらの課題を根源的に考察していくと、「日本人と戦争」というテーマに収斂してくると思います。たとえば、現在国会で論議を進めようとしている第9条を焦点とする憲法に関する議論。また日米、日中、日韓、日露との間の領土問題等を焦点とする外交に関する議論。それらの案件と密接な関連がある軍事力の主体である自衛隊を巡る議論。国連と日本の関係を巡る議論。靖国神社を巡る議論。その全ての課題が、日本が明治以来、1945年の敗戦にいたるまで歩んだきた軌跡と深い関連性があると言って過言ではありません。具体的には、1895年の日清戦争、1905年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦、1931年の満州事変、1937年の日華事変、1941年の太平洋戦争と、1945年の敗戦・終戦まで、ほぼ10年おきに刻んできた対外戦争の歴史と深い関係があります。この1945年までの段階で累積した戦争での死者は、まず日本人の死者では兵士が約230万人、一般市民が約80万人、合計で310万となります。アジア・太平洋地域での死者を兵士・一般市民の合計数であげてみますと、中国で約1321万人、中国を除くアジアで約912万人、アメリカ人が約29万人で合計で約2262万人となります。日本人自身と、その日本の行動と関係のある死者を合計してみますと約2572万人という数字が上がってきます。さらに視点を欧州を含む全世界に広げてみますと、合計で約5565万人の死者があがってきます。この死者以上に、心身に重大な損壊をかかえて、生きることを余儀なくされた人々の数は、数え上げることも困難です。さらに、太平洋戦争の日本の敗北は、核兵器という人類滅亡の道を開く悪魔の兵器の登場と軌を一にしています。
 「日本人と戦争」について深く考えぬくことは、全世界の課題として、取り組まなければならない課題であり、その理解の上に立って全人類が参画できる、平和で平等で豊かな世界を構築する理念と行動指針をしっかりと確認し行動することこそ、現在、日本人に強く求められている最重要の課題であると思います。日本人が国際社会において「名誉ある地位」を占めるためにも不可欠の取り組みであると思います。
 この課題にしっかりと応えてくれるのが、トインビー博士の歴史観です。マルクス主義史観のように、階級闘争的なバイアスがかかった偏波な人間観にたったものではない。また、現在の主流である経済的利害得失をものの見方の基礎とするものではない。ナショナリズム国家主義という現在主流の見方に対して厳しい視点をもち、人間社会を根底から動かしている普遍的な無意識層からの動きもしっかりと視点の中に収めている。その認識の上に立って、人間社会を動かしている大きな原動力として宗教のもつ力を客観的に評価し、歴史的な考察の中にバランス良く織り込んでいる。その上で、自ら取り組んできた世界史上の豊富な知識・見識の上に立った判断と、大英帝国という世界をリードした国家の外交に、第一次世界大戦第二次世界大戦の時期に実際に加わった実務経験と、戦間期においては「王立国際問題研究所」で、1922年以来、第二次世界大戦の時期まで全世界情勢の年報である「国際問題大観」をほぼ一人で書き刊行した経験とその過程で得た世界情勢の認識。さらに、1929年、1956年、1967年と三回にわたり来日され、当時の日本のオピニオンリーダーたちと会うなかで、偏見を離れたバランスのとれた認識を持ち、日本の歴史に関連する様々な象徴的な場所を精力的に訪問し認識を深めた知見、これらを会わせるとトインビー博士こそ「日本人と戦争」というテーマに対して、これ以上を望めない最高の執筆者であると思います。しかも、同じアングロ・サクソンであるアメリカ合衆国の肩を持つこともなく、先ほどあげた価値観からの厳しい視点を崩しません。以後、引用しその内容を検討してみたいと思います。
 
 
『回想録』 p62~p64より
・・・・ 日本が勝った戦争というのは、1894年の中国との戦争、1904~5年のロシアとの戦争、そしてドイツに対抗する側に組して参戦した第一次世界大戦であった。1870~1年の普仏戦争がドイツにとって骨の折れるものであったのと同様に、日露戦争は日本にとって骨の折れるものであった。しかしドイツの場合と同じく日本の場合にも勝った国民の側から見るなら、国力と人命の損失も勝利の結果によってむくわれるものであった。1894年と1914~18年の楽勝に続く失望的な結果は、日本に対して一つの教訓を示していたのであるが、もし日本がもっと明敏であったならこの教訓がわかっていたかもしれない。しかしながら日本人は、この二つの戦争よりも苦労して勝利を得た日露戦争のいっそう実質的と思われる利得によって、目がくらんでいた。ドイツ人と同じく日本人も、過去の戦勝に酔って夢中になってしまった。そして今度は日本が、向かうところ敵なしという幻覚に欺かれて、この上ない破局に終わる軍事的冒険の中にはまりこんだのである。
 日本の軍事的冒険は比較的長期にわたっていた。それは1931年に日本が武力によって満州を押さえたことに始まった。この行為は国際連盟規約承認国および1922年2月6日のワシントン九ヶ国条約調印国として日本がみずから保証したことを破るものであり、また世界の世論に挑戦するものであった。中国領である満州の三つの省〔奉天吉林黒竜江〕をこのように占領したのに続いて、熱河省内蒙古東端が占領された。1937年には日本はルビコンを渡った。中国の心臓部――長城の内側の各省――に侵入したのである。巨大な陸上軍を戦場に投入するという代償を払った上で、日本は長城内部の中国の主要な鉄道、航行可能な水路、海港、河港、都市を占領することに成功した。しかしながら、中国領内の点と線だけの占領を完了するために南西部に足場を得るということすら、日本にとってはその力に余ることであったし、さらにいっそう不吉な失敗になったことには、日本軍守備隊の占拠している帯状の領土の背後に広がる広大な中国領を制圧することもできなかった。中国の広大さ、中国人の忍耐力、そしてゲリラ戦の巧みさのために、1940年までにはこの第二次日中戦争は行き詰まっていた。その頃ヒトラーは、フランスは征服していたが、イギリスは征服できないでいた。
 その後1941年には、日本はヒトラーに劣らぬほどの一大錯誤を犯した。一方の戦線では決定的な勝利を得ることに成功していない戦争をまだ抱えているというのに、日本はソヴィエト連邦に対するヒトラーの攻撃と同じくらい自殺的な途方もない侵略行為によって、今や太平洋に広大な新しい戦線を展開し、ここで軍事行動を開始したのであった。太平洋地域のイギリスとオランダとフランスの領土を侵すという楽な仕事だけをこの地域で行うかわりに、日本はアメリカも攻撃した。日本人が犯したこの最大の愚行は、計画が思い通りにゆかないときにはエスカレーションという反応を見せる思い上がった軍国主義を待ちぶせしている因果応報の、典型的な一例である。
 第二次世界大戦においては、日本の運勢の逆転はドイツの運勢の逆転と同じくらい極端なものであった。真珠湾アメリカ艦隊を爆撃しそしてフィリピンを征服したのち、日本は最後にはアメリカのために降伏を強いられた。そして本土をアメリカ軍に占領され、1931年以来次第にに占領してきた外国領をすべて引き渡し、1894年の日清戦争に勝ったために獲得していた台湾を譲り渡しただけでなく、1904~5年の日露戦争に勝ったために獲得していた東アジア本土の領土もすべて譲り渡さなければならなかった。外国軍隊によって日本が占領されたのは、これが日本史上はじめてのことであった。日本人は1868年の明治維新以来、日本は「神国」でありそして神々から付与されたこの特権のゆえに日本は永久に侵されることがなく最後には世界に君臨する運命にあるという教義を教え込まれていたのであった。
 1931~45年の戦争の戦争の結末が日本人に与えた衝撃は、極端なものであったに違いない。1904~5年の日露戦争において日本がロシアに対して勝ったことを根拠にして、日本人が今なお戦争をおこなうことは割にあるものだと考えているという可能性は存在しているであろうか。ドイツと同じく日本も、正気に帰るためには二度目のそしてさらにいっそう悲惨な敗北を必要とするのであろうか。5週間(1967年11月9日~12月13日)にわたる日本訪問からイギリスに帰る途中でこの章を書いたのち、私はこの問いに対してある程度の自信をもって、あえて「否」と答えるものである。私がかなり確信してこう答えるのは、三度目のこの日本訪問から受けた印象によって、1956年におこなった二度目の訪問のときに抱いた印象がますます強いものになったからである。1956年と同じく1967年にも、私は日本の戦後の気分と戦前の気分の対照を強く感じた。この戦前の気分は、1929年――日本が悲惨な冒険に乗り出す前夜――にはじめて訪れたとき、私に強い印象を与えた。私は1929年には、日本人がそれまで中断することのなかった連勝に酔っているのを知った。1956年と1967年には、日本人は酔いからさめているように私には思われた。その上1967年には、日本人は経済的繁栄の一時期にあったが、それは同じ頃の西ドイツの繁栄の一時期と同様に、輝かしいものではあったが不安定なものでもあった。私の考えでは1967年には、戦後の経済的業績に対する日本人の態度はドイツ人が自分たちのそれに対して抱いている態度を思い出させた。ドイツ人と同じく日本人も、今や経済の分野で達成したものを当然誇ってはいたが、同時ににまた、自分たちの経済は用心深く育成する必要があるだろうということを、かなり不安げに意識していた。一歩誤れば、それは発展したときと同じくらい急速に衰退することになるかもしれない。そして日本の経済にとっても、西ドイツの経済にとっても、最も確実に致命的なものになる誤った歩みは、新たな軍事的冒険に乗り出すことであろう。それゆえ私は、日本にとっても戦争は割に合わぬものだという教訓を日本に与えるには、ただ一回の悲惨な戦争で十分であったと信じるのである。
 なるほどドイツ人を再教育するためには、ただ一度の軍事的破局だけでは十分でなかった。しかし日本のただ一度の破局は、広島と長崎に二発の原子爆弾が投下されたことによって、その極に達した。そしてこれは、今までただ一つ日本を除いてドイツにもその他の国にも降りかかったことのない抑止的な経験なのである。私の印象では、これまでに例のないほど恐ろしい形の戦争を日本だけがこのようにして経験したために、日本は原子力戦争だけでなくいかなる種類の兵器を用いる戦争に対しても「アレルギー性」になっている。戦争に対する日本人の態度の中に私が認めてこの大きな変化は、理性にかなったものである。なぜなる原子力時代においては、「通常」兵器をもっておこなわれる局地戦も、エスカレートして、原子力兵器をもっておこなわれる第三次世界大戦になるかもしれないからである。
 日本が現在原子力兵器に対して「アレルギー性」になっているというのはアメリカ人の言っていることであるが、これは鈍感な言葉である。その言葉は、24年前(1945年)にアメリカ人が日本に与えたがアメリカ人自身はまだ経験していない未曾有の恐怖の、心理的倫理的精神的影響を想像することができないという、困った無能ぶりを暗に意味している。なるほど日本がこの恐ろしい報復を招いたのは自業自得であった。もし最初に日本の「通常」爆弾が真珠湾に投じられなかったなら、その後四年とたたぬうちにアメリカの原子爆弾が日本に投じられることはなかったであろう。もしアメリカ軍が日本に侵攻していたなら、アメリカ人だけでなく日本人の生命も何十万となく失われたことであろう。トルーマン大統領が自分の手中に置かれたばかりの恐ろしい新兵器を使用するという運命的な決定を下したことについては、弁護の余地もあろう。しかしこの新兵器の存在が日常生活のありふれた事実の一つになったかのごとく感じ考え語り振る舞うことについては、弁護の余地はない。原子兵器の発明によって、戦争の破壊性と恐ろしさは、質的に異なったものになるほどに強められた。人類が後期旧石器時代にすべての野獣に対して優位に立って以来、原子爆弾が投下された瞬間まで、その存続は常に保証されていた。しかし1945年に二発の原子爆弾が投下されたことによって人類の置かれている状況がこのように悪化したことの意義に対して、原子兵器を持つ国が目を閉じているかぎり、人類の存続は再び依然として疑わしいものになることであろう。
 これまで中断することなく勝利を収めていた日本とドイツの一連の戦争が破局的な結末に出会ったために、今ではフランス人とイギリス人だけでなく日本人もドイツ人も、戦争を普通なそして耐えうる制度として黙認する人類の伝統的な態度からゆさぶり出された、と推測しても正しい。ところが一方アメリカとイスラエルの連勝は、1968年11月現在まだ中断されていないのである。
 
『東から西へ』P109
「そしてその倒れ方はひどかった(マタイ福音書、第7章27節)」敗戦後11年の日本を訪れた西欧人の旅行者の耳に、この聖書の言葉が鳴り響く。訪問者の気づくこの国をひっくり返した大事件は、日本帝国の倒壊でも、広島と長崎の上空における原子爆弾の爆発でもない。これらの事件もまた、歴史的なできごとであったには相違ない。日本帝国は、倒壊する前には、中国、フィリピン、インドシナ、マラヤ、ビルマの各地に進出していた。日本に二個の爆弾が投下されたことによって、戦争という制度と人類の運命の歴史に新たな局面が開かれた。しかし、そのほかになお、1945年に日本において倒れたものがあった。そして、それは明治時代の日本精神であった。これがいまなお日本のいたるところに反響を呼び起こしつつある倒壊である。長崎は再建され、1956年のいま、もし知らなかったならば、1945年にそこに何が起こったか、想像もつかないくらいである。しかし、日本人の戦前の思想的世界の崩壊は、いまなお空白のままになっている精神的真空状態を後に残した。いやでもその存在に気づかないわけにゆかず、また、それがやがて何によって満たされるのか、考えてみないわけにゆかない。それが満たされることは間違いがないように思われる。
自然は物理的真空だけでなしに、精神的真空をも忌み嫌うものであるからして。・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
百年前に日本の指導者がかれらの先輩の鎖国政策を棄て、近代西欧文明の実用面を全面的に取り入れることを決意したとき、かれらはかれらの伝統的な精神生活を放棄するつもりはなかった。では、つぎつぎに層をなして堆積している異教(神道)と仏教と儒教をどう処理すればよいか。かれらは儒教の倫理と神道の儀式とを融合して、天皇崇拝を信仰の中心とする、かなり人為的な新たな混合宗教を作り上げた。日本は〝神国〟であり、外敵に侵されることがなく、やがていつか世界を支配する運命を担っている、という昔のおとぎ話に、公認の教義の地位が与えられた。この想像上の日本の国家的運命の崇拝は、1930年代の日本の軍国主義者たちの気分にぴったり合い、真珠湾攻撃後最初の1,2年のあいだは、これらの政治的おとぎ話のもっとも突飛なものまで、実現されそうに思われた。だからして、完全な敗北という結果に終わった戦況の逆転は、日本人に、現存のいかなる国民も受けたことのない大きなショックを与えた。伝説が事実によって否定された。日本の武装せる強き人は、かれよりも強い人間を挑発し、その前に屈服した。天皇はみづから国民に、神でないと宣言した。ほんの二、三日のうちに、思想的世界全体が霧散してしまった。どのような新たな世界観がそれに代わるべきか。これが日本人が今日なお取り組んでいる精神的問題なのである。
 
p113『東から西へ』
戦後の日本はいろいろな理由で興味のある国である。一つの理由は、戦後の世界の主要な問題のいくつかが、特に鋭い形で日本を悩ましており、それらの問題の内的本質を明るみにさらけ出しているという点にある。世界全体が今日、祖先伝来の宗教的伝統との接触を失った結果として、精神的窮乏の中に置かれている。日本は、この世界的な疾病の苦悩を特に強く嘗めている。日本の三つの伝統的信仰ー神道、仏教、儒教の三つーは、いずれも日本人の思想と感情をとらえる力を失ったように見える。
 神道は、豊作祈願として発足し、のちに天皇一身のうちに具現されている日本国家に対する政治的忠誠の、いわば政治的セメントの役を果たすように利用された原始宗教である。ギリシャ・ラテンの古典の教育を受けた西欧人には、この神道の両面は二つともおなじみのものである。日本の農村の農耕宗教の正確な描写を、聖アウグスティヌスの、ローマ宗教のそれに対応する層に関する有名な記述のうちに見いだすことができる。1945年に完全な崩壊を見た日本国崇拝は、原始キリスト教会の殉教者たちが拒否した、女神ローマと神格化されたカイサルの崇拝とほとんど同じものである。・・・・・・・・政治的形態の神道は、すでにはるかにひどく信用を落としてしまっている。それは、1945年に日本を破局に導いた政治体制と結びついていた。だが、かりに日本国民の上にこの不幸をもたらさなかったとしても、政治的神道は存続することが困難であっただろう。その神話は近代科学精神と相容れない。日本が近代科学精神を受け入れた以上、結局はその政治的観念と理想とを、いつまでも古めかしい隔室に入れておくことができなくなったであろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・政治的神道の没落は儒教に累を及ぼした。なぜなら、政治的神道は、その倫理面においては、事実上、日本的衣装をまとった儒教にほかならなかったからである。儒教は、家族の中の年長者、とりわけ家長としての父親と、国家によって代表される大きな家族の長として天皇に対する、絶対の、疑いをさしはさまない義務の意識を教え込む。1945年に突如不幸な終末を告げた、あの日本歴史の一時期中、政治的神道に応用された儒教の倫理基準は、個人に対して犠牲を要求した。事実によって、犠牲が無駄であり、イデオロギーがおとぎ話であったことが証明させたときに、一千年の日本の歴史においてはじめて、個人がその人権を主張するようになった。かれは自分のために生命と幸福を要求するようになったのである。・・・・・・・・・
日本の家長も日本の国家の首長も、二度とふたたび半神としてうやまわれることはあるまい。将来の日本の家族は、因習的な義務のおきてによってではなく、自然の愛情によって結束が保たれるであろう。一家の中心になるのは、父親ではなくて母親であろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本における仏教の前途はもっと明るいと思われるかも知れない。仏教は、キリスト教と違って、近代科学の見地と十分そりを合わせることのできる、合理的哲学である。・・・・・日本は1400年ものあいだ部分的に仏教国であった(これは、イギリスがキリスト教国になって以来の期間よりやや長い)。日本の家族はすべて、表向きは日本に無数にある仏教寺院のどれか一つに属している。一方、仏教は、1868年の明治維新後に神道が一新されたとき、公的には政治的神道と縁を断った。そのために、仏教は、1945年の明治的イデオロギーの没落には直接まきこまれなかった。仏教こそ、神道の神話と儒教倫理の崩壊によって生じた、精神的真空を埋めることができるのではないか。意外なことに、禅宗の精神修養に従うごく少数の人々を除き、仏教は今日の日本において重きをなしていない。・・・・今日の日本人の生活のなかでの仏教の実用的役割は、仏式葬儀を執り行って人をこの世から送り出すことである。・・・・・今日の日本において仏教は、日本国民が飢え求めている精神的かてを提供していない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の精神的飢餓は、多数の新興宗教の出現によって示されている。新興宗教は600もあると言われ、日本は富裕な国でないにもかかわらず、それらは財政的にうまくいっているようである。一番数が多く熱心な支持者は中産階級の婦人であり、またそれらの教派の多くは婦人を教祖にしている。・・・・・(天理教の教義におけるキリスト教の影響にふれて)・・・・・それでは、現在生まれ出ようとして悪戦苦闘している新しい日本における、キリスト教そのものの前途はどうか。日本のキリスト教徒は今日、枢要な地位を占めている。しかし、言うまでもなく、かれらはごく少数であるにすぎず、今後も大規模な改宗が行われる見込みはないように思われる。にもかかわらず、キリスト教の精神が日本人の生活の中に浸透していき、徐々に伝統的な仏教の影響力に取って代わり、あるいは変化させはじめているように見える。心の意識的な表面では、現在の苦痛に満ちた模索はまだまだ続くかも知れない。しかし、もっと下の方の潜在意識のレベルでは、日本人はすでに生命のかてを見いだしつつあるのかも知れない。