トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

Samuel P Huntinbton      「T HE CLASH OF CIVILIZATIONS AND THE REMAKING OF WORLD ORDER」

Samuel P Huntinbton                                      
THE CLASH OF CIVILIZATIONS    AND  THE REMAKING OF WORLD ORDER
 
サムエル・ハンチントンの話題作「文明の衝突」の日本版への序文の最後に1998年5月の日付けのある次のような文章があります。現在のロシアによるウクライナ侵攻の意味を読み取るには〝文明〟単位で世界を読み解く必要があります。その視点に立った場合〝日本〟はどのような立場にあるのか。またその立場に立った時、取り組むべき課題は何なのか?今から24年前、ハンチントンは明確に指摘しています。その部分を引用します。
 
p3
文明の衝突というテーゼは、日本にとって重要な二つの意味がある。第一に、それが日本は独自の文明をもつかどうかという疑問をかきたてたことである。オズワルド・シュペングラーを含む少数の文明史家が主張するところによれば、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元五世紀ごろだったという。私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。それに加えて、日本が明らかに前世紀(19世紀)に近代化をとげた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれと異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ。
第二に、世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない。さらに、日本のディアスポラ(移住者集団)はアメリカ、ブラジル、ペルーなどいくつかの国に存在するが、いずれも少数で、移住先の社会に同化する傾向がある。文化が提携をうながす世界にあって、日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシャ、中国とシンガポールのあいだに存在するような、緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。そのために、日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することもでき、他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない。その意味で、日本は他の国がもちえない行動の自由をほしいままにできる。そして、もちろん、本書で指摘したように、国際的な存在になって以来、日本は世界の問題に支配的な力をもつと思われる国と手を結ぶのが自国の利益にかなうと考えてきた。第一次世界大戦以前のイギリス、大戦間の時代に於けるファシスト国家、第二次世界大戦後のアメリカである。中国が大国として発展しつづければ、中国を東アジアの覇権国として、アメリカを世界の覇権国として処遇しなければならないという問題にぶつかざるえない。これをうまくやってのけるかどうかが、東アジアと世界の平和を維持する上で決定的な要因になるだろう。したがって、本書が日本で刊行されることから、日本の人びとのあいだに文明としての日本の性格、多極的で多文明の世界における日本の地位などをめぐって真剣な議論がうながされることを、著者として希望するものである
                       1998年5月
 
このハンティントンの指摘の意味しているものは、今後の日本の進路を考えるうえで必ず踏まえるべき大事な前提条件です。まず最初に「文明の衝突」というテーマは、日本にとって重要な意味を持つことを指摘します。その理由として、二つの重要な視点を指摘します。
まず指摘するのが、「第一に、それが日本は独自の文明をもつかどうかという疑問をかきたてたことである」ということです。この視点は、日本人にとってもまだ理解が難しい視点です。日本人は、日本という国をかなり独自の文化をもつ国であるとの認識は持っていると思いますが、その日本が独自の『文明』を持っているとは考えていないと思います。特に、第二次世界大戦の敗戦後の教育においては、戦前の“国体思想”中心の教育に対する反動から“日本が独自の文明”を持つという方向の教育は、意識的に遠ざけられてきました。しかし、日本は独自の文明であるという考え方は、ここでハンチントンがあげたショペングラーを始め、文明論の立場に立つ歴史家において主張されてきた視点です。トインビー博士も明確に“日本は独自の文明である”との立場を取っています。もっとも、その日本文明の成立においては、中国・朝鮮の大陸文明の影響は大きくトインビー博士も最初は、太陽の光を受けて輝く月のようなイメージで“衛星文明”として表現しています。しかしここでハンチントンが述べている 次の視点は重要です。
日本が独自の文明をもつようになったのは紀元五世紀ごろだったという。私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。それに加えて、日本が明らかに前世紀(19世紀)に近代化をとげた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれと異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ。」 
以上の文章の中で、ハンチントンは日本の文明は、基本的な側面で中国の文明とは異なり、近代化(西欧化)を進めていっても西欧の文明とは異なったままであると見ています。したがって日本は、中国とも朝鮮とも西欧とも異なる独自の文明であると結論しています。さらに、第二の重要な視点として「世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである」という点を挙げています。この視点は、日本という国の独自性を、その基盤をなしている文明の独自性に求める視点とつながります。そして、この視点は日本文明の独自性を追求するなかで、国家主義国粋主義的な考え方に近づいていく危険性を常に持っています。その一つの例が中西輝政氏の「国民の文明史」において述べられている視点です。その視点に対して、世界史上の文明の興亡にみられる法則的な動きの中で日本を捉えているのがトインビー博士の視点です。その視点においては、日本文明の独自性の認識と共に、その認識が本質的に持っている危険性としてどの民族も陥り易い自己中心性についての厳しい視点があります。その視点については、あらためて後述したいと思います。
いま、ここで見てきたハンチントンの視点に戻ると、ハンチントン国際政治学者として、今後の世界において日本が取るべき方向性の条件を提示しています。この内容は、示唆に富んでおり、今後の日本の方向性を考える上で有益な視点です。
あらためて、引用してみます。
日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することもでき、他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない。その意味で、日本は他の国がもちえない行動の自由をほしいままにできる」
この視点は、合理的に割り切ったドライな視点です。ただ、最後の部分に記述されているような日本にとっての“行動の自由”とは何かを考える上で大事な視点でもあると思います。
最後に記述されている「中国が大国として発展しつづければ、中国を東アジアの覇権国として、アメリカを世界の覇権国として処遇しなければならないという問題にぶつかざるえない。これをうまくやってのけるかどうかが、東アジアと世界の平和を維持する上で決定的な要因になるだろう」という視点は、21世紀も20年代に入った、2023年現在、日本が直面している最大の問題であると言って間違いないと思います。
文明の衝突』(日本版)の前書きの結語として、ハンチントン博士が書かれた日本へのアドバイスとしての言葉、「日本の人びとのあいだに文明としての日本の性格、多極的で多文明の世界における日本の地位などをめぐって真剣な議論がうながされることを、著者として希望するものである」は、真剣に受け止めなければならない喫緊の課題であると思います。
 
特にウクライナでの戦争が、ウクライナとロシアとの国家レベルの戦争の域を超えて、まさに「文明の衝突」の様相を示し始めた今、真剣に受け止めなければならないと思います