トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「文明」について

トインビー博士の世界史において、概念装置というよりも「歴史」を理解する上での「理解可能な歴史の範囲」として登場するのが「文明」です。きわめて経験論的で、一見あいまいに見えるこの『定義』には、数多くの批判が集中しました。

 「科学的」な論理の組み立てからすれば、用語の定義は、最初に最も厳密に丁寧になされねばならない部分です。まして、その用語が世界史を説明する上での必須事項であれば、なお一層重要になるはずです。しかし「文明」という用語に対する、トインビー博士の扱いは経験論的であり。1930年代の最初の定義「理解可能な歴史の範囲」は、1950年代の最終段階に向けて、この間の歴史学、考古学の成果をうけ変化し進化していきます。

 さらに75歳の時に出版した「再考察」(「歴史の研究」の英語版での11巻)においても変化し進化していきます。80歳の時に出版した「図説:歴史の研究」でも若干の変更があります。またこの段階でトインビー博士は、文明の定義を再度行い、文明とは「人類が一つの家族のように仲良く生きていくような方向へ向けての努力」であると定義されています。この定義に到ると「文明」とは、概念というよりも人類の究極的な努力目標として設定されています。

 トインビー博士は、全人類の歴史を俯瞰してこの約5000年の間に21の文明を数え上げています。その中にはすでに崩壊している文明が14あり、現在においては西欧、ロシア、イスラム、インド、中国、朝鮮、日本、の主要な7つの文明が存在し、その中で西欧以外の文明は西欧文明からの圧倒的な影響のもとで「西欧化」を迫られていると論じています。この基本的認識は1947年に出版された欧米各地の大学での講演や、寄稿論文を集めて出版された「試練に立つ文明」の中で、繰り返し強調されています。