トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「歴史」に向き合うこと

 今日は11月18日、創価学会創立記念日です。この日を創立記念日とする淵源は、初代牧口常三郎会長と第二代戸田城聖会長の二人きりの師弟の語らいにあります。当時戸田は、師である牧口の生涯の願望であった自らの実践に基づく教育に関する考察を体系化し書籍として世に問おうとしていました。原稿の作成から、印刷所とのやりとり、さらに出版の費用に到るまで全て担っていた戸田が、いよいよ出版にあたり牧口の教育思想を何と表現したら良いかという相談を牧口と語り合いました。その時、両者が一致したのが「創価教育学」という表現でした。この命名は、昭和5年(1930年)11月18日、出版された「創価教育学大系」の奥付に印刷され、その時「創価教育学会」という名称も世にでました。したがってこの日を「創価学会」の創立記念日としています。

 その後、創価教育学を日本の教育界に展開する運動に従事されるようになった牧口はこの教育学の根本思想である「一人一人の児童・生徒の幸福実現こそ教育の根本目的」であることを実現するため「最大の教育環境」である教員の人間的成長を期すための究極の方途として、日蓮大聖人の仏法への信仰と実践を推進することになります。

 この時代、日本(トインビー、ハンチントン日本文明、一つの文明が一つの国家になっている世界的にも珍しい文明)は、明治維新以来、軍事力を中心に西欧文明の文物を急速に取り入れるために、国民を一つにまとめ一定の方向へ前進させていく必要があり、文明の求心力の根源として、古来の神道に人格神としての天皇を加えた、人工的な国家崇拝である「国家神道」という“宗教”を宗教以前の慣習として、「信教の自由」以前の全国民の義務として強制していました。

 特に、20世紀に入り、日露戦争、朝鮮併合、第一次世界大戦満州国の成立、日中戦争、と連続する対外的な緊張が続くこととなり、英米を中心とする既存の列強とのあつれきが続くことになりました。その日本を取り巻く国際環境に緊張が高まる中、「日本」に対する求心力を「国体明徴」を推進することによって計ろうという動きが強まり、「国家主義」「軍国主義」への傾斜が強くなっていく昭和の10年代に、その傾向とは全く正反対の志向性を持つ運動を推進していくことは、社会からの迫害はもちろん、国家権力からの弾圧を覚悟しなければ実践できないことでした。

 昭和18年7月、創価教育学会は国家権力の弾圧を受け、牧口、戸田をはじめとする当時の創価教育学会の幹部は投獄され、過酷な取り調べを受けることになりました。牧口、戸田以外の大部分の幹部は、権力に屈し信仰を捨てましたが、牧口と戸田の師弟のみが屈せず、獄中で闘い続けました。この獄中闘争こそ、創価学会の永遠の原点です。奇しくも創立記念日と同月同日の昭和19年(1944年)11月18日、牧口は73歳で栄養失調と老衰のため獄死します。また、戸田も獄中で法華経の会座に連なっている自分を実感する神秘的な体験をしますが、状況からこの同じ11月18日だと言われています。

 戦後、牧口、戸田の思いと構想を受けて、「創価教育」の学校である創価学園を、第三代会長池田大作先生が創立されましたが、この学校の創立記念日はこの11月18日に定められました。かつて池田大作先生が語られたことがあります。「牧口先生は教育から出発されて、仏法の道に入られた。私は仏法から出発して、教育を人生最後の事業としている」と。

 教育こそ、人生最後の究極の事業であると語られる池田先生の言葉は、計り知れない大事な意味を持つことになると思います。「教育」は、人間性の不変の基盤の上に立った営為であり、一宗教・思想の壁を越える普遍性をもちます。創価学会の存在の文明的、社会的意義を考えた時、その重要性は計り知れません。

 全人類が人種、思想・信条の壁を乗り越え、一つの家族のように生きることができる世界が、人類が求めるべき究極の理想の世界「文明」であるとするならば、教育こそ、その理想を目指す根本であることが、11月18日の「歴史」に込められた創価の三代の師弟の思いと実践の究極であると思います。