トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

トインビー博士と創価学会

 11月18日に象徴される創価学会の歴史は、そのままトインビー博士と創価学会の関わりの根幹になる事象となります。トインビー博士の歴史観、文明観、宗教観、さらに未来に向かっての展望と密接に関係しています。敢えて言えば、トインビー博士の歴史観は「日本文明」から生まれた「高等宗教」であり、21世紀の現在、「世界宗教」として、実際に世界192の国家・地域に「世界宗教」としての姿を現しつつある創価学会の存在によって現実の姿として証明されつつあります。

 トインビー博士と創価学会の直接の接触は、丁度今(2019年)より50年前、トインビー博士から、当時の池田大作第三代会長に送られてきた一通のエアメールから始まります。この手紙は現在、イギリスのオックスフォード大学のボードリアン図書館に納められており、手続きをすればコピーをとることが可能です。私は、ある人を介してコピーを頂きました。ここにコピーを貼り付けるれば良いのですが、私はブログ初心者なので今回はその作業は省略します。

「The Royal Institute of Intternational Affairs 」と上部に印刷された専用のレターヘッドにタイプされた手紙の本文は、「23 September ,1969」と日付が入り「Dear Mr.Ikeda」と続いて本文に入っていきます。

確認の意味で正確に引用します。

「when I was in japan in 1967,people talked me about the Sokagakkai and about you yourself. I have heard a great deal about you from Professer Kei Wakaisumi , a good freind of mine; and now I am very much interested in your thoghts and works. I am going to read some of your books and speeches translated into English.

   It is my pleasure , thearfore, to extend to you my personal invitation to visit me in Britain in order to have with you a fruitful exchange of views on a number of fundamental  problems of our time which deeply concern us all. I also feel that we can share our  thought on religion, science, religion and  phirosophy,  and history,  and I hope this  might  be of some benefit  not  only for our two nations  but  for  the future of mankind  as  a  whole.

    I feel rather shy in suggesting that someone who is  as ousy as you are should  spent  time  in making a long journey to meet  me. I venture to  propose this  simply  because   I  am now  old and  am not  able  to be so active physically as I used to be.

   I would  like  to  welcome  you  warmly whenever you could come to London; however,  I might  suggest that  some  time  next  May would  be a  good  time  for  us  as  we  usually  have  a  lovely spring  in my country.」

という本文です。この文章に続いて「Yours  sincerely」との結語の次に、自筆のサインが「Arnold Toynbee」と入っています。その次には、「Mr.Daisaku Ikeda,  President, The Sokagakkai  32  Shinano-machi , Shinjuku-ku  Tokyo,  Japan」と宛先の氏名、ポジション、アドレスが記されて終了しています。

 この手紙の申し出を受けて、やりとりが開始され、最終的に「対話」が実現したのは1972年5月ですから、2年8ヶ月後ということになります。池田先生自身が書かれておられますが、当時会長就任より9年目を迎えられておられた池田先生は、高等部、中等部、少年部等の未来部の結成と育成、創価学園創価大学の設立、また正本堂建立落成への諸準備、さらに公明党衆議院進出等、さまざまな課題に全力を投じられている最中であり、「すぐにもお受けしたかったが、すぐにお受けする状況にはなかった」と書かれておられるとおりであったと思われます。しかし、このことも書いていただいたおりますが、その激務の合間をぬって何回もの手紙のやりとりをされ、「対話」に向かって万全の下準備を進めておられます。

 その内容は、「21世紀への対話」の目次にみられるように、人類の直面する課題について網羅的に及んでいます。その中でも、「..in order to have with you a fruitful exchange of views on a number of fundamental  problems of our time which deeply concern us all. I also feel that we can share our  thought on religion, science, religion and  phirosophy,  and history,  and I hope this  might  be of some benefit  not  only for our two nations  but  for  the future of mankind  as  a  whole. 」と言及されておられる、宗教に関するやりとりが、トインビー博士の最も望まれている主題であることは間違いないように思います。

 池田先生は「大百蓮華12月号」の中で、次のように書いておられます。

「『現在、人類が直面している諸問題に関して、二人で有意義に意見交換できれば幸いです』....トインビー博士からタイプ打ちのエアメールを頂いたのは、半世紀前の1969年(昭和44年)9月のことでした。この2年前に来日された博士は、仏教への深い関心を抱き、各界の識者から創価学会の話を聞いていたのです。

 1972年(昭和47年)5月から、2年越しで40時間、博士と私は現代社会の諸問題について語り合いました。そのなかでも、ひときわ大きなテーマとなったのが、「生死」の問題です。トインビー博士が真剣な表情で語られていたことが、今も鮮明に思い起こされます。『社会の指導者たちは、生死の問題を真正面から解決しようとせず、すべて避けてとおっている。ゆえに、社会と世界の未来の根本的解決法は見いだせない』

 人は、何のために生まれてくるのか。なぜ、『生老病死』の苦悩があるのか。釈尊が出家を決意し、仏道に入ったのも、この生老病死の四苦の解決を願ってのことでした。トインビー博士は、生死の問題について『私はこの道を高等宗教、なかんずく大乗仏教に求めてきた』と語られていました。博士は大乗仏教に、生死といる根本課題を克服する道を求め、だからこそまた、期待もされていたのです。....」  

 トインビー博士と創価学会の出会いについては、単なる戦後日本の大衆社会現象、新興宗教としての創価学会ではなく、大乗仏教の正当なる展開、高等宗教としての歴史的役割をもつ宗教集団として見ていたことは間違いないと思います。

 現在、高等宗教、世界宗教として全世界に展開しているキリスト教イスラム教にしても、その原初の段階では、社会的にも底辺にあたる層に属する一人から始まった少人数の運動体でした。やがて、社会体制、政治体制を根底的に左右する存在として拡大していきますが、その当初の段階では社会の体制から危険視され、迫害される存在でした。不思議なことに、どの高等宗教もこの段階を必ず経験していきます。

 別の観点からみると、この社会との関係、危険視し迫害されても、民衆の中に拡大していく現象こそ高等宗教、世界宗教として、その宗教を規定する根本条件ということになるのではないでしょうか。トインビー博士が創価学会を代表する、若きリーダー池田大作先生との対談を強く願い、直接手紙を出されたのは、トインビー博士の全生涯をかけての追求、「歴史の研究」の結論から導きだされる必然であったと強く思います。