トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

トインビー史観とは何か

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トインビー史観とは何か
 
 
 
トインビー史観とは、20世紀最高の歴史家と呼ばれるイギリス生まれのA.J.トインビー博士の歴史観である。21世紀に入っても未だに評価が定まらず、特に〝専門的歴史家〟からは様々な誹謗中傷に近い扱いを受けており、1950年代から70年代にかけての世間一般のさまざまな人からの評判と人気と好対照をなす状況は未だに続いている。さらに最近は、全体としての人文系の学問に対する関心の減少、というよりも国立大学の人文系の学部の淘汰の方針等、日本においてもさらに無関心の状況は進展している。その中で、かつては日本の錚々たる文化人が集結し、市民レベルでのトインビー研究の拠点でもあった「トインビー市民の会」が解散し、その構成メンバーの中の有志の皆さんによって作られた「トインビー地球市民の会」も2015年には解散し、今やトインビー研究そのものが消え去るのではないかというような現実がある。
 
 しかし、一方では2020年からの文部科学省の学習指導要領改訂の方針の一つとして世界史必修はなくなるが、あらたな科目として高校段階での「歴史総合」が設定され、近現代史に焦点を合わせて今までの世界史と日本史を総合した視点で書かれる歴史教科が加えられることになっている。この現象を大きく時代相の変化の視点でとらえてみる時、大学入試での教科として用いられたことから始まった、いわゆる「暗記科目」としての歴史から、人間社会の本来的な「歴史」探究の動機「われわれはどこから来て、どこへ向かうのか」という根底的な疑問に対する回答としての「歴史」を要求する深い次元での要求が静かに進行していると思えてならない。特に今回の指導要領の改定は、日本の教育界での今までの知識注入型の教育体系を大きく変化させるために、大学入試という根源的な部分にも手をつけ、アクティブな「学び」を定着させようという強い問題意識が根底にあるだけに、今まで何度か、繰り返してきた「改革」「反動」というリズムを超克する可能性を十分にもっていると考えられる。さらに、航空機利用の利便性の大幅な向上、またインターネットに象徴される情報関連のテクノロジーの進化を基盤とした〝グローバル化〟の進行は、〝人類が一つの家族のように仲良く生活すること〟とのトインビー博士の「文明」の定義の方向への有力な推進要因でもあるが、その一方、世界192カ国・地域がそれぞれの主権を主張し、その中でも有力な国・地域がそれぞれの個別の利益を最大限に主張し、その利益追求のためには力の行使もよしとする〝新帝国主義〟の時代相も明確になりつつある。この状況は、トインビー博士が人類の歴史を「文明」を単位として研究した結果確認された、今までの人類の歴史が示している二者択一の方向性の一つであり、国家同士の争いから始まり、強大な国が最終的にノックアウト的に全ての国を支配する「世界帝国」への道である。「核兵器」が拡散し、世界で複数の国が保有している現代、「世界帝国」への道は人類滅亡への道である。偶発的な核戦争が相互の対抗的な核兵器の使用によって全面的な核戦争に拡大し、最終的に全人類の滅亡、地球上からの消滅という事態を招くという恐怖の未来図は、「核の冬」という衝撃的な予想をシナリオの根本にすえた、かつてのNHK特集「核戦争後の世界」で示され、衝撃の反応が広がった。ゴルバチョフソ連書記長の登場、ペレストロイカの進行の中で、「ソ連崩壊」「冷戦終了」をきっかけとする「デタント」のムードの中で、一時盛り上がった世界平和への期待も、「9.11」以後の展開の中で大幅に後退。逆に従来からの「大国」が国家意識高揚の手段として、自国の歴史の意識的再編成を図り、自国の教育現場で教科書として使用する。そのことによっていわゆる特定の歴史事象に対する解釈、見解の相違に起因する「歴史問題」が国家間の重要な外交課題として浮上する。東アジアでいえば日本と韓国との間の「慰安婦」「徴用工」問題、日本と中国とのあいだの「南京大虐殺」等の問題である。この意識の面での対立は、武力を表にした対立へと展開可能性を常にはらんでいる。日本と中国の間の尖閣列島をめぐる領有権の問題、南沙諸島に対する中国と周辺諸国との対立、東アジアにおいても火種はつねに存在し、進展している。
 
 
 
戦前の近衛内閣のブレーンとして、満州問題に直接関わっていた蝋山政道氏は、1929年の太平洋問題協議会の京都会議において、イギリス代表としての王立国際問題研究所(通称:チャタムハウス)の一員として来日したトインビー博士との出会いを経験した。その際の一言、「日本はカルタゴの運命を・・・」の意味を、現実の歴史の推移を通して深く実感し、トインビー史観の奥深さに感動し、占領軍の印刷統制があった時期に「歴史の研究」(サマヴィル縮刷版)の翻訳を自ら引き受け発刊する。その後、中央公論社の「世界の名著」シリーズの一巻として「歴史の研究」を出版する際にも編集の中心者として、出版に携わる。その経緯を中公版:世界の名著「歴史の研究」の解説の中に書いておられます。
 
 
 
p7 世界の名著「トインビー」の序文
 
アーノルド・ジョーゼフ・トインビーにわたくしが親しく接する機会をえたのは1929年(昭和4年)、たまたま、その年の秋に京都で開かれた第三回太平洋問題調査会国際会議の際であった。それがトインビーとわたくしの出会いであった。トインビーがはるばる極東の旅にやってきたのは、かれがその調査部長をつとめていた王立国際問題研究所が、太平洋問題調査会の英国評議会の中心であったためであり、彼も英国代表の一人として来日したのである。・・・・・・第三回太平洋問題会議が満州問題を主題として京都で開かれるにいたった理由は、その前回の会議・・1927年のホノルル会議・・で、議題になかった満州問題が会議の最中たまたまその後に柳条溝事件の前触れになった済南事件が起こったため、中国代表から緊急動議として提起されたことから始まる。しかし、本格的討議は結局二年後に開かれる京都会議の議題として行われることになった。このホノルル会議に偶然の関係からヨーロッパ留学の帰国の途中出席したわたくしは、この京都会議のために「満州における日本の地位」という報告を用意させられ、会議に参加した。この満州問題を討議する京都会議で、はじめてトインビーと出会ったのである。そのとき、トインビーはわたくしより年上だが、年齢はまだ四十で、それほどの年でもないのに、その当時すでに頭髪に霜をまじえていた。彼は、イギリス人としても比較的ことば少ないほうであって、社交のへたなわれわれに対して気取らない態度であたたかい親しさを示し、日本人のだれからも気持ちのよい印象がいだかれた。しかし、会議の席上ではあまり発言もせず、静かに沈黙を守っていた。おそらく、当時国際政治問題としての満州問題にたいしては、治外法権問題などとは違って英国代表は当時の英国政府の立場を反映して、比較的消極的な態度を示していた。ワシントン海軍条約以後、一般に、極東の政治情勢について比較的慎重な態度をとってきた英国の代表者としては、当然のことであったかもしれない。
 
ところで、トインビーの脳裡にうかんでいた当時の極東のイメージと、満州問題にたいする日本政府の政策や松岡洋右のような日本代表の言動にみられるそれとは、まったく性質の異なったものであった。彼がわれわれ日本人にもらしたことばは、日本は一つの歴史的な運命的岐路に立っているということであった。『満州問題にたいする日本の責任は大きい、それは日本の運命を決する』というトインビーの厳粛な一言である。それがどういう意味か、またどんな理由があるのか、彼の説明をきく余裕もなかった。わたくし自身、満州問題を研究して十年になっていたのに、そんな深刻さを感じもしなかった。しかし、その後の推移につれて、このトインビーとの出会いをその後の自分の境涯において不動のものにしたのは、この簡単な一言であったのである。
 
トインビーは、京都会議後二年もたたないうちに勃発した満州事変の直後、京都会議でわれわれに伝えたかんたんな一言の意味を解明するかのように、太平洋問題調査会の機関誌に、「次の戦争・・・ヨーロッパかアジアか」(1934年)という一文を発表した。これを読んでわたくしは、われわれとトインビーとのあいだに比較にならないほど思考力と想像力に相違があることに気がついた。それは現代史、いな歴史そのものの理解の尺度でもある。彼の眼中には、日本も中国もイギリスも、またアメリカもソビエト連邦も、孤立的には存在してはいなかった。彼の見ていたものは西欧文明であり、東洋文明であり、そしてその接触交渉であり、その帰結であった。その尺度はギリシャ・ローマの文明、いな全ての既存文明の生起興亡の理論であった。彼が満州問題にたいする日本の責任の重大性について語った背後には、日本にして一歩を誤らんか、そこをみまうものは、ローマ帝国と戦ったカルタゴの運命である、という洞察があった。日本はたんに中国と戦うのではなく、アメリカやソビエト連邦のような、二十世紀の産業的ローマ帝国と戦うことになるのであるという、世界文明の視野にたった歴史の教訓が彼の念頭に去来していたのである。
 
それ以後の歴史の進展は、トインビーの予言した方向に進む。柳条溝事件を契機とする満州事変の勃発、国際連盟からの脱退、日華事変への拡大、太平洋戦争への発展、そして最後に原子爆弾ソビエト連邦の参戦によってポツダム宣言の受諾、終戦となり、占領下におかれるにいたった。そのときはじめて、十六年前、われわれ日本人に対して、みずからの過誤によって不幸な運命を招かないように、警告を与えてくれたトインビーのことが思い出され、それ以来、わたくしにとって忘れがたいものとなった。
 
 
 
この文章の中で、蝋山氏が触れている「次の戦争・・・ヨーロッパかアジアか」という論文は、1934年、カナダで開催された英連邦会議でのトインビー博士の講演を元にしている。カナダやオーストラリアなど太平洋の周りにある英連邦国の意識、「潜在的大日本帝国の進出に対する危機感を持っているが、シーパワーの時代であり太平洋が障壁となって具体的な危険はないだろう」との楽観論に対する警告となっている。この文章の中で、トインビー博士は時代がシーパワーの時代から航空機の時代に入っていること、航空機の時代の戦争は世界のどこにいようと楽観できる国はない。空からの攻撃・侵略は常にあり得る時代に入っていることを警告的に述べられ、その後の第二次世界大戦、特に「太平洋戦争」として日本と連合国の間に現実化する戦争の推移をほぼ予言されている。また、蝋山氏が日本の運命を予言した言葉として感動している満州問題にたいする日本の責任は大きい、それは日本の運命を決する』『日本にして一歩を誤らんか、そこをみまうものは、ローマ帝国と戦ったカルタゴの運命である』
 
 
 
 
 
 
 
 トインビー博士の主著「歴史の研究」は、「理解可能な歴史の範囲」として「文明」を設定したところが、本質的に優れているところだと考えます。よくショペングラーの「西欧の没落」の亜流のように論ずる学者もいますが、トインビー博士の設定は人類の歴史の全範囲(地理的にも年代的にも)の客観的な知識(20世紀前半から1970年代までの歴史学の成果を網羅する)を基盤として論じられていると云う意味で比類がありません。歴史学者の批判に十分に耐える学問的基盤を踏まえております。いわゆる〝歴史学者〟のトインビー史学への批判の角度として、専門的な歴史研究の視点からの事実認識の誤りを根拠にした論議がありますが、実際に批判論文を詳細に読み込んでいくとトインビー博士の論証の深さに批判者自身の事実認識が及んでいないことが原因であることが多いと思います。トインビー博士自身が批判論文を詳細に読み解き、必要なところは事実をもって反論し、或る場合には批判の正当性を認め自説を変更することに躊躇しないなど誠実に取り組んだ結果が、1960年代、ご自身の70歳代前半に取りくんだ「再考察」ですが、読み解くたびに学問の世界に対する誠実さと、学識の深さを感じ、襟を正さずにはおられません。
 
 また当時の世界の覇者としての大英帝国の最高学府であるオックスフォード大学での最優秀生としての経歴も大きな意味を持ってくると思います。現在の世界情勢の分析の最高の権威として、キッシンジャーやハンティントン等に代表される米国のハーバード大学の出身者の発言が重視されるのは、本人達の見識は勿論ですが、現実の世界政治を動かしている米国の政治の中枢に常に係わっている環境がもつ力もあると思います。全く同じことがトインビー博士にも言えると思います。20世紀に入って急速に一体化する世界の動きの中枢を担う「覇権国」の中枢にいることが持っている意義は本当に大きなものがあると感じます。トインビー博士は、「歴史の研究」の執筆と平行して1920年代から1950年代にかけて「国際問題概観」を毎年、執筆されていますが、「二つのS・・・平行して推進した、Studyの「S」とSurveyの「S」がなければ両方とも不可能であったろう」と述べておられる通り、トインビー博士にとって変化する国際情勢を敏感に観ずることができる環境にいたことは、歴史の研究にとって大きな意義を持っていたと感じます。象徴的な事象を挙げてみますと、トインビー博士は第一次、第二次世界大戦の講和会議であるパリでの会議にイギリス代表団の一員として参加されています。また戦前の日本の運命を大きく方向づけることになった満州事変に関する「リットン調査団」の調査結果は、イギリスにおいてはまず「チャタムハウス」で発表されています。
 
 現実の事態の推移を、歴史の事象と関連づけて見ていくことは、トインビー史観の骨髄とも云うべき方法論です。トインビー博士はよく「哲学的同時代性」(philosophical contemporary)という言葉で、このことを表現されています。トインビー史学においては、文明という単位で世界史の中の事象を見つめ、全人類史を通して21から23の「文明」を設定し、その比較・対称を基本的な方法論として「歴史の研究」を進めていきます。現在の世界において、その優勢に陰りが見えてきていますが、20世紀初頭の世界で圧倒的優勢を誇っていた「西欧文明」。本来「文明」(civilization)とは、慣用されてきた原義をたどれば、比類のない高さに達したと自負していた近代の西欧人の意識を反映した言葉であり、「文明」と「野蛮」という対句で論じられる言葉であったようです。その「文明」という語にあたる内実を、全世界、全時代の人類の歴史のなかに求めていく。そのこと自体が、現在にまで影響を引きずっている「白人優越主義」「アーリア民族優越主義」などの根拠のない優越意識に対する根底的な視点からの否定であり、全人類を平等にみるトインビー博士の意識が反映していると思います。
 
 また今回の「カルタゴの運命」というキーワードは、その後の現実の歴史の進行を見事に象徴する言葉であり、その後の日本の歴史をたどってみれば、満州事変、日中戦争アメリカとの太平洋戦争と続き、最終的にはアメリカを中心とする全世界(連合国=United Nations=“国連”)との戦争に、引きずり込まれる日本の歴史の経緯に重なります。第一次ポエニ戦争では、地中海西部のシチリア島をめぐる経済的な利害の対立を中心とする戦争であったものが、第二次ポエニ戦争では稀代の戦術的な天才、カルタゴハンニバルとの消耗戦にと発展し、ローマが辛うじて勝利したとはいえ、イタリア半島が戦場化し、自営農民を基盤とする従来のローマ市民の協同体は根底から破壊されます。その結果、ローマは必要以上にカルタゴを恐怖し、敵視し、ローマは遂に命乞いをする無力化したカルタゴを残酷な手段で地上から抹殺してしまいます。この史実の経緯は、特に1944年11月からの日米戦争、特に日本の都市部にたいする「戦略爆撃」また1945年の8月の広島、長崎への原子爆弾の投下は、ほとんど抵抗する力を失った日本の非戦闘員に対するホロコーストとも言える非人道的行為であり、その本質においては第三次ポエニ戦争でのローマの振る舞いと通底しています。第二次大戦後の連合国占領下のいわゆる「おしつけ憲法」の核心、現在の日本国憲法の第九条は、歴史的な比較を試みれば、徹底した非軍事化をカルタゴに強制したローマの「恐怖心」に匹敵する心情をアメリカがもっていたからという類推が成り立つと思います。
 
 さらに敷衍して云えば、「カルタゴの運命」という言葉は、実はトインビー史観の根幹部分を象徴する言葉でもあります。1934年の論文で最後に触れられているのは、実は勝利者としてのローマのたどった歴史を、1934年の時点でトインビー博士が来たるべき世界戦争(第二次世界大戦)の勝利者として判断しているアメリカの運命と重ねておられます。ローマはポエニ戦争の勝利後、地中海全域の制海権を握り、征服戦争の連続の中で、社会の構造の変化と連動して政治の仕組みが変質し、富と権力が極端に偏在することになり、強力な軍隊の力を背景とする独裁政治、いわゆる「帝政」が成立します。その結果、ローマは地中海を「我らの海」とする地中海周辺の全陸上を支配する国家として「帝国」化し、帝国内にはごく一握りの支配階級と、戦争の影響を直接・間接に受けて没落した自営農民、征服された他民族からなる属州民、戦争捕虜等からなる奴隷など、トインビー博士の定義する「内的プロレタリアート」、無権利で貧困に苦しむ人々が圧倒的多数を占める社会が成立します。第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の全世界におけるプレゼンス、特に「冷戦」期における太平洋周辺での振る舞いは、朝鮮戦争ベトナム戦争をあげるまでもなく、まさにこの論文で予見している通りに進行してきたと思います。
 
 
 
トインビー博士の歴史観は、ここから本領を発揮していきます。『歴史の研究』と並ぶ、と言うよりも、トインビー博士が歴史研究の専門家として本格的な学術論文として執筆された『ハンニバルの遺産』のテーマは、勝利者であるローマ社会の中に、勝利者であることによって、どのような変化が生まれてきたかを、社会の構造、経済活動、宗教思想等、さまざまな視点で複眼的に論じたものであり、中でも「内的プロレタリアート」の中から高等宗教たるキリスト教が生まれてくる淵源をたどっていきます。それでは、「高等宗教」とはどのような宗教なのか?
 
 
 
再考察22巻 p570
 
高等宗教という言葉によって、個々の人間がたまたま加わっている特定の社会の媒介を通して彼らを絶対的な精神的実在と間接的に交わらせたに過ぎない古い形の宗教とは違って、人間を個々の人間として絶対的な精神的実在と直接的に交わらせるために作り出された宗教を私は意味している。これらの古い形の宗教は、或る特定の社会の文化の不可分の一部である。他方、高等宗教は、それが発生した特定の文化の結合構造から、或るものは部分的に、そして或るものは完全に脱けだしている。それはそれが袂を別った世俗的文化体系と、緊張した状態にある別個の明確な宗教的文化体系になった。こうして高等宗教の出現は、「宗教的」と「世俗的」、「精神的」と「現世的」、「神聖さ」と「不敬」の間に、これまで知られなかった区別を作り出した。
 
 
 
再考察21巻 p183
 
高等宗教は世俗的な社会的文化的束縛から自らを自由にするために絶えず努力しなければならない。高等宗教の本当の使命を果たすために、これは不可欠の条件だからである。この使命は人間相互の社会的文化的関係に直接の関心を払うことではない。その関心事は、個々の人間と超人間的精神的存在との関係であって、この存在について高等宗教は新しい直感を提供するのである。この直感を幻覚と考えてもよいし、実在に関する啓示もしくは発見と信じてもよい。現象についてのこの二つの解釈のどちらを選ぶかということは、われわれの基本的な前提によって決定され、またそれと相対的なものである。しかしどちらの解釈を取ろうと、現象についての四つの命題を受け入れることについてはわれわれの意見は多分一致するであろう。確かに議論の余地のないこの命題の第一は、高等宗教の信者は自分たちの宗教的経験が錯覚ではないと確信していることである。第二は、この確信が正しくても正しくなくても、それは山を動かす信念を彼らに与えることである。第三の命題は、高等宗教の信者たちが行った行為と彼らが作り上げた制度は、この種の宗教が初めて舞台に登場して以来、人間事象のパノラマの中で大きな地位を占めていることである。第四の命題は・・・・・・本章に於いて多少納得がいくように論証されていると私は思うが・・・・・・人間事象の研究に於いて高等宗教はただ特定の文明の産物もしくは部分として扱うのでは理解可能にはならないということである。高等宗教は少なくとも文明や文明以前の社会と同列に、そしてそれ以外のものの観点に従わせることのできない第一次的現象として扱う必要があるのである。
 
 合理主義的な人間事象の研究者は、この第四の命題を含めて以上四つの命題を受け入れても、彼らの哲学的立場を危うくしたり、彼らの確信に対して不忠実になることはないと私は信じる。しかしこのことを受け入れるとしても、高等宗教の源である確証不能な経験が真の洞察であるかないかという問題はやはり残るのである。現在では、この問いに対するわれわれの異なる答えを一致させることはできない。これはわれわれの力に余ることである。何故なら、このような様々の答えは、実在に関するわれわれの基本的な前提におけるまだ解消されていない対立と関係があるからである。
 
 実際、合理主義者と「超合理主義者」の間だけでなく、「超合理主義者」の陣営内部にも意見の相違があるのである。「超合理主義者」の間のこのような内輪の意見の相違は、私の見るところで家庭内の喧嘩である。そこから起こる見解の相違は顕著であるが、この相違を解消することができないとは私は思わない。何故ならそのような相違が基本的であるとは私は思わないからである。しかし勿論、まさしくこれこそ、歴史的な高等宗教の正統的な信者と元信者・・・・・・人間は宇宙における最高の精神的存在ではないと再び信じるようになったが、伝統的な形のこの信念に戻ったわけではない人々。*1 ・・・・・の間の論争点なのである。現在私はそのような不可知論的超合理主義者の一人であるが、これらの人々は現代の世界ではおそらく合理主義者よりも数が少ないであろう。「未来の主潮」になるのはこの二つの少数者のうちのどちらかであるのか、それとも膨大な数の正統派の人々*3なのか、或いは、まだ地平線上に姿を見せていない他の派の人々であるのか、現在のところわれわれには判らないのである。
 
 
 
*1 p143~5参照 ・・・私自身は、嘗ては信じる者であり、その後まず無条件の合理主義に改宗し、次で二つの留保条件を持つ「超合理主義的」見地に改宗した。(p144の内容で二つの留保条件を詳述。山本外吉論文においても引用がある。ヴェロニカ夫人による「一歴史家の宗教観」第二版の序文にも詳述)
 
*2 ウォーカー師とストレイチー(未完の批判)は、絶対的な意味における実在についての真理を語る知識の神による「放出」としての啓示の伝統的な見解を私が持っていないと判断しているが、それは正しい。したがって、私は「不可知論的」であるというのである。仏陀が自分の精神の努力によって悟りを開いたことは、ムハンマッドが大天使ガブリエルによって伝えられた神の教えによって悟りを開いたのど同じくらい確実であったと私は信じる。もし悟りを開くのが神によるものであるなら、それは或る一つの意味に於いてそうなのだと私は信じる。そしてこの意味においては、他のすべてのわれわれの経験に神的というこの形容詞を当てはめても同様に正しいのである。
 
*3 歴史的な高等宗教の正統的信者は、世界全体としてはまだ圧倒的多数を占めているが、西欧では多数であるとはいえ、圧倒的多数ではない。そして西欧の知識階級の間だけでは少数者であろう。
 
     
 
The higher religions are bound always to strive to keep themselves disengaged from secular social and cultural trammels because this is an indispensable condition for the fulfilment of their true mission.1 his mission is not concerned directly with human beings' social or cultural relations with each other: its concern is the relation between each individual human being and the trans-human spiritual presence, of which the higher religions offer a new vision. We may believe that this vision is an hallucination or we may believe that it is a revelation or dis­covery of Reality; our choice between these two interpretations of the phenomena will be determined by, and relative to, our fundamental presuppositions. But, whichever interpretation we adopt, we can per­haps agree upon accepting four propositions about the phenomena themselves. The first of these surely uncontroversial propositions is that the believers in the higher religions are convinced that their religious experience is not illusory. The second is that this conviction, whether justified or not, has given them the faith to move mountains. The third proposition is that the deeds which the adherents of the higher religions have done, and the institutions which they have built up, loom large in the panorama of human affairs since the date when religions of this kind first appeared on the scene.1 The fourth proposition—which has, I hope, been demonstrated more or less convincingly in this chapter一 is that, in a study of human affairs, the higher religions cannot be dealt with intelligibly simply as products or parts of particular civilizations.
 
do not necessarily coincide with those on the other. A politically ‘free’ church may become the preserve of a privileged class, and may even become an instrument for protecting and promoting this class,s worldly interests. The 'free,Protestant churches in the English-speaking countries and the Roman Catholic Church in France have, in our time, become, to some extent, the preserves and instruments of the Western middle class. Conversely, an 'established’ church may be a seed-bed, not only for worldliness, but for spirituality. In England, since the Reformation, spiritual prowess, insight, and leadership have not been confined to adherents of the 'free' churches.
 
 
 
They require to be dealt with, at least on a par with civilizations and with pre-civilizational societies, as primary phenomena that cannot be reduced to terms of anything other than themselves.
 
A rationalist-minded student of human affairs can, I believe, accept these propositions, including the fourth of them, without compromising his philosophical position or being untrue to his convictions. Acceptance still leaves open the question whether the unverifiable experiences, from which the higher religions have sprung, are or are not true insights. At the present day we cannot bring our conflicting answers to this question into agreement. This is beyond our power, because these various answers are relative to a still unreconciled difference in our fundamental pre­suppositions about Reality.
 
Indeed, there is disagreement not only between rationalists and ‘trans-rationalists’,but also inside the 1 trans-rationalist' camp. This domestic disagreement among 'trans-rationalists', is, as I see it, a family quarrel. The differences of view from which it arises are con­spicuous, but I do not believe that they are irreconcilable, because I do not believe that they are fundamental. But this, of course, is precisely the point of contention between orthodox adherents of the historic higher religions and ex-believers who have come again to believe that Man is not the highest spiritual presence in the Universe, yet have not returned to this belief in any of its traditional forms.1 Such agnostic2 ctrans-rationalists', of whom I am now one, are perhaps even fewer in number than the rationalists in the present-day world. At present we cannot tell whether one or other of these two present minorities, or the huge present orthodox majority,3 or some other sect, as yet not visible above irizon. is ‘the wave of the future,.
 
 
 
 
 
トインビー博士の史観は第二次世界大戦後、「高等宗教史観」に変化したと言われます。その転換についてトインビー博士自身は「再考察」の中で、次のように述べておられます。
 
 
 
 再考察21巻 p54~p56
 
一つの現象を説明するための第一歩は、その前後関係を発見することである。「意味の探求は、総合を免れることはできない。より広い文脈のなかに置いて、初めて或ることの意味が理解できるからである。(Cohen, op. cit., p.33.)」一つの事実は、他の事実と関係づけられるか、或いはより大きな体系の一部とならない限り、確証もしくは理解し得るものにはならない。(Ibid.)」この点を私自身の著作から敢えて例証するならば、「歴史の研究」第一巻~第十巻は、それだけを取り上げてのでは理解することのできないより狭い分野のための枠組みとして、「理解可能な研究の分野」を見いだそうとする二つの企てを軸にしていると言いたい。探求の出発点は、多かれ少なかれ自足的な歴史研究の分野 ー現代の西欧の歴史家が通常研究の単位としている国家がその部分となるような研究分野を探求することであった。このような国家的単位は不十分であると私は感じていた。何故なら、それは私には自足的ではないように思われたからである。そして自足的でないということは、それが何かもっと大きなものの断片であるに違いないということを意味するであろう。私はこのより大きな研究単位を、私が「文明」と名付けた社会の種のなかに見いだした。文明は、その発生、成長、挫折を研究している限りでは、理解可能な研究単位であるように私には思われた。しかしその解体を研究する段になると、この段階では、文明の歴史は ー近代西欧世界の一部分である国家の歴史と同様にそれだけを切り離してのでは理解可能ではないということが判った。解体しつつある文明は、他の一つ或いはそれ以上の文明と密接な関係を結びがちであった。そして文明間のこのような出会いは、もう一つの種の世界、すなわち高等宗教を生んだ。探求の初めに私は高等宗教を民族国家とかその他の地方国家の変種と同様に、文明の観点から説明しようとしていた。諸文明の歴史の概観の最後の段階に於いて、私はこのような高等宗教の見方は結局それを十分に説明するものではないと確信するようになった。なるほど高等宗教は、解体期の文明が変容して、そこから若い世代の新しい文明が出現する「蛹(さなぎ)」の役を果たした。また、なるほどこれは諸文明の歴史に於いて高等宗教が果たした役割であった。しかし、高等宗教自体の歴史のなかでは、この役割は付随的な役割であっただけでなく、それはそれ自身の使命を果たすという本来の仕事から高等宗教を逸脱させる傾向があるという意味に於いて、実際困った偶然であることが判った。私が、国家以外の種と他の大きさ単位のために十分な前後関係を提供する、したがって十分な説明を提供する・・・たとえば文明の説明の・・・理解可能な研究の分野の探究を続けなければならないとするならば、私は今や、これまでの作業計画を逆にすべきではないだろうかと自問しなければならなかった。一つの種の社会が、他の種の社会によって説明することができるなら、第一代と第二代の文明は、高等宗教勃興の予備段階として説明されるべきではないのか。私は探究の課程において、歴史研究の「理解可能な分野」が何であるかということについてこのように考え直したのであるが、この再考察は私に新しい出発点を与えた。そして説明の仕方を変える必要によって要求される見方の変化は、根本的な変化であった。クリストファー・ドーソンはこの変化を循環的方式から漸進的方式への変化と定義したが、それは正しい。実際この変化は非常に根本的だったので、多くの批評家はそれに驚き、一部の人々は、私は諸文明に関する私の最初の比較研究をここでやめて、宗教の見地から見た人間の歴史の意味に対する新しい探究を始めるべきであったと示唆した。
 
p27
 
・・・demanded by the necessity for a change explanation, was a radical one.  Christpher Dawson is right in defining it as a change from a cyclical system to a progressive system.・・・
 
 
 
「文明」と「高等宗教」の位置が逆転します。現『「文明」と「文明」との衝突の結果、敗北した文明の内的プロレタリアートの中から、全人類に普遍される高等宗教が生まれる』このテーゼがあてはまる歴史上の例として、ローマが破ったカルタゴのケースを取り上げることができるであろうか? この例証の前提条件として、まず「ヘレニック文明」とは何か。その代表としてローマ帝国を挙げることができるのか?また「シリアック文明」とは何か。その代表としてカルタゴを挙げることができるのか?という根本的課題を明らかにしていかなければなりません。この「ヘレニック文明」「シリアック文明」というトインビー博士の設定は、欧米の専門的学者が強く批判してきた部分であります。いわばトインビー批判の最重要論点であります。まず「ヘレニック文明」については、トインビー博士は20世紀前半の古典古代研究の最高権威とされているエデゥアルト・マイヤーへの感謝という形で次のように述べています。
 
 
 
完訳版「歴史の研究」p433~434
 
エデゥアルト・マイヤーは、彼の論文「古代史のあゆみ‥ヘラスとローマ」Der Gang der Alten Geschichte: Hellas und Rom'において、「ギリシャとローマ」の歴史が一つであること、そしてこの一つの歴史は、それ自体の「暗黒時代」、「中世」、および「近代」をもった、それだけで完全な全体であることを示すことによって、私が、歴史を「古代」、「中世」、「近代」の三幕から成る劇として示す、19世紀西欧の慣習的な提示法から離脱するのを助けてくれた。エデゥアルト・マイヤーが私に与えてくれた、このギリシャ・ローマの歴史一体観は私に、この一つの歴史を持つ社会を表す統一的な名称を求めさせた。私はそれを「ヘレニック文明」と呼ぶことにしたのであるが、いったん一つの文明が確認されると、他の二十の同じ種の社会が、私の歴史的視野のなかで次々に焦点を結んだ。
 
 
 
しかし、ギリシャとローマ、言語でみても同じインド=ヨーロッパ語族に属してはいるがギリシャ語、ラテン語という明確な違いのある言語を使用し、歴史的意味において文化芸術に優れているギリシャと、コロッセウムに代表される建築方面の才能、ローマ法に代表される法律、統治組織に才能を発揮したとされるローマを、同じ「ヘレニック文明」の中にまとめることができるのかという批判は強く、トインビー博士は「再考察」のなかでもしっかりとその批判点を取り上げ、反論しています。
 
 
 
 
 
 
 
その史実の「哲学的同時代性」を読み込むことができるは、「西欧文明」と「日本文明」の衝突としての「太平洋戦争」
 
「西欧文明」を代表するアメリカに敗北した「日本文明」である。その「日本文明」から現れてくる「高等宗教」とは何か?
 
 
 
1956年、「歴史の研究」完成後の実地見聞を目的としたトインビー博士夫妻の世界旅行
 
イギリス帰着後、出版された紀行文「東から西へ」の中で、日本について三つの論究。
 
・敗戦の最大の意義を、明治維新以後の日本において精神的支柱とし人工的に作成された「国家神道」への信仰の崩壊ととらえる。。
 
・「国家神道」への信仰の崩壊 によって生まれた日本人の「心の空白」。
 
・戦後の日本人の「心の空白」を埋めるのはどの宗教か? 既成仏教、キリスト教新興宗教の状況に関する考察と未来への展望
 
 
 
P109 『東から西へ』
 
「そしてその倒れ方はひどかった(マタイ福音書、第7章27節)」敗戦後11年の日本を訪れた西欧人の旅行者の耳に、この聖書の言葉が鳴り響く。訪問者の気づくこの国をひっくり返した大事件は、日本帝国の倒壊でも、広島と長崎の上空における原子爆弾の爆発でもない。これらの事件もまた、歴史的なできごとであったには相違ない。日本帝国は、倒壊する前には、中国、フィリピン、インドシナ、マラヤ、ビルマの各地に進出していた。日本に二個の原子爆弾が投下されたことによって、戦争という制度と人類の運命の歴史に新たな局面が開かれた。しかし、そのほかになお、1945年に日本において倒れたものがあった。そして、それは明治時代の日本精神であった。これがいまなお日本のいたるところに反響を呼び起こしつつある倒壊である。長崎は再建され、1956年のいま、もし知らなかったならば、1945年にそこに何が起こったか、想像もつかないくらいである。しかし、日本人の戦前の思想的世界の崩壊は、いまなお空白のままになっている精神的真空状態を後に残した。いやでもその存在に気づかないわけにゆかず、また、それがやがて何によって満たされるのか、考えてみないわけにゆかない。それが満たされることは間違いがないように思われる。
 
自然は物理的真空だけでなしに、精神的真空をも忌み嫌うものであるからして。・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
百年前に日本の指導者がかれらの先輩の鎖国政策を棄て、近代西欧文明の実用面を全面的に取り入れることを決意したとき、かれらはかれらの伝統的な精神生活を放棄するつもりはなかった。では、つぎつぎに層をなして堆積している異教(神道)と仏教と儒教をどう処理すればよいか。かれらは儒教の倫理と神道の儀式とを融合して、天皇崇拝を信仰の中心とする、かなり人為的な新たな混合宗教を作り上げた。日本は〝神国〟であり、外敵に侵されることがなく、やがていつか世界を支配する運命を担っている、という昔のおとぎ話に、公認の教義の地位が与えられた。この想像上の日本の国家的運命の崇拝は、1930年代の日本の軍国主義者たちの気分にぴったり合い、真珠湾攻撃後最初の1,2年のあいだは、これらの政治的おとぎ話のもっとも突飛なものまで、実現されそうに思われた。だからして、完全な敗北という結果に終わった戦況の逆転は、日本人に、現存のいかなる国民も受けたことのない大きなショックを与えた。伝説が事実によって否定された。日本の武装せる強き人は、かれよりも強い人間を挑発し、その前に屈服した。天皇はみづから国民に、神でないと宣言した。ほんの二、三日のうちに、思想的世界全体が霧散してしまった。どのような新たな世界観がそれに代わるべきか。これが日本人が今日なお取り組んでいる精神的問題なのである。
 
 
 
p113『東から西へ』
 
戦後の日本はいろいろな理由で興味のある国である。一つの理由は、戦後の世界の主要な問題のいくつかが、特に鋭い形で日本を悩ましており、それらの問題の内的本質を明るみにさらけ出しているという点にある。世界全体が今日、祖先伝来の宗教的伝統との接触を失った結果として、精神的窮乏の中に置かれている。日本は、この世界的な疾病の苦悩を特に強く嘗めている。日本の三つの伝統的信仰ー神道、仏教、儒教の三つーは、いずれも日本人の思想と感情をとらえる力を失ったように見える。
 
 神道は、豊作祈願として発足し、のちに天皇一身のうちに具現されている日本国家に対する政治的忠誠の、いわば政治的セメントの役を果たすように利用された原始宗教である。ギリシャ・ラテンの古典の教育を受けた西欧人には、この神道の両面は二つともおなじみのものである。日本の農村の農耕宗教の正確な描写を、聖アウグスティヌスの、ローマ宗教のそれに対応する層に関する有名な記述のうちに見いだすことができる。1945年に完全な崩壊を見た日本国崇拝は、原始キリスト教会の殉教者たちが拒否した、女神ローマと神格化されたカイサルの崇拝とほとんど同じものである。・・・・・政治的形態の神道は、すでにはるかにひどく信用を落としてしまっている。それは、1945年に日本を破局に導いた政治体制と結びついていた。だが、かりに日本国民の上にこの不幸をもたらさなかったとしても、政治的神道は存続することが困難であっただろう。その神話は近代科学精神と相容れない。日本が近代科学精神を受け入れた以上、結局はその政治的観念と理想とを、いつまでも古めかしい隔室に入れておくことができなくなったであろう。・・・・・・・・・・・・・・
 
政治的神道の没落は儒教に累を及ぼした。なぜなら、政治的神道は、その倫理面においては、事実上、日本的衣装をまとった儒教にほかならなかったからである。儒教は、家族の中の年長者、とりわけ家長としての父親と、国家によって代表される大きな家族の長として天皇に対する、絶対の、疑いをさしはさまない義務の意識を教え込む。1945年に突如不幸な終末を告げた、あの日本歴史の一時期中、政治的神道に応用された儒教の倫理基準は、個人に対して犠牲を要求した。事実によって、犠牲が無駄であり、イデオロギーがおとぎ話であったことが証明させたときに、一千年の日本の歴史においてはじめて、個人がその人権を主張するようになった。かれは自分のために生命と幸福を要求するようになったのである。・・・・・・・・・日本の家長も日本の国家の首長も、二度とふたたび半神としてうやまわれることはあるまい。将来の日本の家族は、因習的な義務のおきてによってではなく、自然の愛情によって結束が保たれるであろう。一家の中心になるのは、父親ではなくて母親であろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
日本における仏教の前途はもっと明るいと思われるかも知れない。仏教は、キリスト教と違って、近代科学の見地と十分そりを合わせることのできる、合理的哲学である。・・・・・日本は1400年ものあいだ部分的に仏教国であった(これは、イギリスがキリスト教国になって以来の期間よりやや長い)。日本の家族はすべて、表向きは日本に無数にある仏教寺院のどれか一つに属している。一方、仏教は、1868年の明治維新後に神道が一新されたとき、公的には政治的神道と縁を断った。そのために、仏教は、1945年の明治的イデオロギーの没落には直接まきこまれなかった。仏教こそ、神道の神話と儒教倫理の崩壊によって生じた、精神的真空を埋めることができるのではないか。意外なことに、禅宗の精神修養に従うごく少数の人々を除き、仏教は今日の日本において重きをなしていない。・・・・今日の日本人の生活のなかでの仏教の実用的役割は、仏式葬儀を執り行って人をこの世から送り出すことである。・・・・・今日の日本において仏教は、日本国民が飢え求めている精神的かてを提供していない。・・・・・
 
日本人の精神的飢餓は、多数の新興宗教の出現によって示されている。新興宗教は600もあると言われ、日本は富裕な国でないにもかかわらず、それらは財政的にうまくいっているようである。一番数が多く熱心な支持者は中産階級の婦人であり、またそれらの教派の多くは婦人を教祖にしている。・・・・・(天理教の教義におけるキリスト教の影響にふれて)・・・・・それでは、現在生まれ出ようとして悪戦苦闘している新しい日本における、キリスト教そのものの前途はどうか。日本のキリスト教徒は今日、枢要な地位を占めている。しかし、言うまでもなく、かれらはごく少数であるにすぎず、今後も大規模な改宗が行われる見込みはないように思われる。にもかかわらず、キリスト教の精神が日本人の生活の中に浸透していき、徐々に伝統的な仏教の影響力に取って代わり、あるいは変化させはじめているように見える。心の意識的な表面では、現在の苦痛に満ちた模索はまだまだ続くかも知れない。しかし、もっと下の方の潜在意識のレベルでは、日本人はすでに生命のかてを見いだしつつあるのかも知れない。
 
 
 
(池田先生が、小説人間革命第一巻に書かれた国家神道) 
 
折も折、1945年(昭和20年)12月15日 GHQ(連合軍総司令部)は「神道を国家より分離する」との指令を発した。これで、伊勢神宮も、靖国神社も、国家の保護を断たれ、私的な一宗教団体にすぎなくなった。日本国民の大半が考えもしなかったことに、GHQは手を打ったのである、GHQは、この神道の問題、すなわち国家神道が、明治以来、日本の政治体制の根本原理となっていた事実を突き止めていたからである。これが、今後の日本の民主化にあって、最大の障壁となると見ていたのだ。物事は、常にその本質を論じ、見極めることが大事である。GHQは、よく本質を見極めていたといえる。神道を国家から分離する指令が発表されるや、神官や神道の信奉者たちは、大きなショックを受けた。だが、一般の民衆は、それほどの衝撃は受けなかった。ただ、戸田城聖一人が、敗戦の悲哀を超えて、なおかつ、わが意を得た快事であると喜んだ。彼は、日本の国が敗戦の道を突き進んでいった足跡を一つ一つたどってみた。そして神道が、明治初年の王政復古に際して、国家建設の礎石として利用されたことを、はっきりと再確認した。
 
 明治政権は、天皇の名のもとに国家統治を進めるうえで、「神」をもち出した。天皇を神格化することが、最良の方法と考えたわけである。そのために、千年以上も昔に編纂された『古事記』『日本書紀』等の神話が、その権威づけの根拠として使われた。「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。行矣、宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」『日本書紀』に記された天照大神の神勅の一つである。後に学校教科書などでも、多く引用された一節である。天皇は神の子孫だというのだ。日本は、天照大神の子孫が王になって、永遠に治めるべき地だとしているのである。天皇による国家統治の原理として、これ以上の武器はない。これらの神話には、もともとは、古代国家のはつらつたる息吹が込められていたかもしれない。しかし、それが、そのまま近代国家で天皇を絶対とする、国家統治の根拠として使われた時に、既に挫折への第一歩は始まったといってよい。政府は、神道と称するわが国古来の原始宗教を、祭政一致の古代社会にならって、新国家のなかに取り入れていった。全国の神社は、天照大神を頂点として、そこに祭られた神が、天皇に近いか遠いかで、それぞれ格付けされ、国家管理のもとに置かれた。先祖を神として祭る神道を使って、天照大神の子孫ということになっている天皇を、国民が崇めていくようにしたのである。
 
 一方、1889年(明治22年)に発布された明治憲法では、天照大神の神勅を根拠にして、天皇の宗教的権威を、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と、第三条で明確に条文化した。天皇を絶対化し、国家統治の権力の一切を天皇に帰することによって、国家の統一、安泰を図ろうとしたのである。こうして、天皇という一人の人格において、政治と宗教は完全に一致してしまった。この天皇崇拝は、やがて、天皇そのものを現人神とする「宗教」になっていくのである。
 
 
この「人間革命第一巻」は、池田先生が昭和39年の連載開始から間もない時期、1964年から数年以内に書かれたものであり、この内容は戸田先生が常日頃「太平洋戦争は、日本の神道が、アメリカのプラグマティズムに破れた」と語っておられたこととも一致します。この視点は歴史研究における「思想、イデオロギー、宗教」の持つ意義を根底から変更するものであり、トインビー博士が再考察の中でしっかりと論証されておられる、自身の「歴史の研究」の「文明」中心から「高等宗教」中心への視点の変化、その中で展開されている「合理主義」から「超合理主義」への思想的立場の変換に対応するものです。
 
GHQの「神道分離令」の史実から論じられた、神道が戦前の日本においてもっていた機能に関する認識は、まさにトインビー博士の旅行記「東から西へ」に書かれている日本の本質に関する認識と見事に一致します。さらに、創価学会の初代会長牧口常三郎先生が、治安維持法に基づき逮捕され、最終的には獄死された「罪状」としての〝神札〟の拒否。このことは当時の日蓮正宗、宗門当局からの勧告を、日蓮仏法の本義から明確に拒否されたことに起因しますが、その行為そのものが宗教国家としての大日本帝国との本質的、かつ徹底的な対決であることを明確に証明していると思います。
 
さらに、トインビー博士の史観からみるとき、太平洋戦争は単にアメリカと日本の二国間の全面戦争の域を超えた、アメリカ合衆国が象徴する「西欧文明」と「日本文明」との文明間の対立であり、かつてローマ帝国が代表する「ヘレニック文明」と、カルタゴがその一つの象徴であった「シリアック文明」が対立抗争し、その結果として敗者の「シリアック文明」の中の、「内的プロレタリアート」の中からキリスト教という高等宗教、世界宗教が生まれてくる歴史的な事実と「哲学的同時代性」(Philosophical contemporary)を持つ歴史事象であるとみておられることは間違いないと思います。このことは、1957年、約一ヶ月にわたって日本に滞在され、日本全国の文字通り朝野を挙げての歓待、対応(天皇ともお会いし、また歴史学者を中心に当時の最高レベルの知識人と論議懇談される)という一般の海外来賓の訪日の歓迎レベルをかなり上回る対応を受けていながら、さきほど引用した文章しか残しておられない事実と符合すると思います。さらに言えば、先ほどの旅行記中の文章は、トインビー博士が日本に対して強く関心を持ち、思索しておられる根本的な内容であるということを証明していると思います。このことはトインビー博士の「歴史の研究」の根本テーマとも明確に一致していると思います。
 
それでは、二千年以上前のキリスト教にあたる存在は日本において存在するのか。またその萌芽を見出すことができるのか。この探究の様子は、当時トインビー博士と懇談した日本の学者グループの中心の一人で、後に図説「歴史の研究」の翻訳の監修を担当された桑原武男氏が、同書のあとがきの中に記述されておられます。
 
 
 
1956年、京都で学者たちとの会合がもたれたとき、トインビーが当時目新しかったテープレコーダーを廻しつつ、長時間疲れを見せず意見交換したのは壮観であったが、そのさい彼がもっとも熱心に質問をくりかえしたのは大乗仏教についてであった。日本の近代化についても関心を示したが、戦後の大衆社会的状況ならびに大衆文化についてはほとんど興味をおこさなかった。(図説『歴史の研究』訳者あとがきより)
 
 
 
トインビー博士と対談をさせた池田先生は、対談直後に「文芸春秋」の求めに応じて、『トインビー博士との五日間』〈1973年〉と題して寄稿していますが、その中で次のような指摘をされております。
 
 
 
博士は、前々から、やはり仏教に深い関心をもっていたようだ。かつて来日をされたとき(1956年)、京都大学歴史学者や哲学者を交えて、長時間のディスカッションをされたことがある。その時、同席された深瀬基寛氏が、博士の第一印象を次のように記されている。『この日、問題となったたくさんの論題を取り上げる紙数もないがその一つは日本の学者の立場でしばしば矛盾と感じられる、科学的実証精神の必要と危機の克服としての宗教的精神の必要とがいずれもトインビーによって強力に肯定されていることであった』(社会思想社編『トインビー・人と思想』)。また「トインビーが最も日本の学者から聴取したいと思っておられるのは、仏教に関することであるらしい」(同)と。
 
 
 
さらに、邦訳はないがトインビー博士の伝記としては唯一といってよい、アメリカの歴史学会の重鎮、マクニールの手によるトインビー博士の伝記「トインビー」では次のような記述があります。まず、トインビー史観にとっての創価学会の存在とはいかなるものであるのか。また、対談集「21世紀への対話」を残された池田大作先生に対する評価とは?
 
From Toynbee's point of view,Soka Gakkai was exactly what his vision of the historical moment expected, for it was a new church, arising on the fringes of the “post-Christian world , appealing principally to an internal proletariat, and deriving part of its legitimacy from an ancient and persecuted faith.〟
 
トインビーの視点からみて、創価学会はまさに、歴史的な時期としての(現在)に対する彼の洞察の中で期待していたものであった。それは新しい教会(→世界教会)であり、キリスト教の後の世界の周辺に立ち上がり、主に内的プロレタリアート(→社会構造の中に組み込まれてはいるがほとんど無権利状態におかれている人びと)にアピールし、その正当性は古い時代の迫害された信仰に由来する。
 
 
 
Comparisons with early Christian history fairly leap to mind ,and in a preface he wrote for the English translation of one of Ikeda's books Toynbee explicitely compared the world mission of Soka Gakkai with the Christian Church on the eve of its coming to power in the Romam Empire.
 
創価学会と)初期キリスト教史との比較は、かなり心躍る経験であり、トインビーは英訳された池田の著作の一つ(小説「人間革命」)に書いた序文の中で、明示的に創価学会の世界宣教(mission)とローマ帝国内において勢力となる前夜のキリスト教教会を比較している。
 
 
 
When an Englishman living in Japan reproached* him for his association with Ikeda, Toynbee defend himself, writing:"I agree with Soka Gakkai on religion as the most important thing in human life, and opposition to miliitarism and war. "
 
ある日本に住んでいるイギリス人が、トインビーの池田に対する親密さを咎めて書いた手紙〔I find your association with President Ikeda and his vast organization, that is not without its questionnable teachniques of coereed conversion and its fund raising potencials , just a little out of character  I find your association with President Ikeda and his vast organization, that is not without its questionnable teachniques of coereed conversion and its fund raising potencials , just a little out of character〕に対して、「私は創価学会が、宗教こそ人間の人生にとって最も重要であると言っていることに賛成するし、軍国主義と戦争に対して反対していることに賛成します」と返事を書いている。
 
 
 
To another remonstarance he replied:"Mr Ikeda's personality is strong and dynamic and such characters are often controversial.My own feeling for Mr.Ikeda is one of great respect and sympathy."
 
他の諫言、いさめに対して彼は「池田氏の個性は強力で、ダイナミックでありそのような性格はたびたび物議を醸すことがある。私自身は池田氏に対して、偉大な尊敬と共感を感じている」と答えている。
 
 
 
池田先生にとってのトインビー史観
 
創価学会にとってのトインビー史観
 
 
 
 
 
 
 
釈尊から始まる仏教の歴史
 
大乗仏教の成立に関するトインビー史観の視点
 
トインビー博士の思い・・・「起原前後の中央アジア、新疆に生まれたかった」
 
法華経について
 
ユング博士の仏教に対する言及
 
ユング博士の深層心理学における宗教[ ]
 
 
 
ユング博士の深層心理学における原型
 
ユング博士の原型におけるマンダラ(曼荼羅)について
 
法華経における原型的要素
 
曼荼羅シンボルの表現としての法華経・宝塔品
 
日蓮仏法における宝塔品
 
1944年11月18日の戸田先生の獄中の悟逹
 
1944年11月18日の牧口先生の獄死の意義
 
1944年4月のユング博士の大病、その際に感得した世界
 
ユング博士の深層心理学とトインビー史観
 
1944年とは?
 
日蓮仏法・撰時抄における「大闘睜」
 
石原莞爾の誤解、誤解の結果としての満州事変、日中戦争、太平洋戦争
 
「大闘睜」としての第二次世界大戦
 
日蓮仏法・立正安国論における「三災七難」
 
「他国侵略難」としての「太平洋戦争」
 
 
「文明」とは?
 
「文明」としてみた日本
 
1929年に来日されたトインビー博士、太平洋問題調査会
 
太平洋問題調査会とは?
 
1929年の太平洋問題調査会の論題としての「中国」と「日本」
 
トインビー博士の視点「日本」と「カルタゴ」の運命の “同時代性”
 
philosophical  contemporary
 
「シリアック」文明と「ヘレニック」文明の衝突としての「ポエニ」戦争
 
「シリアック」文明と「ヘレニック」文明の衝突の結果としての「高等宗教」の成立
 
「高等宗教」の代表としてのキリスト教
 
文明内の「disintegration」(崩壊=いままで保たれていた社会的な一体感が崩れていく)としての「支配的少数者」「内的プロレタリアート」の成立
 
社会のニ極化=「格差」の成立と拡大
 
「内的プロレタリアート」の中に広がるキリスト教
 
キリスト教の成立と広まり
 
キリスト教の体制化の起点としてのミラノ勅令(313年)
 
「高等宗教」とは?
 
 
 
 
 
 
 
1967年、若泉敬教授を窓口としての京都産業大学の日本への招待。
 
「西欧文明」と「日本文明」の衝突の結果、敗者の中の「内的プロレタリアート」の中で広がる「高等宗教」としてのSGI創価学会インターナショナル
 
1969年、池田大作先生との対談を強く望まれる手紙を自ら書かれる。
 
1972年、1973年、5月「最も良い季節」にロンドンで対談
 
自らの一生の学問的努力の総決算と未来人類への遺産としての継承を池田先生との対談にかけたトインビー博士。
 
1974年、「21世紀への対話」の成立とその世界的な影響
 
キリスト教SGI創価学会インターナショナル)の“同時代性”  philosophical comtemporary からの考察(小説「人間革命」の英語版の序文)
 
トインビー史観の結論を証明する事実として、SGI世界宗教化(2017年現在、世界192カ国に広まる)
 
「創造的個人」キリスト教成立に関してのパウロSGI成立に関しての池田大作先生の役割(佐藤優氏)
 
「創造的少数者」としてのキリスト教会、SGIの役割の共通点と相違点(ハービーコックス「世俗都市」)
 
仏法史観「時、応、機、報」 “衆生に機根あって仏を感ず” “仏感じてしかも応ず”
 
創価学会仏」 仏としての創価学会SGIの運動
 
キリスト教成立に関するトインビー史観の分析 “水底の密やかな動き” 深層流としての民衆の機根
 
キリスト教成立に関するユング心理学の分析 “原型を最もよく体現したイエスキリスト”
 
世界宗教とは、民衆の機根に応じた “法=思想”が“創造的個人”によって説かれる時発生する、民衆の中から自主的に始まる“爆発的拡大”の結果
 
 
 
 
窮極において歴史を作るものは実はこの水底のゆるやかな動き
 
水の底で活動し河底までしみ通る、ゆるやかな、眼にみえない、秤にかることのできない動き
 
その日その日のはなやかな出来事が遠近法においてそのあるべき真の大きさにまで縮まったとき、はじめて大きくその姿をあらわしてくるものはこの水底の動き
 
この視点こそ、池田先生が何回も引用されているトインビー博士の史観の根本です。「水底のゆるやかな動き」とは、具体的には何を表現しようとされているのか?池田先生の引用の視点には、第二次世界大戦後、完全に破壊され廃墟となった日本の一角から始まり、今や全世界にまで広まった創価学会SGIの運動。 戸田先生、池田先生の師弟の闘いからスタートした、一対一の対話の連鎖で、地道に着実に進展する民衆のレベルでの広宣流布運動、世界平和をめざしての世界宗教としての動きを根底においての譬喩として使われていると思います。そして、トインビー博士がこの表現の根拠とされておられるのは、この文章を綴られた1947年までに営々と深めてこられた「歴史の研究」の一つの結論。結局、歴史の根源的な意味とは「文明」と「文明」の出会い・遭遇(encounter)によって、高等宗教が生まれることであるとの視点があります。ヘレニック文明(ギリシャ=ローマ文明)とシリアック文明との遭遇から生まれるキリスト教、ヘレニック文明とインド文明との遭遇から生まれた大乗仏教を高等宗教の典型としてみるとき、その成立期において、特定の開祖の個人的な力量の発揮を可能にしたのは、「水底のゆるやかな動き」として表現する以外にないような民衆の心、魂(spirit)、深層心理の動きであるとの深い認識があると思います。この視点と同じ認識に立って、人間の深層心理に焦点をあて、その深い部分における根源的進化(元型における進化)に歴史の展開の根源を置くのがユング博士の心理学です。トインビー博士は、「歴史の研究」の後半部、特に第二次大戦後に書かれた原本の7巻から10巻において、ユング博士の心理学に言及することが多くなります。1947年に出版された講演集「試練に立つ文明」の中では、「もし第二次大戦前にユングの思想を知っていたら、歴史の研究の冒頭部で、『挑戦』と『応戦』の考え方を聖書の「ヨブ記」やゲーテの「ファウスト」の中での神とヨブやファウストの出会いを通して説明した部分をユングの思想を使って説明できた」とも書いておられます。ユング博士も弟子のフランツ博士に「トインビー博士は『元型』の歴史的変化をとらえていた」と語っています。この両者の認識の根底にあるのが、人間の歴史の展開の根底にあるのが無意識層の進化であり、その最高の表現が高等宗教であるとの認識です。トインビー博士は歴史の包括的な研究を通して高等宗教に行き着き、人間の内面に歴史の進化の原動力を置く方向で歴史理論を展開することになり、ユング博士は人間の心理の研究から深層心理の研究に行き着き、グノーシス派のキリスト教、中世の錬金術の研究という方向で人間の深層意識の歴史的発展のあとをたどるということになります。そして、最終的には両者とも東洋の宗教的伝統、特に仏教に強いシンパシーを示されます。また、両者とも第一次から第二次の世界大戦、「ヨーロッパを舞台として行われた31年戦争」の未曾有の災禍をしっかりとうけとめられて、自らの学問的営為の根源的動機とされておられます。人類を核兵器による全滅の運命から救い、全人類が一つの家族のように仲良く共存する世界を実現するためには何が必要なのかという高い問題意識に立っているのがトインビー博士とユング博士の研究です。その意味で、21世紀において、この両者の研究の持つ意味は本当に大きなものがあります。私は、この両者の学問の本質的な意義を、池田先生の著作、振る舞いによって知ることができました。池田先生は「生命を語る」「21世紀への対話」「法華経の知恵」等の著作の中で、この両者について何回も言及されておられます。またおりおりの随筆、講演、対談、メッセージの中でもたびたび取り上げられ言及されておられます。池田先生がこの両者を取り上げられる視点を敷衍すれば、トインビー博士、ユング博士の視点はほとんど仏法の視点と重なると理解することができると思います。「仏法」「仏教」の根幹にあるのは「仏」という窮極の人格です。その「仏」こそ宇宙生命の根本であり、人間一人一人の生命の中にも普遍的に存在し、その状態へ向かう努力が仏道修行であり、人生の目的としての仏界の人格化が「成仏」である。その目的に達するための社会的条件として、仏法においては「時応機法」の原理を説いてきました。現実の世界(娑婆世界)の中に生き、様々な困難、矛盾(四苦八苦)に苦しむ民衆(衆生)がいる。その人々(衆生)の現実からの救済を求める願いが、具体的な救済を実現してくれる理念(法)と、それを実現してくれる指導者(仏)を求める。その民衆の願望(機根)を感じ、それに応える(応)かたちで、指導者(仏)が出現し、救済のための原理・思想として法・思想を説く。この法理において重要なのは、民衆一人一人の根底の願いを感じることであり、その上に立って未来に向かっての方策を示し、自ら実践する指導者(仏)の存在です。さらに仏法においては、そのような諸条件がうまく整うこと(時)が、現実改革が進展する根本条件であると説きます。これが「時応機法」の原理ですが、そのスタートは民衆の深層意識レベルでの救済を求める願望(機根)です。トインビー博士が「窮極において歴史を作るものは実はこの水底のゆるやかな動き」と表現され、論じておられることは、この視点と重なってくると思います。また、この「時応機法」の原理を歴史的な事実の上でとらえたのが「歴史の研究」の根本的な意義であると言って過言ではないと思います。トインビー博士の「歴史の研究」で用いられる用語を「内的プロレタリアート」「創造的少数者」「創造的個人」「文明」「高等宗教」「世界教会」「文明の挫折」「文明と文明の遭遇」等と挙げ、その用語で表現しようとされている現実に戻って考えていくとき、それは明確であると思います。
 
  
 
あらためて「文明」とは?
 
トインビー博士の「文明」の定義「全人類が全てを包含する単一の家族の成員として協調して共存することができる社会状態を作り出そうとする努力である
 
ハンティントン「文明の衝突
 
あらためて「帝国主義」の時代としての現代
 
文明の衝突」を回避し、人類が「一つの家族」のようになっていくためには?
 
 
 
「高等宗教」の役割
 
The current threat to human personality is the larger the risk not to our ancestors were also exposed human beings at any time up to this since become a person. Threats against the physical survival of the human race, it is only incidental result of this spiritual crisis. Is the source of existence, by helping to regain contact with the ultimate spiritual reality is the source of salvation, the human raceisto lend the force to save themselves is the thing that can be only in higher religion. Conversion what is intended to form the core of things.
 
「人間の個性にたいする現在の脅威はわれわれの先祖がヒトになって以来、これまでいかなる時代にも人類がさらされたことのないほどの大きな危険である。人類の肉体的存続にたいする脅威はこの精神的危機の付随的結果であるにすぎない。存在の根源であり、救済の源である究極的な精神的実存との接触をとりもどすことを助けることによって、人類がみずからを救うことに力をかすことは高等宗教のみにできることなのである。回心こそ事の核心をなすものである。
 
 
 
「高等宗教」とは?
 
再考察 21巻 p157. L8~
 
一つの綱(クラス)としての高等宗教は、革命的な新しい出発であるその性格によって定義できるかもしれない。高等宗教は人間より高い精神的な存在について新しい洞察を得た。この存在はもはや人間の経済的政治的必要や活動の媒介を通して見られるのではなく、これを崇拝する地方的な人間の関心事にはその職掌がら関係のない力として直接に見られる。*1〔原始社会の世界観に於いては、人と自然と神は互いに未分化の状態にある。...現実にあるものと、あるべきものとの間の相克をめぐる精神の緊張は、エジプトにおいてもシュメルにおいても、「第一中間期」の経験の結果として初めて現れたようである(Chr.Dawson:The Dynamics of World History,p.116)。この革命的な精神的事件は、個々の人間の霊魂と自然界(そしてまた人間社会の世界)を超越する絶対的な精神的実在の間に直接的な交わりが確立されたという(真正のものであれ、或いは幻想の上だけのものであれ)経験であった。そしてこれは紀元前最後の千年紀から始まる(ibid.,pp.117-18.;cp.p.177)。「この決定的な一歩が最初に踏み出されたのはインドに於いてであった。そして実在についての新しい見方が実生活においてひたすらに追い求められたのは、インドに於いてであった。」(ibid.,p.118)〕このような力は超越的なものとして、或いは人間の心情に鋭敏に調子の合う内面的な経験に内在しているものとして人間に告示される。しかしどちらの方法をとるにせよ、人間に対していかなる債務も負っておらず、いかなる意味においても人間に依存していないこの存在は恩寵の行為によってその存在を感じさせるのである。この超人間的な精神的存在が、神としてその人格的な面に於いて経験されるのではなく、仏教の修行者の経験するように精神的存在の非人格的状態として経験されるとすれば、涅槃を探求するためには阿羅漢は社会からだけでなく、自分からも自分を切り離さなければならない。いずれの場合にも、超人間な精神的存在は、或る特定の地方的共同社会の高度に統合された生活から遊離し、そしてそれと共にその崇拝者たちもそのような生活から遊離する。そしてその遊離の結果、この存在の領域は今や地方国家や地域文明と一致するのではなくて、全世界と一致すると見做されるようになる。一方その崇拝者たちは、原理に於いても意図に於いても、すべての人間を包含する教会の成員であると感じるようになるのである。
 
 
 
再考察21巻 p158、L5~
 
要するに、高等宗教がその特殊の名に価するのは、それが神をもはや伝統的な観点から考えず、最高の自足的、偏在的なものと見做しているからである。伝統的な観点からすれば、神は地方的崇拝者たちの力になるように取り決められ、その領土に縛りつけられ、その境界を越えることができない。何故なら、隣接する土地には同種の地方的な神が存在していて、この神も、同様に狭く且つ油断なく境界線をめぐらしたその本拠において、同じような権利と義務を持っているからである。直接的に経験される超人間的な精神的存在が、仏陀のみたように、もはや人格的な神ではなくて非人格的な涅槃として見られるならば、この存在の直接的な直感が神的人格としての、神の伝統的な擬人像を消さない場合よりも、或る特定の社会の文化の結合構造からの遊離はより極端になるであろう。しかし、この存在に関する新しい経験の後になお人格的な一面が残るとしても、この新しい経験は、この新しい見方が得られた社会がそれまで持っていた包括的な文化的統合を破るという革命的な文化的社会的影響を持つであろう。事実、高等宗教の出現は、未分化の実在が意識の目覚めによって分割されるように統合された文化を分割させる。
 
 
 
再考察21巻 p159、L6 ~
 
もしこれが、高等宗教の本質であり、その及ぼす影響であるとするなら、高等宗教がそれ自身の独立した組織のなかにその社会的表現を見出し、また伝道活動に従事することは、高等宗教の性質に内在しているのであろう。超人間的な精神的存在が、人間の社会的必要と活動の媒介によってみられるのではなく、直接的に見られる時、この新しい見方を得た人間は、それに基づいて二つの新しい方法で行動せざるを得ないであろう。彼らは伝統的な社会的絆とは別個に、相互に新しい結びつきを作るであろう。そして新しい宗教の信奉者たちは啓示された、或いは彼らによって発見された実在に関する救済の真理を他の人々に伝えたいと望むであろう。全世界をその分野とするこの強い使命感の出現によって、一つの問題が提起される。すなわち、高等宗教の歴史や制度を、それ以前の宗教の歴史や制度と同じように、元来宗教的ではない、それまでに存在していた特定の社会の歴史や制度の枠のなかに収めることができるかどうかという問題である。高等宗教は新しい種類の社会として扱わなければならないのではないだろうか。したがって、十分にーすなわち理解できるようにー扱うためには、高等宗教はそれ自体以外のいかなる観点から扱うこともできない現象と見做さなければならないのではないだろうか。この問題の焦点をもっと尖鋭に絞ることができる。高等宗教は、それが出現した時に存在していた最高の文明の社会であった社会の文化の一部にすぎないかのように扱うことができるであろうか。それぞれの高等宗教は、或る特定の文明の所産の一つであり、表現の一つであって、それ以上の何ものでもないと見做すことができるであろうか。整理された精神をもつ合理主義者は、この問いは肯定的に答えることができないことを認めたがらないであろう。現象を損なうことなしに肯定の形で答えることができれば、これは単純さと明晰さの勝利になるからである。それが単純さに貢献する理由は、それは人間事象の研究者に、およそ五千年前に最古の文明が現れて以来の人間の歴史を、この種の社会ーこの種の社会だけーの比較研究という観点から扱い続けることを許すからである。それはまた確証できない宗教的経験によって保証される人間より高い精神的存在は、実在そのものであるか、それとも途方もない錯覚であるか、という論議の多い問いと取り組むことを依然として避けることを可能にするのである。
 
 
 
人間にとって、宗教とは?
 
ボードリアン図書館のトインビー資料、1974年の手紙のやりとりの途中に、タイプ原稿として収蔵日付なし 最後にArnold Toynbee の署名
 
 
 
I believe that religion is a built-in component of humam nature. People who have supposed that they could live without religion have in fact, always substituted a new religion or ideology for the one that they have discorded.
 
I think that , in the twenty-first century, the dogmatic element in religion ought be reduced, and the ethical and comtemplative element ought to be increased.
 
By the ethical element I mean precepts about social and personal conduct ; by the comtemplative element I mean the direct spiritual relation between a human being and ultimate spiritual reality in and behind the phenomenn .
 
I think that every human being should be instructed in the teaching of all the hiher religions, so that, when he has became adult, he may be able to choose for himself the particular religion, or combination of religions, that he finds most helpful and most congenial to him personaly.
 
There are bad religion and ideologies as well as good ones. People ought not to be instructed in the teaching of bad religions and ideologies. An agreement on deciding which are good and which are bad will be difficult, but it will be necessary.
 
宗教は人間性の、あらかじめ組み込まれた構成要素であるとわたくしは信じている。宗教なしに生きていると考えている人も実際には常に、新しい宗教もしくはイデオロギーを、彼がすてたもの(宗教)の代わりに用いている。21世紀の宗教においては、ドグマチックな要素は縮小すべきであり、倫理的や真剣に穏やかに深く考える要素は向上させるべきである。
 
倫理的要素ということは、社会的、個人的なふるまい、行動における考え方、行動の指針を意味し、comtemplative な要素ということは、現象の中もしくは背後に存在する窮極の spiritual (精神的もしくは魂の根本)な実在と人間が直接的にspiritual な関係、つながりをもつことを意味する。
 
わたくしは全ての人間が、全ての高等宗教の教えを教えられるべきであると考える。というのは、彼が大人になった時、自分の個性に対して最も適し、かつ役に立つ特別な宗教、もしくは宗教の結合したものを彼自身のために選ぶことができるために。
 
良い宗教、イデオロギーと同じように悪い宗教、イデオロギーがある。人々は悪い宗教、イデオロギーを教えられてはならない。どの宗教が悪くて、どの宗教が良いということを決定することについての同意は難しいということになるだろう。
 
しかし、それは必要なことである。
 
 
 
The higher religions are bound always to strive to keep themselves disengaged from secular social and cultural trammels because this is an indispensable condition for the fulfilment of their true mission.1 his mission is not concerned directly with human beings' social or cultural relations with each other: its concern is the relation between each individual human being and the trans-human spiritual presence, of which the higher religions offer a new vision. We may believe that this vision is an hallucination or we may believe that it is a revelation or dis­covery of Reality; our choice between these two interpretations of the phenomena will be determined by, and relative to, our fundamental presuppositions. But, whichever interpretation we adopt, we can per­haps agree upon accepting four propositions about the phenomena themselves. The first of these surely uncontroversial propositions is that the believers in the higher religions are convinced that their religious experience is not illusory. The second is that this conviction, whether justified or not, has given them the faith to move mountains. The third proposition is that the deeds which the adherents of the higher religions have done, and the institutions which they have built up, loom large in the panorama of human affairs since the date when religions of this kind first appeared on the scene.1 The fourth proposition—which has, I hope, been demonstrated more or less convincingly in this chapter一 is that, in a study of human affairs, the higher religions cannot be dealt with intelligibly simply as products or parts of particular civilizations.
 
 
 
do not necessarily coincide with those on the other. A politically ‘free’ church may become the preserve of a privileged class, and may even become an instrument for protecting and promoting this class,s worldly interests. The 'free,Protestant churches in the English-speaking countries and the Roman Catholic Church in France have, in our time, become, to some extent, the preserves and instruments of the Western middle class. Conversely, an 'established’ church may be a seed-bed, not only for worldliness, but for spirituality. In England, since the Reformation, spiritual prowess, insight, and leadership have not been confined to adherents of the 'free' churches.
 
 
 
They require to be dealt with, at least on a par with civilizations and with pre-civilizational societies, as primary phenomena that cannot be reduced to terms of anything other than themselves.
 
A rationalist-minded student of human affairs can, I believe, accept these propositions, including the fourth of them, without compromising his philosophical position or being untrue to his convictions. Acceptance still leaves open the question whether the unverifiable experiences, from which the higher religions have sprung, are or are not true insights. At the present day we cannot bring our conflicting answers to this question into agreement. This is beyond our power, because these various answers are relative to a still unreconciled difference in our fundamental pre­suppositions about Reality.
 
Indeed, there is disagreement not only between rationalists and ‘trans-rationalists’,but also inside the 1 trans-rationalist' camp. This domestic disagreement among 'trans-rationalists', is, as I see it, a family quarrel. The differences of view from which it arises are con­spicuous, but I do not believe that they are irreconcilable, because I do not believe that they are fundamental. But this, of course, is precisely the point of contention between orthodox adherents of the historic higher religions and ex-believers who have come again to believe that Man is not the highest spiritual presence in the Universe, yet have not returned to this belief in any of its traditional forms.1 Such agnostic2 ctrans-rationalists', of whom I am now one, are perhaps even fewer in number than the rationalists in the present-day world. At present we cannot tell whether one or other of these two present minorities, or the huge present orthodox majority,3 or some other sect, as yet not visible above irizon. is ‘the wave of the future,.
 
 
 
 
 
再考察21巻 p183
 
高等宗教は世俗的な社会的文化的束縛から自らを自由にするために絶えず努力しなければならない。高等宗教の本当の使命を果たすために、これは不可欠の条件だからである。この使命は人間相互の社会的文化的関係に直接の関心を払うことではない。その関心事は、個々の人間と超人間的精神的存在との関係であって、この存在について高等宗教は新しい直感を提供するのである。この直感を幻覚と考えてもよいし、実在に関する啓示もしくは発見と信じてもよい。現象についてのこの二つの解釈のどちらを選ぶかということは、われわれの基本的な前提によって決定され、またそれと相対的なものである。しかしどちらの解釈を取ろうと、現象についての四つの命題を受け入れることについてはわれわれの意見は多分一致するであろう。確かに議論の余地のないこの命題の第一は、高等宗教の信者は自分たちの宗教的経験が錯覚ではないと確信していることである。第二は、この確信が正しくても正しくなくても、それは山を動かす信念を彼らに与えることである。第三の命題は、高等宗教の信者たちが行った行為と彼らが作り上げた制度は、この種の宗教が初めて舞台に登場して以来、人間事象のパノラマの中で大きな地位を占めていることである。第四の命題は・・・・・・本章に於いて多少納得がいくように論証されていると私は思うが・・・・・・人間事象の研究に於いて高等宗教はただ特定の文明の産物もしくは部分として扱うのでは理解可能にはならないということである。高等宗教は少なくとも文明や文明以前の社会と同列に、そしてそれ以外のものの観点に従わせることのできない第一次的現象として扱う必要があるのである。
 
 合理主義的な人間事象の研究者は、この第四の命題を含めて以上四つの命題を受け入れても、彼らの哲学的立場を危うくしたり、彼らの確信に対して不忠実になることはないと私は信じる。しかしこのことを受け入れるとしても、高等宗教の源である確証不能な経験が真の洞察であるかないかという問題はやはり残るのである。現在では、この問いに対するわれわれの異なる答えを一致させることはできない。これはわれわれの力に余ることである。何故なら、このような様々の答えは、実在に関するわれわれの基本的な前提におけるまだ解消されていない対立と関係があるからである。
 
 実際、合理主義者と「超合理主義者」の間だけでなく、「超合理主義者」の陣営内部にも意見の相違があるのである。「超合理主義者」の間のこのような内輪の意見の相違は、私の見るところで家庭内の喧嘩である。そこから起こる見解の相違は顕著であるが、この相違を解消することができないとは私は思わない。何故ならそのような相違が基本的であるとは私は思わないからである。しかし勿論、まさしくこれこそ、歴史的な高等宗教の正統的な信者と元信者・・・・・・人間は宇宙における最高の精神的存在ではないと再び信じるようになったが、伝統的な形のこの信念に戻ったわけではない人々。*1 ・・・・・の間の論争点なのである。現在私はそのような不可知論的超合理主義者の一人であるが、これらの人々は現代の世界ではおそらく合理主義者よりも数が少ないであろう。「未来の主潮」になるのはこの二つの少数者のうちのどちらかであるのか、それとも膨大な数の正統派の人々*3なのか、或いは、まだ地平線上に姿を見せていない他の派の人々であるのか、現在のところわれわれには判らないのである。
 
 
 
*1 p143~5参照 ・・・私自身は、嘗ては信じる者であり、その後まず無条件の合理主義に改宗し、次で二つの留保条件を持つ「超合理主義的」見地に改宗した。(p144の内容で二つの留保条件を詳述。山本外吉論文においても引用がある。ヴェロニカ夫人による「一歴史家の宗教観」第二版の序文にも詳述)
 
*2 ウォーカー師とストレイチー(未完の批判)は、絶対的な意味における実在についての真理を語る知識の神による「放出」としての啓示の伝統的な見解を私が持っていないと判断しているが、それは正しい。したがって、私は「不可知論的」であるというのである。仏陀が自分の精神の努力によって悟りを開いたことは、ムハンマッドが大天使ガブリエルによって伝えられた神の教えによって悟りを開いたのど同じくらい確実であったと私は信じる。もし悟りを開くのが神によるものであるなら、それは或る一つの意味に於いてそうなのだと私は信じる。そしてこの意味においては、他のすべてのわれわれの経験に神的というこの形容詞を当てはめても同様に正しいのである。
 
*3 歴史的な高等宗教の正統的信者は、世界全体としてはまだ圧倒的多数を占めているが、西欧では多数であるとはいえ、圧倒的多数ではない。そして西欧の知識階級の間だけでは少数者であろう。
 
 
 
「文明」を基礎として「世界史」を構成する