トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

実在との一体化 体験

トインビー博士の “実在との一体化” 体験 *J・フォークト「世界史の課題」における言及
*1895年ドイツ生まれ チューリンゲンおよびベルリン大学エドアート・マイヤーに学ぶ 執筆当時チューリンゲン大教授
 
p221 
第10巻(英語版)の自伝的な部分で、時折かれは、かれの夢想、幻想のことにふれている。なかでも、次の報告は私にとって意味深いものに思える。
第一次世界大戦終了後間もないある午後のことだった。当時ロンドンにいた私は、バッキンガム宮殿通りを、ヴィクトリア駅の西側の壁に沿って南に向かって歩いていた。・・・と、その時、私は自分が歴史の中のあれこれにではなく、現にある、過去にあった、そしてまた将来あるであろう一切のものに繋がっていることに気づいた。その瞬間私は、巨大な奔流となって私の身内を流れていく歴史の経過と、この幅広い流れの中に一つの波となって押し流されていく私自身の生の経過を同時に感じたのである』
私は歴史家のこのような告白を無価値なものとは思われない。またピエテル・ガイルの言うように、それによってトインビーが妄想の世界に生きる予言者としての性格をもつことになるとも思われない。
p222
・・・けれども、トインビーが歴史叙述(Historie)と歴史叙述を越えたもの(Metahistorie)を混同し人間の精神化の道程を救済史として理解する場合には、そこにはかれ生来の直覚が働いていることを認めざるを得ない。トインビーの歴史思想は世俗的な事件と霊魂の救済とを厳格に区別したアウグスティヌスの流れを汲むものでは決してない。むしろそこにはグノーシス派のキリスト教が想い合わされるであろう。
 
P139
On each of the six occasions just recorded, the writer had been rapt into a momentary communion with the actors in a particular historic event through the effect upon his imagination of a sudden arresting view of the scene in which this long-past action had taken place.
But there was another occasion on which he had been vouchsafed a larger and a stranger experience. In London in the southern section of the Buckingham Palace Road, walking southward along the pavement skirting the west wall of Victoria Station, the writer, once, one afternoon not long after the end of the First World Warーhe had failed to record the exact date had found himself in communion, not just with this or that episode in History, but with all that hail been, and was, and was to come. In that instant he was directly aware of the passage of History gently flowing through him in a mighty current, and of his own life welling like a wave in the flow of this vast tide. The experience lasted long enough for him to take visual note of the Edwardian red brick surface and white stone facings of the station wall gliding past him on his left, and to wonder half amazed and half amused—why this incongruously prosaic scene should have been the physical setting of a mental illumination. An instant later, the communion had ceased, and thedreamer was back again in the every-day cockney world which was 1 native social milieu and of which the Edwardian station wall was characteristic period piece.
A sense of personal communion with all men and women at all time and places, which outranges the gamut of an historian's prose, is articilate in a poem which was already familiar and dear to the writer of this Study at the time when that ineftable experience travelled through him.
 

完訳版「歴史の研究」22巻 p258
いずれにおいても、筆者は遠い昔に或る歴史的事件の起こった場所を見て突然想像力をかき立てられ、一瞬われを忘れてその事件の当事者との精神的交わりを経験したのである。
しかし、もっと大きな且つもっと不思議な経験が与えられた場合がもう一つあった。正確な日付は記録しておかなかったが・・・・
第一次世界大戦が終わってから間のない或る午後、ロンドンのバッキンガム宮殿通りの南の部分で、ヴィクトリア駅の西壁に沿った歩道を歩いていたときに、筆者は歴史の或る特定の事件だけではなく、かつてあったこと、現にあること、やがて起ころうとするすべてと交わっているという感じがしたことがある。その瞬間歴史の経過が巨大な流れになり彼を通り抜けて静かに流れていることを、そして、彼自身の生涯がその巨大な流れのなかの一つの波のように沸き上がってくるものであることをただちに悟った。その経験は相当長く続き、ヴィクトリア駅のエドワード朝風の赤煉瓦の外壁と白石の化粧仕上げが彼の左手を過ぎていくのを、半分は驚き、半分は楽しみながら、何故、この不似合いな散文的な場面が精神的啓示の物理的舞台装置になったのであろうといぶかるだけの時間があった。一瞬ののち、その交わりは終わり、夢想した筆者は再び日常のコックニーの世界に戻ったのであるが、そこが彼の生まれつきの社会環境であり、エドワード朝風の駅の壁面はその特有の時代的産物であった。
歴史家の散文の範囲を越えるあらゆる時と場所のあらゆる時と場所のあらゆる人との直接の交わりの意識は、あの言葉に言い表し難い経験が、本「研究」の筆者に起こった時に、すでに彼がよく知り大切にしていた一篇の詩のうちによく表現されている・・・・・
 
トレバー・レゲット「紳士道と武士道」より
麗澤大学出版会版 p298
日本の禅は、明快な体系を示す。精神集中の訓練と修練、やがて思考の超越、しかるのち霊感の突発。だが、一般の日本人は、日本文化が西洋人に多くのものをもたらすことができるということをほとんど信じていない。
例。アーノルド・トインビー教授は、日本国内でも国外でも、しばしば日本人のインタビューをうけている。彼自身も悟りに匹敵する経験を有する。それは、かれの全生涯に影響し、「歴史の研究」の発想のもとにもなった。ほんの二、三秒続いたことが、彼の一生を完全に変えた。先ごろ私は、彼にこの経験についてきいてみた。するとトインビーは、それに先だって長い間歴史の意味を考えていたと言った。そして、この経験が彼に歴史の意味を啓示したばかりか、さらに、彼自身が歴史であるということを示した。
「ごく短い、宇宙との同一性の経験でした。それは、死に対する私の態度を大きく変えました。今では私は死が消滅ではなくて、私が経験した宇宙との同一性の復元となることを知っています」
私はトインビー教授に、その言葉は禅でいう「天地と我と同根。万物と我と一体」とほぼ同じだと言って、誰か日本人がそのことを指摘したことはないかと質問した。教授の言によれば、先ほどのような考えを文章にも書いているにもかかわれらず、日本では、訪問先の禅の研究会においてさえも、そのような問題提起はうけたことがないと言い、自分の考えが日本の禅の流れのなかでよく知られていることだということを聞いて実に興味深い、ともらした。なぜ日本人は誰も教授とそのことを論じ合わなかったのか。
これに関連して、トインビー教授のイギリス人同僚の一人が、専門研究書にそのような記述をしたのは歴史家としておかしいと批判した。すでに述べたように、この種のことがらは、現在のイギリスの知識人の風土にはなじまないのである。
 
 
「人間革命」第五巻 旧版p23 より
昭和26年 東京 神田
戸田はこの頃、天啓というより他にない、不思議な瞬間をもった。――二月初旬の厳寒の日である。風はなかったが、凍りつくような寒さが、吐く白い息にみられた。
日暮れに近い午後、戸田はひとり事務所を出て、すたすたと駅の方へ足を運んでいった。空は妙に明らんで明るく、冬にはめずらしい夕焼けである。吐く息は白いのに、彼はなぜか寒さを感じない。空はあくまでも、異様に明るく思われるのであった。まるで夏の夕空といってよい。
彼は、奇異な思いに駆られたのであろう。――空の遠くに眼を放った時、彼のの胸は急に大きな広がりをもったように、それがそのまま空へ空へと、みるみる広がっていくような想いがした。
その途端、燦爛たる世界がにわかに彼を包んだのである。彼の脚は、平静に地上を踏んでいて、なんの変化もなかったが、彼は見た。そして瞬間に思いだした。――あの牢獄で知った喜悦の瞬間を・・・・いままた彼は体験したのである。
彼の生命は、虚空に宇宙的な広がりをもち、無限の宇宙は、彼の胸の方寸におさまっていた。彼は心で唱題し、おさえがたい歓喜に身をふるわせて。生命の輝くばかりな充実感を自覚したまま、遍満する永遠の一瞬を苦もなく感得したのである。
彼は、ふと立ち止まり、あたりを見わたした時、灰色の街路と、侘しい家並みと、背を丸くして道ゆく人々が目についた。彼は、われに還ったものの、いま全生命に知った実感は消えることなく、彼の胸の底で燃焼していたのである。そして、一切の羈絆のことごとくが、洗い流されたように、彼の頭から消えていった。彼は口には出さなかったが、心でいくたびも繰り返していった。
「ありがたい。なんとありがたいことか!おれは厳然と守られている。おれの生涯は、大御本尊様をはなれては存在しないのだ」
黄昏に近い、あわただしい路上である。夜学に急ぐ学生たちが、後から後から群れをなして、彼とすれちがっていった。