トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「文明」から「高等宗教」への力点の変化・・・トインビー博士の世界史研究、第二次世界大戦をはさんでの変化

トインビーは、「文明」を単位として歴史をみることについて、「歴史の研究」の再考察21巻につぎのように論述しています。

 「 一つの現象を説明するための第一歩は、その前後関係を発見することである。

『意味の探求は、総合を免れることはできない。より広い文脈のなかに置いて、初めて或ることの意味が理解できるからである。(Cohen, op. cit., p.33.)』

『一つの事実は、他の事実と関係づけられるか、或いはより大きな体系の一部とならない限り、確証もしくは理解し得るものにはならない。(Ibid.)』

この点を私自身の著作から敢えて例証するならば、「歴史の研究」第一巻~第十巻は、それだけを取り上げてのでは理解することのできないより狭い分野のための枠組みとして、「理解可能な研究の分野」を見いだそうとする二つの企てを軸にしていると言いたい。探求の出発点は、多かれ少なかれ自足的な歴史研究の分野 ー現代の西欧の歴史家が通常研究の単位としている国家がその部分となるような研究分野を探求することであった。このような国家的単位は不十分であると私は感じていた。何故なら、それは私には自足的ではないように思われたからである。そして自足的でないということは、それが何かもっと大きなものの断片であるに違いないということを意味するであろう。私はこのより大きな研究単位を、私が「文明」と名付けた社会の種のなかに見いだした

文明は、その発生、成長、挫折を研究している限りでは、理解可能な研究単位であるように私には思われた。しかしその解体を研究する段になると、この段階では、文明の歴史は ー近代西欧世界の一部分である国家の歴史と同様にそれだけを切り離してのでは理解可能ではないということが判った。解体しつつある文明は、他の一つ或いはそれ以上の文明と密接な関係を結びがちであった。そして文明間のこのような出会いは、もう一つの種の世界、すなわち高等宗教を生んだ。探求の初めに私は高等宗教を民族国家とかその他の地方国家の変種と同様に、文明の観点から説明しようとしていた。諸文明の歴史の概観の最後の段階に於いて、私はこのような高等宗教の見方は結局それを十分に説明するものではないと確信するようになった。なるほど高等宗教は、解体期の文明が変容して、そこから若い世代の新しい文明が出現する「蛹(さなぎ)」の役を果たした。また、なるほどこれは諸文明の歴史に於いて高等宗教が果たした役割であった。しかし、高等宗教自体の歴史のなかでは、この役割は付随的な役割であっただけでなく、それはそれ自身の使命を果たすという本来の仕事から高等宗教を逸脱させる傾向があるという意味に於いて、実際困った偶然であることが判った。私が、国家以外の種と他の大きさ単位のために十分な前後関係を提供する、したがって十分な説明を提供する・・・たとえば文明の説明の・・・理解可能な研究の分野の探究を続けなければならないとするならば、私は今や、これまでの作業計画を逆にすべきではないだろうかと自問しなければならなかった。一つの種の社会が、他の種の社会によって説明することができるなら、第一代と第二代の文明は、高等宗教勃興の予備段階として説明されるべきではないのか

私は探究の課程において、歴史研究の「理解可能な分野」が何であるかということについてこのように考え直したのであるが、この再考察は私に新しい出発点を与えた。そして説明の仕方を変える必要によって要求される見方の変化は、根本的な変化であった。クリストファー・ドーソンはこの変化を循環的方式から漸進的方式への変化と定義したが、それは正しい。実際この変化は非常に根本的だったので、多くの批評家はそれに驚き、一部の人々は、私は諸文明に関する私の最初の比較研究をここでやめて、宗教の見地から見た人間の歴史の意味に対する新しい探究を始めるべきであったと示唆した。(「歴史の研究」第21巻 p54~p56 )

 

このトインビー博士の論述は、博士の生涯にわたる世界史研究を考える上で、重要な意義を持ちます。

トインビー博士の大著「歴史の研究」の記述を順を追ってたどっていきますと、第二次世界大戦前に記述された部分においては、文明の「誕生」「成長」「挫折」の各段階を設定することが中心となります。時間的にはエジプト文明以降5000年、空間的には全地球という範囲で検討し、最終的には21の文明を確認し設定することになります。「誕生」「成長」「挫折」という段階で、それぞれの文明を比較検討するにあたっては、「文明の哲学的同時代性」という視点、つまりどの文明も人間の社会的営為における本質的な共通性を持ち、比較検討が可能であるとの認識(この認識に確信を与えているのはトインビー博士のいわゆる“ツキディデス”体験ですが)をよりどころとしての歴史的事実の検討が続きます。文明と文明の比較検討ですので、人間としての普遍的な共通点を踏まえて論じていても、結果として人間の歴史における個々の「文明」の特徴、個性の認識を中心として、それぞれの文明の独立性への認識が強まることになります。したがって、ショペングラーをはじめとして、比較文明論的な立場にたつ人びとの文明観に共通する、個々の文明の独立性を強調する傾向が強くでてきます。歴史はある目的に向かっての変化・進化の過程そのものであるとのユダヤキリスト教的な歴史観とは異なる、ギリシャ・ローマ時代の一般的な歴史観である円環史観的な視点につながることにもなります。

先の引用文の中にあるクリストファー・ドーソンを引いての一節「クリストファー・ドーソンはこの変化を循環的方式から漸進的方式への変化と定義したが、それは正しい」はまさにそのことを言っています。そして 「それは正しい」と断定するトインビー博士の世界史はこの段階から、歴史を高等宗教の漸進的な進化とみる一種の進歩史観と変貌したと見るべきだと思います。