トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

トインビー博士の文明の定義 再考察p508~p512

 この近代西欧の言葉は混成語である。それはラテン語の形容詞の語幹〔civil〕とフランス語の動詞接尾語〔1ze〕とラテン語の抽象名詞語尾〔tion〕―― 静的な状態ではなくて以前として進行中の過程を示す語尾――から成り立っている。この言葉を文字通りに解釈すると、ギリシャ・ローマ(私の用語ではヘレニック世界)の都市国家の市民たちによって達成されたような種類の文化を達成しようとする試みという意味になるはずである。実際、「文明」という言葉の文字通りの意味は、ヘレニック社会の歴史およびその社会とそれ以外の隣接社会との関係の歴史に於いて非常に重要な役割を演じたヘレニック化の過程を正確に描くものであろう。これはたとえば黒海沿岸のカッパドキアの農民の住民が、ポンペイウスによって経験させられた過程であった。ポンペイウスはこの王国をローマ領に併合した後、農村地域を数少ないヘレニック都市国家のどれかに所属させたのであった。
 実のところ、civilization という言葉はラテン語には持ち込まれなかった。それは近代フランス人の造語で、ジョンソン博士はこの言葉を彼の英語辞書に入れることを肯んじなかった。それ以来この疑似ラテン語、もしくはその同義語は、特定の時代に存在した文化の特定の種類もしくは一面という意味で、近代のすべたの国語に於いて使われるようになっている。現在の知識の段階では、文明時代はおよそ五千年前に始まったように思われる。しかし今これを書いているのは1959年1月である。そして現在では考古学の進歩は非常に急速なので、1959年が終わるまでにこの五千年という数字をもっと大きくしなければならない――しかも非常に大きくしなければならない――かもしれないのである。たとえば、エリコの遺跡の発掘をもう数ヶ月続ければ、文明時代の始まりはこれより数千年も前であったということになるかもしれないのである。
 文明を文化の一つの種類もしくは一つの局面として描き、文明が初めて出現した年代について論ずることは、文明の定義にすでに到達していることを暗に意味するすのかもしれない。私自身は、この言葉の用法をはっきり定義することなしにこの観念を扱っているというので批判されている。確かに私は本書第一巻で、文明と文化の文明以前の段階との差異に存する特色を確認することができるかどうかという問いを提起した。そしてその差異は制度や分業や社会的ミメシスがあるかないかという点にあるのではないと私は結論した。このような特色はあらゆる時期の人間社会の文化に共通していることを私は見出した。私は現存する文明以前の社会の現在の生活に於いて、ミメシスは先祖に向けられているが、現在文明の過程にある社会の現在の生活に於いては、ミメシスは未来の目標に向かう途上の指導者である創造的な人格に向けられていると指摘した。観察し得る現在のこの際も、私が求めている定義を提供するものではないことを私は認めた。現存する文明以前の社会は、今は静止しているが嘗ては動いていたに違いない。他方、現存する文明が常に動き続けるであろうときめてかかるべき根拠があるわけではなかった。実際、文明のなかには、現存する文明以前の種類の社会のように、すでに静的な状態に陥ってしまったものもあった。ここに於いて私は単数の形の文明の観念に対する定義を求めることを中断して、その代わりに複数形の文明 civilizaions の歴史の律動の研究にとりかかった。この探求は、本書の初めの十巻の残りの大部分を占めた。これはより有望な手続きであったと私は思う。一つの定義が当てはまる現象を調べ上げる前に定義を提出することは、予備的な研究を無駄にする危険に自分をさらすことである。今や批評家たちの挑戦に応ずる時である。しかし私はまず、他の研究者によって提出されている文明に関するいくつかの定義を報告しよう。
 たとえば、A.H.ハンソンは、文明以前の文化の文明への変貌の決定的な要因であったと彼が考える多くの変化を持ち出している。新しい技術の発見、分業の開始、経済的不平等の出現、社会の階級への分化、これらの新しい現象と原始的部族構造との対立、この対立を超克する手段としての国家の出現を彼は挙げている。R.J.ブレイドウッドは、八つの基準の組み合わせを提案している。すなわち十分に能率的な生産、都市化、正式に組織された国家、正式な法律(新しい道徳秩序の感覚を暗に意味する)、正式な公の計画と事業、社会的階級と階級制度、読み書きの能力、記念碑的芸術品の組み合わせである。パグビーは文化を文明と定義するための提案されているいくつかの基準を論評して、人口の大きさ、高度の分業という意味での複雑さ、読み書きの能力とを除外している。この三つのうちの最初の二つの基準は、恣意的な線を引くことを要求すると彼は正しくも論じている。読み書きの能力とい提案されている基準を論じて、かれは普通は文明として認めれている少なくとも一つの文化、すなわちアンデス文化は、読み書きのすべてを知らず、これに反して現存する社会のなかには文字を有してはいるが、他の点では前近代的な社会があると指摘している。さらに、インカ人は文字以外のものによる記録法である結び縄文字〔縄の種類・結び方・色などの配列で意味を表示した〕を持っていた。
 次のことをつけ加えてもよかろう。すなわち、読み書きの能力を持つ少なくとも一つの社会――西欧社会――も、右と同様に文字を使わないで記録する方法を広く用いた。それはイギリス王国の行政史の中世の時代に大蔵省で用いた割り符である。また多くの文明以前の社会や、一部に文明の過程にある社会は具象的な記録法――文字、絵画、刻印された印し、結んだ紐、刻み目をいれた棒、等々――を持たないで、人間の暗記力に頼った。暗記力の使用が視覚的な記憶術によって不必要にならない時、暗記力は視覚的な種類の記録に依存することに慣れている人々には異常に見えるような離れ業をおこなうことができるのである。アラビアやポリネシアの氏族の長い系譜や、ヒンズー教の膨大な経典は、何世紀にもわたって暗記によって保存され伝えられたのである。そしてイスラム世界ではハーフィズ――コーランを暗記している人という意味である――はまだよく見かける存在である。ついに文字を手に入れた嘗て読み書きのすべを知らなかった社会には、散文的な商用文書以外のものを記録するの文字を使うことを非常に嫌がる傾向がよく見られる。宗教的ならびに世俗的な律法や詩は、伝承の伝統的保管者がそれを文字に写す手段を手に入れて久しい後まで、口頭で伝えられることが時々あったのである。
 われわれは「文明」という言葉の語源から手掛かりを把むべきであり、文明を「都市に見出される種類の文化」と定義すべきであるとバグビーは提案している。そして彼は「都市」を「その住民の多く(或いはもっと正確に言うと大多数)が食料生産に従事していない住居集団」と定義することを提案している。ルイス・マンフォードの最も輝かしい研究は、文明の発達と都市生活の発達の間の関係の研究であるが、そのマンフォードは、都市が歴史に於いて演じた役割を私が無視していると批難している。この批難は多分正しいであろう。都市の役割に重要性を与えている点で、バグビーの勘は当たっているように思われる。農村生活から都市生活への変化の結果の位置基準からすれば小さい都市――でさえ、そこに定住するために家郷と職業を捨てた人々の生活と物の見方に革命的な影響を与えたであろう。この移住は、数時間或いは数分間の歩行にすぎなかったかもしれない。しかしその移住は、敢えてそれをおこなった人々を、はるか昔からの社会的文化的環境からきりはなしたであろう。彼らは他の村や他の部族から移住してきた人々と交わり、また生計の資を得るために農業以外の新しい方法を習得しなければならなかったであろう。この根こぎの過程は、心理的社会的変革を容易にしたであろう。この変革こそ私の示唆が正しいとするならば、文明以前の文化の段階から文明への事実上の移行を画するものである。この変革が与える状況の下で、変化しつつある社会に参加している人々の大多数は、先祖に向けられていたミメシスを、未来の新しい目標を志向している生ける指導者に向けるようになったであろう
 バグビーの指摘するところによると、農業共同社会はあらゆる文明の必要な一部ではあるが、「その生活は、文化的に都市に依存するようになったという事実によって、大きな変化を受けた」。今日われわれは、食糧生産者が世界の人口の少数者――しかもごく少数者――にすぎなくなるまでにその数を減少し、その上彼らが精神的な都会人なる状態に急速に近づきつつある。しかも最も初期の最も小さい都市でさえ、当時まだ圧倒的多数を占めていた農業人口に、強力な変貌作用を持つ影響力を及ぼしたに違いない。シュメル世界とヘレニック世界に於いて、また西欧世界に於いても現在西欧に見られる町と田舎の対照は、最近まではなかったのであり、町の住民は都市での工芸に十時するだけでなく、田畑でも――少なくとも収穫期には――働いたとH・フランクフォートは指摘している。しかし、このことはバグビーの論点を無効にするものではない。フランクフォート自身も指摘しているように、ヘレニック世界や中世西欧(とりわけ中世イタリア)の都市に於けると同じく、シュメル・アッカドの都市においても、「都市の物理的存在は、市の壁の内側に住むすべての人々の生活を支配するにっせつな共同体的親近性の外的な徴証にすぎない。都市はその市民を他の土地に住む人々から切り離す。それは彼らと外界の世界との関係を決定する。それは市民たちのうちに強い自意識を生み出すのである」
 こうしてバグビーの定義は、もう少しで的に命中するところまで来ているが、まだ十分ではない。また「文明」として知られている種類の文化の出現の同義語としてV・G・チャイルドは(「産業革命」にならって)「都市革命」という言葉を作っているが、これも十分ではない。都市がないにもかかわらず、文明の過程にあった社会がこれまでに存在したのである。たとえば中央アメリカ世界のマヤ地方には、神殿やその他の公共建造物が堂々たる群を成しているが、現代の考古学者の少なくとも一つの――しかも多分支配的な――学派は、これは儀式の中心地であるにすぎなく、そこには少数の僧侶や支配者やその近侍の者を除いて恒久的な住民はいなかったと信じている。さらにより適切なのは、次の言葉である。すなわち、「エジプトに於いては、この大きな変化は社会活動の都市への集中化を生み出さなかった。エジプトにも都市があったことは事実である。しかしただ一つの例外である首都を除くと、都市は田舎のための市場でしかなかったのである」。遊牧文化を文明のなかに数え入れることが正しいとするならば、この文化もまた都市を持たない文明の一つの事例であろう。もっとも、遊牧社会と、都市と農業の双方を所有している定住社会の間には、経済的な面で常に共生関係があったと私は信じているが。都市を持たない文明のこれらの例は、多分論議のあるものであろう。しかしそれは、文明を「都市に見出される種類の文化」と定義することが十分に正確でないことを示唆している。バグビーは「おそらく都市の住民がそのすべての時間を専門化に捧げて、かれらの文化を複雑にすることができるのは、食糧を直接生産する必要から解放されているからである」と述べているが、それはそれなりに確かに正しい。しかしわれわれはさらに進んで、文明を、食糧生産の仕事だけでなく、物質的な面で社会の生活を文明の水準に保つために営まなければならなりその他の経済活動――たとえば産業や貿易――から解放されている少数の人々がいる――どんなに少数でもよい――社会の状態と同一視しなければならない。
「余剰とそれが社会に及ぼす影響は・・・・非常に重要であり、文明のピークと経済的繁栄のピークの間には一致が見出され得るのである。余剰がなければ、社会の成員は瞑想、実験、思想の交換――変化の源泉――のための時間がなく、静的な状態に留まりがちである」
 これらの非経済的専門家――職業軍人、行政官、多分何者にもまして僧侶――は、われわれに知られている大部分の文明の事例に於いて、確かに都市居住者であった。しかし進んだ天文学的な知識と複雑な暦の技術を持つマヤの僧侶は非都市的社会環境に住む一団の非経済的専門家の一つの例であるかもしれない。このように考えるならば、文明の起源は都市の出現ではなくて、経済的不平等と社会の階級への分化――ハンソンの挙げている要因のうちの二つ――の出現にあったということになろうこの診断が正確であるならば、それは悲劇的な診断である。何故なら、それは文明は社会的不正に始まったことを意味し、またわれわれが知る限り、文明はそれ以外の方法では出現することができなかったことを意味しているからである。文明の残存している記録が遡る最も古い時代以来、社会的不正は文明の二つの明確な病弊の一つであった。もう一つの明確な病弊は戦争であった
 われわれの時代に文明は近年の西欧世界に於ける技術の空前の進歩の結果として危機に到達した。建設的な目的に使用するならば、技術は文明が始まって以来今や初めて、これまで少数の者の専有物であった文明の恩恵をまもなく全人類に提供することができる道を切り開いた。破壊的な目的に使用するならば、技術は人類と、そして多分他のすべての生物を間もなく地球の表面から抹殺することを可能にする前例のない道を切り開いた。この二つの可能な道は、文明が今や運命的な岐路に到達したことを暗示するものである。今や文明それ自身を破壊し――そしておそらくはわれわれをも破滅させる――われわれの手中にある道具にさせないためには、われわれは戦争という制度を廃止して、社会的不正を根本的に改革しなければならないのである。そしてこの仕事はどちらをとってみても、途方もなく大きな仕事である
 人類の現状は、①文明の目標は何かという問いと、さらに、②文明はこの文化の特定の種の力だけに頼って改革し救済することができるかどうかという問いを提起する。この第一の問いについて、私はフランクフォートと共に「食糧生産の増加と技術的進歩というような変化(共に確かに文明の興起と時を同じくしている)が……いかにして文明が可能になったかと説明する」という考えを拒否するものである。これに関連してフランクフォートが引用している一節で、A・N・ホワイトヘッドは確かに的を得ている。彼はこう言っている。
「高度の活動によって顕著な世界の各時代には、そしてその頂点を作り出した媒体のなかには、暗々裡に受け入れられて或る深遠な宇宙論的な見方がその時代の行動の源泉の上にそれ自身の刻印を残している」
クリストファー・ドーソンが、「あらゆる文明の背後には一つのヴィジョンがある」と言った時、彼は同じことを主張しているのである。私はこの考えを支持するものであるが、この考えにによると、経済的活動から解放された少数者が社会のなかにいるということは、文明の定義というよりは、むしろ文明の認識票なのである。ホワイトヘッドにならって、私も文明を精神的な観点から定義しよう。それは、全人類がすべてを包容する単一の家族の成員として協調して共存することのできる社会状態を作り出そうとする努力である、と定義することができるかもしれない。これが、これまで知られているすべての文明が意識的でないとにしても、無意識のうちに目指してきた目標であると私は信ずる
 第二の――文明はそれ自身の力だけで自らを救うことができるかという問い――は論議の余地の多い問いである。この問題について私が熟慮の結果得た答えは否定的である。文明はそれ自体の力だけではなく、高等宗教の力に頼ることによって初めて救われると私は信ずる。人類はこのように文明を超克することによって文明を救うことができるのであると私は信ずる。しかし高等宗教に助けを求めさえすれば、文明と宗教と、そして人類のために必ず未来を確保することができるとは私は信じない。現在、そして常に、未来は人間のために開かれており、未来をわれわれが望むものにすることは、少なくとも部分的にはわれわれに可能であると私は信ずる
 本書の最初の六巻には、「人間の努力の目標は何であるか」という問いに対する二つの異なる答えがあることをフレイ二は見出しているが、これは正しい。「一方では〝文明〟は究極的なものと考えられている」。他方では、「文明に於けるすべての成長は聖者を目指す進歩と同一視されている」。私のこの二つの答えの第二のものは、要するに、われわれが「文明」と呼ぶ特定の努力に於いて目指している人間の努力の目標は、文明そのものの彼方にあり、文明そのものよりも高いなにものかであるという信念の宣言である。この第二の答えは深く考えた上での私の答えであり、その後の再考も、私にこれを変える必要をいささかも感じさせない。