トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「文明」と「高等宗教」

Startmg from my own taking-off point, I arrived at different findings  from Spengler’s and Bagby's over some points of detail. Instead of thinking that a higher religion always originated inside some single civilization, I thought that it always originated from an encounter between two civilizations or more, and that this encounter was always preceded by the breakdown and disintegration of at least one of the parties to it.
 
(訳)私は私自身の出発点から出発して、幾つかのこまかい点についてシュペンラーやパグビーとは異なる発見に到達した。 高等宗教は或る一つの文明の内部に生まれたと考える代わりに、それは常に二つ、もしくはそれ以上の文明の出会いから生まれ、そしてこの出会いの前には常にそれらの文明の少なくとも一つに挫折と解体があったと私は考えた。(「歴史の研究」再考察より)
 
 トインビー博士の「歴史の研究」を丁寧に読み解き、思索していくとき、重要になってくるのが「文明」と「高等宗教」の関係です。1920年代から始まり、1950年代に一応の完結をみるのが、トインビー博士の主著「歴史の研究」です。このトインビー博士の生涯をかけた主著は、第二次世界大戦前、1934年に1~3巻(原著英語版)、1939年に4~6巻(原著英語版)が出版されました。
 第二次世界大戦後、1954年には、7~10巻(原著英語版)が出版されましたが、戦前に出版された部分と、戦後に出版された部分には大きな視点の変化、というよりは視点の深化があります。その内容について、トインビー博士自身が、直接触れているのが冒頭にかかげた引用分です。これは、1961年に出版された「歴史の研究」の12巻(再考察)からの引用になります。
 トインビー博士は、「文明」と「高等宗教」の関係において、戦前までの視点では「高等宗教」はあくまでも「文明」を構成する一要素としてみていました。他の文明と比較が可能な、歴史認識上のまとまりとして「文明」を定義し、その文明を構成する、社会組織、経済構造、文化など、さまざまな要素の一つとして「宗教」を見ていく。その「宗教」の中でも、一人一人の個人が直接「宇宙の背後の根源的実在」に触れることのできる教義、実践体系をもつのが、トインビー博士が定義する「高等宗教」です。具体的にはキリスト教イスラム教、ユダヤ教ヒンズー教小乗仏教大乗仏教ゾロアスター教などに代表されます。その「高等宗教」も、あくまでも「文明」の一構成要素としてみることができるというのが、戦前の「歴史の研究」におけるトインビー博士の見解でした。この見解は、シュペングラーやパグビー等の代表的「文明」論者の見解とも一致していました。いわば、「文明」中心の歴史の見方であり、「比較文明」という学問のジャンルを基礎付けることになる視点でもあります。
 
 しかし、戦後出版された後半の7~10巻の中で、トインビー博士は「文明」と「高等宗教」の関係を逆転させます。冒頭の引用を再度かかげてみます。
 
高等宗教は或る一つの文明の内部に生まれたと考える代わりに、それは常に二つ、もしくはそれ以上の文明の出会いから生まれ、そしてこの出会いの前には常にそれらの文明の少なくとも一つに挫折と解体があった
 
 この認識と判断が、結果的にみると既存の歴史学、文明論の考察からのトインビー史学の決別と新展開を決定づけることになりました。既存の歴史学との「決別」とは何でしょうか。
 「文明」中心に歴史をみていくということは、17世紀以降の近代合理主義とナショナリズムに基づき「国家」単位で歴史をみていく、19世紀以降の西欧の歴史学の明白な否定でした。否定という言葉が強ければ、止揚といっても良いと思います。従来からの視点を含みつつ、それをさらに高い次元からとらえています。戦前に書かれた「歴史の研究」はこの視点で書かれていました。その視点の中で、「宗教」は「高等宗教」も含めて、「文明」の中に要素として含まれるものとして、いわば副次的な位置におかれています。
 ところが戦後の視点は、「高等宗教」は一文明の範疇におさまる歴史事象ではなく、むしろ「文明」からも自立している事象であるという、「高等宗教」中心の歴史の見方を提唱されたことになります。さらに、「高等宗教」の成立には、二つ以上の「文明」の出会いがあり、その出逢う「文明」の一つには「挫折」と「解体」があったという視点を提出されました。つまり、「文明」の「出会い」が「高等宗教」成立の条件であるということです。当然、文明と文明の「出会い」は、平和のうちに出逢う出会いばかりではなく、武力戦闘と征服をともなう「衝突」もあります。
 この視点は、地球上の地理的展開の中に「文明」を置き、その比較検討の中で文明の研究を進める比較文明的視点からの大きな転換であると思います。比較文明における「文明」とは、一つの「文明」でみると、その誕生から崩壊まで一連のサイクルを繰り返すとする、一種の循環論的視点が前提となっています。そのサイクルの共通性において比較研究が可能になるという視点です。
 ところが、「高等宗教」の自立性と、その成立における「文明」と「文明」の「出会い」を見据える視点にたつと、歴史は「高等宗教」の成立、発展を中心として、単なる一つの文明の興亡を超える進化論的な内容をもつことになります。戦後の高等宗教中心ともいえる視点の変化は、根本的なパラダイムの転換を意味しています。 
 歴史をつくる力は、目にみえない神の力でもなければ、唯物史観的な科学的法則でもない。トインビー博士は「挑戦」と「応戦」という視点を提示して、歴史をつくる根本の力を人間自身のなかに求めました。その人間のなかの何が進化を保証するのか。そこに「高等宗教」がどう関わりをもつのか。このテーマはトインビー史学のまだ解明しきれていない重要な要素であると思います。
さらに、論究を深めて行きたいと思います。