トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

「21世紀への対話」実現への経緯 

●「21世紀への対話」実現にいたる経緯“トインビー博士と池田先生”

話は4年前にさかのぼるが、昭和44年(1969年)の初秋、私は、トインビー博士から一通の手紙を頂いた。『前回、訪日のおり(注・昭和42年)創価学会並びにあなたの事について、多くの人々から聞きました。以来、あなたの思想や著作に強い関心をもつようになり、英訳の著作や講演集を拝見しました。これは提案ですが、私個人としてあなたをロンドンにご招待し、我々二人で現在、人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します。時期的にはいつでも結構ですが、あえて選ばれるとすれば五月のメイフラワータイムが最もよいと思います』(9月23日付)世界史的眼光で歴史を鳥瞰し、社会と文化を把握し、人間事象の背後の本質に肉薄する“20世紀最大の歴史家”と称される博士。その学問的情熱と、研ぎ澄まされた歴史的洞察と、該博な知識に、私は以前から注目していたし、人びとが方位喪失して悲しく生きる今の世にあっては、博士の巨視観による歴史哲学に、耳を傾ける必要を感じていた。

私自身としては、この手紙を読んで、過分な申し出に、すぐにでもお応えしようと思った。しかし、なにせ私個人も仕事が多繁を極め、スケジュールもぎっしりと詰まっていたので、その時は残念ながら遠慮せざるを得なかったしだいである。

だが、その後もいくたびか博士から対談の希望が寄せられた。博士御自身も日本がお好きのようで、来日を考えておられたと推察するが、老齢のため、長途の旅は御無理であったようだ。というわけで、私の方からお伺いして、昨年(1972年)の五月の対談となったのである。

そして今年(1973年)の三月、博士から、再び丁重な招請状を頂いた。『今年も、イギリスを訪れる時間をお取りになれるでしょうか。もし、あなた並びに奥様の日程が許されるならば、なにとぞ、来たる五月にぜひ御来訪いただきたいと思います。私達にとって、共通の関心事である多くの討議すべき問題があり、ぜひその機会をもちたいと思います。そのためには、私達の間に、個人的な会見が必要であると信ずるからです』
(73年3月12日付)

私は、昨年に引き続き、今年もトインビー博士との対話を行うべく、ロンドンに向かった。〔中略〕第一回対談の前から、対談を効果的に進めるため、私は仕事の合間を見つけて、博士との往復書簡を通して、博士の質問にも答えつつ、なお自分自身の見解も述べてきたが、それは幾たびも続けなければならなくなった。博士も誠意あふれる姿勢で応えられたのである。時には静かな郊外の家に赴いて、思索を重ねながら執筆されたともうけたまわり、その真摯な姿勢に頭の下がる思いがした。
(トインビー博士との五日間〈1973年の文章〉「ヒューマニティーの世紀へ」より)