トインビー随想

トインビー博士について様々な話題を語ります

トインビー博士にとっての戦争 回想禄Ⅰより

トインビー博士にとっての戦争とは、単なる歴史的な事件事象のレベルを超えて、その廃止を心の底から決意することによって、トインビー博士の生涯の転機と学問上の進化・変化を動機づける本当に重要な契機になっていると思います。その内容を回想禄1の中から引用します。

チャタムハウスにおける33年より
p107
私にとって『大観』の執筆が知的のみならず倫理的にも満足すべきものであったということはどういう意味なのか。国際的な出来事を客観的非個人的に研究していく、という意味において「科学的」であることを意図した仕事に、倫理的な満足がどうしてあり得たのか。『大観』を執筆するに当たって、私個人の希望と恐れや、正邪についての私の判断が、記述に影響を与えることのないよう、私は全力を尽くした。そしてこの目的を達成していないということに気づいた場合には、読者が私の偏見に気づいてこれを割引きして考える助けになるように、自分の手の内を見せるために最善を尽くした。(人間事象を研究する者で、個人的な偏見に影響されずに研究できると想像する人は、誰であれ間違っている。人間事象を研究する者にできることは、せいぜい自分の偏見を看破してこれを明らかにすることだけである。)
 
チャタムハウスにおける33年より
p107
私にとって『大観』の執筆が知的のみならず倫理的にも満足すべきものであったということはどういう意味なのか。国際的な出来事を客観的非個人的に研究していく、という意味において「科学的」であることを意図した仕事に、倫理的な満足がどうしてあり得たのか。『大観』を執筆するに当たって、私個人の希望と恐れや、正邪についての私の判断が、記述に影響を与えることのないよう、私は全力を尽くした。そしてこの目的を達成していないということに気づいた場合には、読者が私の偏見に気づいてこれを割引きして考える助けになるように、自分の手の内を見せるために最善を尽くした。(人間事象を研究する者で、個人的な偏見に影響されずに研究できると想像する人は、誰であれ間違っている。人間事象を研究する者にできることは、せいぜい自分の偏見を看破してこれを明らかにすることだけである。)
 
p107
今私個人について言うなら、二度の世界大戦に生き残り、原子兵器の発明を目にするまで生きてきて、私は自分の生きた時代の国際問題の研究が自分に課した行動について、何の疑いも持っていない。今私は、専門とする仕事において客観性を追求することに献身する歴史家としてではなく、一個の人間、曾祖父、市民として、物を言っているのである。一個の人間としては、私は自分の目に映る世界を静かに眺めていることに甘んじることはできない。「世界の本性は、かくのごとき欠陥に満ちているのだ」(ルクレティウス『事物の本性について』二巻181行)。私の生きた時代に人間が互いに害悪を与え合うのを私は見てきた。人類がこの害悪をいくぶんでもあらためるのを手伝うために、私としてできるかぎりのことをしても、その行動の結果はごく微小なものであるかもしれない。しかしそのような行動のための装備と刺激を与えてくれるのではなければ、世界についての私の研究は不毛で無責任なものであった、ということになろう。私と同年配の人々のうちあれほど多くの人の命を途中で絶ちきるという罪を犯した運命に、私の孫たちや曾孫が襲われることのないように、私はできるかぎりのことをしなければならないのだ
 
p108
 このような時と所に生き、そしてこのような教育と経験を受けてきた私としては、戦争を廃止する方向に向かって私の生きている間にできるかぎりのことをすることに、1914年8月以来とりわけ意を用いてきた。戦争は人間の現存する一切の制度のうち最も悪しきものである。ところがそれは人間が強情にも固くしがみついている制度でもある。1914年には、戦争が奪いうる人命は百万単位にすぎなかった。1914年8月6日以来、戦争は人類を抹殺しそしておそらくはこの地表にもはやいかなる種類の生物も住めないようにさえしてしまうほど、致命的なものになりつつある。「この忌まわしきものを根絶せよ。」(ヴォルテールの言葉)
 私は運命のいたずらによって第一次世界大戦のときには軍務に適さなかったが、1914年8月以降戦争の悪と直面してきた。1914年8月以前には、イギリスは数多くの「小さな戦争」――しかも侵略的な小戦争――をおこなっていたのので、われわれにその気がありさえすれば目が開かれてしかるべきであった。ところがほとんどの者はこの悪に対して倫理的に鈍感であった。例外はただクエーカー教徒だけであった。もしわれわれがまだ盲目でなかったのなら、両親は私がおもちゃの大砲で錫の兵隊を打ち倒して殺すような遊びを決してさせなかったろう。また私自身もこういう不愉快な遊びを楽しむことは決してなかったことであろう。1914年8月以来は、われわれが盲目なのは救いようのない無知のためだ、と言ってすますわけにはゆかないのである。
 
p109
第一次世界大戦終結前に、私と同年輩の人のうち半ばが戦死していた。しかし私は彼らの死を目撃したわけではない。想像に最も深い感銘を与えそして最も執拗に残るのは、自分の目で見たものである。したがって、戦争のことを考えるときにいつでも、私の見たもののうち心に最もはっきりきわだっている二つの記憶は、死んだ友の顔ではない。私には他人であった三人の人の顔である。
1915年、ロンドンで戦争関係の仕事をするためにオックスフォードを去ってからまもなく、私はある用事でホワイトホールの陸軍省へ行かされた。入りがけに正面の掲示板が目についた。そこには最近戦死の公報が入った将校の一覧表が張ってあった。この瞬間二人の婦人が私のそばを過ぎた。彼女たちはある人の死のしらせを掲示板で読んだばかりだったのだ。一人ははげしく泣いていた。もう一人は早口の強い語調でしゃべっていた――まるで、いそいでしゃべれば、自分の連れがこうむったむごい損失に追いついておそらくそれを取り戻すことができる、とでもいうように。今日でもあの二人の気の毒な婦人の顔を、あの日現実に見たのと同じくらいはっきりと心の目で見ることができる。あの恐ろしい悲しみの原因となった悪しき制度を廃止するために、私はまだ命のある間に働かねばならぬ。
 
p110
私が見たもので覚えている第二のものは、1921年3月にイネニュでの二度目の戦闘で戦死した若いギリシャ兵の死体である。死体は硬直し、顔色はろうのようであった。額に弾丸が貫通した跡は、一つの命をたちどころに消してしまうにはあまりにも小さな原因のように思われた。死体は、この少年の隊が急襲していた尾根の頂上にあるトルコ軍の塹壕から数ヤード下に、横たわっていた。塹壕の中には、ギリシャ軍の砲火によって恐ろしく痛めつけられたトルコの農民――勇敢な「戦陣を張った農夫」――の死体があった。この若い人々は――ギリシャ人もトルコ人も――皆母親の生みの苦しみを経てこの世に生まれ、愛情をこめて育てられたのだ。だのに今成人しようという矢先に、連れ出されて虐殺された。地上で最も貴重なものをこのように破壊する罪の原因となった悪しき制度を廃止するために、私は働かねばならぬ
 
p110
戦争を廃止するために働くには、私がおこなったよりもいっそう直接的な方法がある。チャタムハウスの『国際問題大観』を執筆するの三十三年を費やす代わりに、国際連盟国際連合の職員になることを志願してもよかったはずだ。しかし知的な仕事は、それ自体本質的な価値を有していることを別としても、行動のための必要な基盤である、と私は信じているので、あくまで『大観』を続けることによってわれわれの時代の(いや実際のところ戦争が始まって以来のあらゆる時代の)主たる害悪の正体をあばくのを手伝っていることになる、と私は常に感じていた。そればかりではない。この悪しき制度がそれを作り出したわれわれを抹殺する前に、それを抑制しようとするのを手伝っているのだ、ということもつねに感じていあのである
 
p111
戦争に対する私個人の戦いにおいては、私は全面廃止論者である。私は絶対禁酒家ではない。絶対禁酒主義がかえって失敗を招く例を、私はあまりにも多く見てきた。この分野においては、禁止は自発的な節制の最悪の敵になった、と私は信じる。アルコール中毒の社会悪と戦うてめには、回り道の方が近道よりもいっそう見込みがありそうに見える。ところが私の判断では、戦争は奴隷制と同じく、妥協のあり得ない社会悪である。通常兵器を残しておきながら原子兵器を廃止することや、兵器の量を減らしても残りのものを使用することをやめない、といったことが効果的であるとは私は信じない。私のめざすところは戦争の全面的廃止であって、それ以下のものではない。しかし私は廃止論者ではあるが、平和主義者ではない。もし1931年に満州に関して日本と戦争したり、1935年にエチオピアに関してイタリアと戦争したり、1938年にチェコスロバキアに関してドイツと戦争したりするための投票の機会を与えられてい他なら、私はこの三つの苦しい場合のいずれにおいても戦争に賛成する投票をしたことであろう。戦争に賛成する投票をしたであろうというのは、戦争を始めようとしている軍国主義者に対して何の軍事的抵抗もおこなわないことは、正しくもなければ分別のあるあることでもないと信じるからである。この場合のディレンマは苦しいものである。一方では、軍事侵略に対して抵抗しなければ世界を軍国主義者の手中に引き渡してしまうことになるし、また一方では、侵略に対して「聖戦」をおこなうなら、こちらの戦争がどれくらいの間聖戦であり続けるか予言できないからである。たとえ戦争を終わらせるために戦争をしているのであっても、戦争をおこなうときには、悪に対する解毒剤として悪を用いているわけである。そしてこの勝負においては、さいころはベルゼベル〔魔王。『マタイによる福音書』〕に有利なように詰め物がしてある。人類の長い「悲しみの道」の途上において、「戦争を終わらせるための戦争」〔第一次世界大戦は一般にこう呼ばれた〕をどれほどおこなわなければならないか、わからないのである。
 
p112
第一次世界大戦を終わらせるせるために命を投げ出した私と同年輩の人々は、これが生存者とその子孫が目にする最後の戦争になると信じつつ死んでいった。こうして、戦争という古い制度を廃止しようとする際、気がついてみると矛盾と挫折の中にはまり込んでいるのである。
 この経験は人をひるませるものである。しかしこれに立ち向かわねばならない。というのはそれは人生の苦しい事実の一つが持つ一面だからである。この事実とは、各世代は先人から伝え残された業(カルマ)という荷を負っているということである。現存する世代は自由な身で生き始めるわけではない。過去によって捕らえられた者として生き始めるのである。さいわいなことに、この囚人は無力ではない。受け継いだ慣習のかせをこわす能力を持っている。しかしこれをこわすには大いなる努力によるほかない。また全部をこわすことができるわけではない。人間の自由は錯覚ではないが、決して全面的ではあり得ないのである。
 今問題にしている場合について見ると、平和的な政治的行為によって戦争を廃止する自由は、たしかにある。国家間の戦争という制度は、地方主権という制度の寄生虫である。寄生虫は寄主がなければ生き残れない。そしてわれわれは地方主権を平和的に廃止することができる。地方国家が全体の従属的な一部として存在し続けながら、その主権を引き渡す――こういう世界的な連邦を自発的に作ればよいのである。これが、ライオネル・カーティスの唱えた、戦争という問題の積極的な解決法である。世界連邦の構成の細部については、教条的になる必要はないし、またそうあるべきではない。しかし何らかの形でこれを達成するために努めるべきである。原子力時代にあっては、これが大量殺戮に変わる人類の唯一の道のように見える。